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31.「即心」             2010年8月7日

 仙台も連日の猛暑続き、短いみちのくの夏ですが今が夏本番、東北各地で夏祭りが開催されていますが、仙台七夕祭りも6日から始まりました。私の医院のある商店街でも爽やかな風にたなびく七夕飾りが夢をプレゼントしてくれます。

 先週末は天外伺朗さんと野口法蔵さんのセミナーを開催していましたがテーマはスピリチャルな成長へのいざない「素に生き、素に死ぬ」です。野口法蔵さんは「即身仏になる」、天外伺朗さんは「運力の強化」を話されましたが内容濃い、良き集いでした。

 天外さんの天外塾の塾生にサッカーワールドカップで日本の監督を務めた岡田武史さんがいてその話題からお話が始まりましたが、岡田さんの活躍の蔭で為されていた秘話を伺え非常に興味深かったです。
 是までの管理型マネージメントから燃える集団型マネージメントへの切り替えが成功の秘訣のようです。奇跡の為には綿密な準備が必要で、基本は運力を身につけ自らの運命をマネージメントする力、フローを得ることです。

 良寛さん一休さんのお話がありましたが紹介された良寛さんの言葉は私が座右の言葉にしているもので嬉しくなりました。
 
 「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

 この心境で生きられたら運力が強い人に成れるとのことです。病気や死に直面することは意識の変容へのチャンスで、執着は結果に囚われ。未来を思うこと、過去を悔むことは今から意識が逃げていること。志を持ち結果はさて置き今をべストに生きることが運力獲得の基礎。物事様で呼び起される己の感情の中で色々な気持ち、情動に直面することで今に存在できます。幸運、不運の波動がありますが、果たしてそれを良い悪いと分けることは難しい事です。運気が落ちたと思える内的運命のボトムにあってもその不運に直面し、自分の運命に対する自信を失うことなく淡々と事を処しやり過ごし、努力をして次のピークを迎えること。ある意味で運力が弱い時に意識してジタバタすることで真の自己が目覚めてきて、自分が自分を客観的に見る事が出来る。相対的二元論を越えてジャッジメントをはずし良い悪いもない世界、絶対肯定の世界。凡夫の浅はかな分別智の世界から本当の般若、無分別智の世界に向かう。運力は意識階層の無意識のモンスター層の下層の聖なる層にいるもうひとつの自分の世界。その自分が毎日の生活の中で顔を出すようになるとボトムでジタバタしなくなります。表面的自分がジタバタしている姿を見ているもう一人の自分がはっきりしてくると道を踏み外すことがなく次への努力が出来るようになります。聖なる自分に目覚める為に無意識でうごめくモンスターとどう付き合うかが修行です。仏教修行で密教ではモンスターと上手く付き合う、顕教では抑えつけていくようです。座禅とは坐禅、で坐の土の上の二人の人が自分自身の二人です。普通はモンスターの方の自分が大きく、ほんとうの自分が小さい状態ですが、だんだん左右の人のバランスが整ってくる人は運力がついて良い人生に成るようです。

 法蔵さんの題目は「即身仏」ですが、本当は「即心仏」のつもりでいたそうですが私が案内作成の時に心を身に変えてしまったようです。申し訳ありませんでした。

 法蔵さんは座禅断食を日本で創始した第一人者であり私の師です。座禅断食は直感力を養うのが目的で断食は心を養い坐禅を助けるものとの位置づけです。健康の為であれば絶食療法ととらえます。宿便を排泄し自律神経、呼吸を深め免疫力を高めそして心の宿便を、心から何かが落ちたように排泄します。行をするとしてもいやいやするとストレスとなり神仏の加護を頂くことができません。何事も神仏の加護を頂かなくては成就しませんし、無に成ることで神を宿す事ができます。修行として身体を作るために食事を変え、経を唱える。日課として般若心経を唱え、まず身体に覚えさせ聴かせて心のクリーニングをする。100日、1年と継続しますが経の意味は知らない方が良く、ある時ふっと解り使えるようになり、気持が全身に行き渡りどんなときにも使えるようになる。そんな行の流れの様です。

 法蔵さんは五体投地礼を断食指導時以外は自宅で1日に10時間行い、既に400万回を越えており滝行も欠かしません。法蔵さんは菜食ですが、断食指導者には特に飲酒を禁じています。飲酒は直観力が鈍り、身の危険を察知し回避する能力が落ちるとのことです。
 
 即身仏に成るにはまず穀断ちなど少しずつ食を変えていき、身体が腐らないようにするために3~5年要します。そして死んだ後には仏様として拝むためにしっかり保存処理が必要です。即身仏は悟っているか居ないかは別で、悟っていない人は早く火葬にした方が生まれ変わりが早いようです。悟りは特別な修行で得られるのではなく、目立たない方が良く、人の役立ちに成るかの兼ね合いが大事なようです。全てに細やかに生き、全てに感謝で生きることが大切です。雑に生きることはつまらなく生きることになります。
 
 即身仏は生きながら死を迎え仏として身体をお役立ちさせる。翌日の出羽三山ツアーで湯殿山総本寺大日坊瀧水寺で日本で唯一の即身仏を参拝しました。代受苦菩薩真如海上人は96歳で生身のまま土中に入定された方ですが、それまでの七十余年の年月を難業苦業を重ね、不平等社会を仏国楽土に、衆生救済を誓願され多くの慈悲を施された方ということでした。ミイラとして保存されているものは燻状処理の為に黒光りしていますが真如海上人はひと肌を思わせる色合いのある綺麗な仏様でした。

 即身仏と即心仏はかなり違います。即心仏とは即心こそが仏である、現在の迷いの心と生身のままで、そのまま仏となることとあります。今の一瞬を完全燃焼させること、今を精一杯生きること、一心に取り組むこと、己を忘れて一心不乱にそのものになり切ること、そして我欲が一瞬でも無くなった時、それを即仏と言い、自我を捨て去った時、初めて即心と言うものが達成されるもので 、即心即仏と言うようです。
 又、仏道修行で発心・修行・菩提・涅槃と言う過程を経て行動的な努力をしている姿そのもので、仏道修行を志して、たとえ一刹であっても坐禅をやっていると言う事が即心即仏の意味のようです。

 天外さん、法蔵さんのお話は坐で共通する世界で無になること本心を生きることを頂きました。
 一休さんが公案に「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから師より一休の道号を授かったと言いますが素晴らしい言葉です。{有ろじ(有漏路)とは迷い(煩悩)の世界、無ろじ(無漏路)とは悟り(仏)の世界を指す。}
 良寛さんも一休さんも晩年は女人との深い係わりがあったことを天外さんは話されていましたが如何なる行動も即心仏で生きる世界が素晴らしいのでしょう。

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 大久保直政
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