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197「節分2」2013,2,15

 2日朝7時に予定通りに大型貸切バスは28名を乗せて出発しました。東北自動車道を北上して岩手県の最北、ニ戸市を目指します。今回の行程は先に紹介した様に、中山博さんに下された絵とお言葉の紐解きからなっています。(本ブログ190「天地人明察の旅3」2012,12,27 http://sendaitenmei.blog108.fc2.com/blog-entry-191.html

 岩手山を左に望みながら盛岡市付近を過ぎると真正面に大きな虹が現れました。私達を歓迎してくれるかの様に出現した日高見の国のレインボウゲイトです。予期せぬ天の計らいの虹を満喫すべく、岩手山SAで休憩をしました。皆さん写真撮影です。これからの旅の前途を予感させる歓迎の徴と感じ、ワクワク感が高まります。
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 最初の目的地は一戸インターを降りて国道4号線を少し北上し、馬仙峡の男神岩・女神岩です。馬渕川と安比川の合流点にそびえる巨大な岩です。夫婦岩の類では全国でも稀な巨大さで、男神岩・180m、女神岩・160mの高さです。両方の岩を観れるところであわ歌を奏上しました。

 その前にどのように行うか中山さんが問われたところ以下の答えがありました。 
「沙汰ありて、この地で行うこの事は、四人が四角を作られて、中に一人、歌響かせたまえ。北の力をその中の人に送る。」
 陸奥、日高見に所縁のあるTさん、Oさん、Mさん、Oさんの四人で四角を作り、その中心に私が立ち、歌わせて頂きました。その時のお言葉です。
「この四角の中心にある方、是よりは四柱新たに結びて、新しきへ向かう。古きはご破算といたす。ここにて北よりの繋ぎを始むるなり。大きなる身を成りなって、この国の平安の為に、光を各所に繋ぎ行く。本日よりその第一段階始めます。」11;15
 終わって、中山さんから「これで骨折の意味が分かった。4本の柱を結ぶ繋ぐために、4本の骨が折れたのですね。」とのことです。果たして如何でしょうか?この時、ここから、この国の平安の為に繋ぎ行く第一段階が始まりました。
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 馬仙峡から10分弱で次の目的地、御所野縄文遺跡です。駐車場からゲートを入り、タイムトンネルを抜けるとそこは縄文の世界です。この世界はこれまでも何度か訪れていますが心豊かになります。快晴の中、太陽がキラキラ光輝き、一面雪に覆われた純白清純な世界は明るく暖かいものを感じさせます。そして古の先祖達の自然と共生し天地人一体で生きる豊かな、歓喜溢れるエネルギーに満ち満ちています。
 竪穴住居の中であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「あー、いー、うー、えー、おー(拍)
古き時、響かせて、繋ぎたる天と人と、ただ今の音なり。是よりの時は、天地繋ぐあわ歌なり。ここに歌響かせて、大きなる喜び、皆々様、共々に繋がり行きて新しきへ。」12:20
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 国道4号線を南下して北上川の源流を目指します。北上川源流は御堂観音にある弓弭(ゆはず)の泉です。そこから宮城県石巻市の北上川河口まで全長249キロ、東北で1番長い北上川の旅、物語の原点です。北上川はかつて日高見川と言われ、いつの頃からか北上川と改められたようです。
 国道から御堂観音に左折しますが、かなり鋭角な交差点でバスが曲がりきれずに方向転換して入ることになりました。御堂駅前でターンして四号線に左折して出ようとしたらスリップして出られません。何度か試みてどうにか国道に出たと思ったら今度はギヤが動かなくなりました。運転手さんはかなり慌てて、手を尽くしてどうにか問題解消できてほっと一安心です。私は一瞬、是のバスの故障で旅行は中止かな?と思いました。何かこの聖地繋ぎを阻害する力が現象化しているのかとも思いました。しかし、ありがたいことにそれは杞憂に終わりました。
 御堂観音は雪深く、山門にはかなりな積雪です。お寺の方が雪かきをして下さっていましたので比較的楽にお参りできました。源流は、これが東北一の大河の源なのかと思う程、本当に少し湧き出ているだけなのです。本堂前であわ歌を歌い上げさせて頂きました。その時に山門屋根の雪が大きな音を立てて滑り落ち、お蔭様で私達は難を逃れる事が出来ました。その時のお言葉です。
「いやう、いやう、いやう。
届けたり、響きと光。生み出だし流し行き、皆々集う流れとなして、結び繋ぎて、是よりの新しき流れ作られませ。」13:25
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 更に南下は続きます。次なる目的地は浮島古墳で、北上川西岸にあります。この古墳は奈良時代のものと言われていますが、岩手山の裾野に拡がり、正面には送仙山という472m程の小山があります。 
 岩手山は父山、姫神山が母山でこの送仙山がそれらの子供の山と言われています。更には岩手山の父山は岩木山で母が田沢湖とのことです。
 言い伝えによると、岩手山が女山の早池峰山と浮気をして姫神山を邪険にした時に送仙山が仲直りさせたとか。自然の中でも人間界と同じような想念があるのでしょうか?古の方々はそれを読み解いて、物語として人としての営みに反映して、この地で山の神を祀り生活を継続していたのです。
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 浮島古墳に着いて中山さんに以下のお言葉がありました。
「幾く度の戦 切り抜けて、この地にありたり。日は落ちて、暗き闇へ入り行く時を迎えております。何卒大きなる力と光を。」14:25
 道路から古墳の山頂近くにある東屋まで一列で雪を踏み固めながら雪中行進です。そこであわ歌を響かせて頂いたお言葉です。
「届けたり。響きと光、この時に、光に乗り行き、皆々様、大きなる広きへ参り行かれませ。この時ぞ。永き時をありがたき。」14:35

 次の目的地は北上川東側、母山の姫神山の懐に鎮座している姫神嶽神社です。小さな集落にある神社の参道は私達の為に雪の絨毯を敷き詰めて待っていました。杉の巨木が守っています。あわ歌を響かせ、以下のお言葉を頂きました。 
「訪ねて頂きありがたき。響きと光は受け賜りたり。皆々共々、励み行き、古き昔の嬉し地、ここに現す時へ参る。
 是よりお訪ねのその時に、最後に成りたるを、詫びて下され。一番に参らるるが宜しきなるが、こちらよりも伝えおく。お願い申す。」15:50
 この後半の意味は中山さんによると以下の事でした。
 本来、巡るにあたっては父山の岩手山神社を先にして、母山の姫神山、子供の送仙山の順番ですべきだった。それを違えて子供、母の順になったことを、これから参拝する岩手山神社ではお詫びして下さい。ということです。巡る行程の距離や時間で私の人間的合理で考えた事は礼を失してしまったようです。誠に申し訳なくお詫び申し上げます。
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 陽が大分傾いて来ました。急いで父山、岩手山の御魂を御奉戴する岩手山神社を目指します。ここは北上川西側です。今回参拝するのは滝沢村の岩手山神社と決めました。その社は岩手山の表登山口の柳沢口に鎮座しています。801年頃に坂上田村麻呂が蝦夷討伐のおり、国土鎮護を祈願して建てたと言われています。
 現状は些か寂れた感じで、降り立ったときも中山さんにここで良いのと言われました。前回、訪れた岩手山神社は雫石町長山の方でした、立派でかなりきれいに管理されていましたのでそちらのつもりでいたようです。陽が沈み出して、寒風も吹きすさぶ中、あわ歌を頂きました。しかし、その前にまずもって、巡る順序を違えたことを深くお詫びさせて頂きました。

「伝えたるをそじて下され。
 訪れる順序を違えて誠に申し訳ありませんでした。(と私がお詫びしました。)
 申す。この度のこの事大きな過ち、深くここにお詫び申すなり。我等一同、この地にてあわ歌響かせ、光持ち、大き身元、大きなる心現さんと成すなり。過ちここに重ねてお詫び申す。(拍)
是よりあわ歌響かせて、光を発します。(拍)
おー、この度、この地を訪ね来て、是よりこの地と広く結び、繋がりて、光の地となる力成し行きたし。力を添えて流し行かれませ。(拍)
大いなる思いを受け賜りたり。この地の力伝え行く、新たなる繋がりをしっかり守りて、共々にまいらん。(拍)
ありがたき。」16:45

 礼を失したことをお許し頂き、あわ歌を受け入れて下さったようです。そして「新たなる繋がりをしっかり守りて、共々にまいらん」とのこと、ありがたいことです。時間は既に17時です。予定の盛岡市内の2か所を巡ることは中止させて頂きました。
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 岩手山神社を離れ宿に向かう道すがら、西の空、岩手山には素晴らしい紅の世界が現れました。朝は虹、夕は紅で天、自然は呼応して下さり、我々に天地の繋がりを為したと教えて下さったようです。お蔭様で今日一日は、まずは目出度し目出度しで終える事が出来ました。
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 今日の宿は花巻市の大沢温泉山水閣です。この温泉には1200年前、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際、蝦夷軍の毒矢に負傷し、大沢の湯に入浴してほどなく傷が癒えたという伝説があります。
  又、宮沢賢治は少年の頃、信仰心の厚い父に連れられ花巻仏教会の講習会場だった大沢温泉に幾度となく訪れています。 そして学生時代は悪ふざけをして湯を汲み上げる水車を止めてしまい、風呂場が大騒ぎになったという逸話が残っています。また後年花巻農学校の教師時代には、生徒たちを引き連れて湯浴みに来ています。
 更には高村光太郎、相田みつおが好んで訪れた宿で、豊沢川の川沿の露天風呂、自炊部等古の建物もあり、風情もなかなか良いものです。
 いつもながら楽しい夕食懇親会で二次会も大いに盛り上がりました。私は退院後初めて温泉に浸かり、混浴露天風呂も満喫し、湯治気分でバスの長旅の疲れを癒して頂き、ゆっくり休ませて頂きました。

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 大久保直政
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