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38.「邂逅 4」   2010年9月3日

 九戸城跡で8月25日に月見の宴が開催されました。満月の夜に幻想的な行灯の灯のもと、舞台で繰り広げられる舞踊を観て会食し、400年前の九戸の乱、九戸政実や九戸党の人々を偲ぶ集いは毎年開催されているようです。その九戸の乱にまつわる文学作品に「贋まさざね記」がありますが作者は三浦哲郎氏です。その三浦哲郎氏が8月29日に79歳で逝去され、9月6日に一戸の三浦家の菩提寺で葬儀がなされます。

 三浦哲朗氏は八戸市の出身で私の高校の先輩で、「忍ぶ川」で芥川賞を受賞されています。私は残念ながらこれまで彼とはあまり縁が無く、名前を知る程度でしたが、訃報の追悼記事を新聞で読み、俄かに北の地で繰り広げられた彼の生き様、その世界に興味を抱きました。そしてこの時期にその地に関係する彼の記事に出逢えたことにも何か機縁を感じました。彼は数奇な血族に生まれ育っていて、そのことが彼の文学のベースになっています。    
以下が彼の紹介の抜粋です。
 
 「青森県八戸市三日町の呉服店〈丸三〉に壮介、いとの三男として生まれました。二兄三姉の末弟です。六歳の誕生日に次姉が青函連絡船から津軽海峡に入水、同年夏長兄が失踪、翌年秋長姉が服毒自殺。長じて昭和24年に早稲田大学政経学部に進みますが、翌年春、学費の援助をしてくれていた次兄が行方不明となり帰郷。2年間、中学校で英語と体育を教えます。昭和28年、早大仏文科に再入学し、仲間たちと同人雑誌「非情」を始めます。同誌掲載の『誕生記』が小沼丹(おぬまたん)の目にとまり、その仲介で3号掲載の『遺書について』が機縁となって井伏鱒二(いぶせますじ)に師事することになります。
 昭和30年、『十五歳の周囲』で第2回新潮同人雑誌賞を受賞しましたが、実質的なデビュー作品は『忍ぶ川』(昭和36年、第44回芥川賞)です。以来今日まで、長編・短編・自伝的小説・歴史小説とたゆみなく作品を発表しています。
 現在、短編の名手としても第一人者の位置を占める作家です。『妻の橋』(昭和47)・『拳銃と十五の短編』(昭和51、野間文芸賞)・『じねんじょ』(平成2年、第17回川端康成文学賞)・『みちづれ』(平成3年、伊藤整文学賞)・『ふなうた』(平成6)・『わくらば』(平成12)などがその代表的な作品です。 長編小説として、『素顔』(昭和52)・『白夜を旅する人々』(昭和59、大佛次郎賞)・『夜の哀しみ』(平成5)・『みのむし』(平成7年、第22回川端康成文学賞)などがあります。」

 彼は大学中退して父の実家の二戸に身を寄せ八戸の中学校の教師をしており、新婚生活は姉のいた一戸で過ごしていますのでそれらの地に縁が深く、多くの作品の舞台になっています。姉兄で只一人生きていた姉が今年の3月に死亡しましたが、彼女の生涯を主題にした「暁の鐘」の執筆を目指していたと言います。

 彼の6歳の誕生日の日に次姉が自殺してから次々と姉兄が自滅の道をたどって行きますが、この宿命を背負って創作が始まります。「忍ぶ川」など初期の自伝的な短編には「血の衰運」から逃れようとする苦悩が語られています。
 「私たちの血は亡びの血ではなかろうか、と思った。とすれば、私の体内にも同じ亡びの血が流れているはずである。私は、自分の血に亡ぼされるのはまっぴらであった」(短編「恥の譜」)
 「白夜を旅する人々」はその家族、兄姉がどのように生き、死を選んだのかを私小説風に描いた長編作品です。書く前に彼は母から血族の話を聞いたのですが、母は自分が死ぬか、もう何も分からなくなるまでそのことは書いてくれるなと言い、彼はその約束を守り、戒律を課して小説を書いたということです。

 晩年、今年の新聞社の取材に「彼らのことばかり書いてむごいことをしたな。でも書かずにおれません。むごいと思う気持ちを克服しないと。書くことで、自分に流れている血と向き合うことができるのだから。」そして「できたことはすべてよしとする」と心に決めている。それは「兄姉は世の中に絶望し、背を向けた。彼らと同じ道をたどらないために、日常の些事から人の死といった大事まで、人生のすべてを受け入れていこうという決意だ。」

 彼は業因縁の世界を生き抜いて天命を全うされたように思いました。かの地の血が流れ、血が繋がれて、生きる事の意味、喜びを伝えて頂いた様です。
 
 8月は盆回向の月、私達には前世宿世が存在し、たとえ今は罪とは無縁でも、人の歴史は闇の面から見ると戦い、殺し、奪い合いの歴史であり、そこを通ることは避けがたく、過去において罪を犯した事のない生命は皆無と頂きます。しかし今ここに生かされてあることは大いなる慈悲であり、あらゆる罪の元凶である怨恨憎悪を浄化すること、そして歓喜の生命に生きること、とも頂きます。それは一朝一夕に出来る事ではありませんが、日日の悔悟反省、念願心の度合いによるのでしょう。人の心ほど恐ろしいものがありませんが、その心の浄化を抜きに平和や幸せも生まれません。大難を小難、無難にとお助けいただける身を謙虚に感謝で生きる姿が美しいのでしょう。そして子孫が救われることが先祖の願いであり、私達が浄化し救われることが先祖諸共救われることでもあるのでしょう。笑顔の三浦哲朗氏の写真はすっきりしていました。

 8月に私が読ませていただいた冊子にあったお言葉を紹介します。
 
「笑って、50年か100年か、笑って通そう。
 正して、笑って、通そう。
 それで、憎しみは無いぞ。
 絶対に、憎しまんぞ。
 それで、憎しみのない構えに、しておってもらわねばならぬ。
 ねえ。
 はっきりわかったのう。
 みんな、そんなにしよう。
 それがほんとうの仏心。」 (8月の御真言様)

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
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