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189「天地人明察の旅2」2012,12,25

 朝食も慌ただしく済ませ、宿を7時半と早い出発です。バスは途中参加の2人を陸前落合駅でピックアップして東北自動車道を北上します。大和インターを出て、西方、舟形山方面に進みます。目指す大いなる和する地、大和農場は雪景色で朝日を受けてキラキラと輝き、光っていました。
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 農場の北西、松林近くに完成した、まほろば舎はすっかり周囲の木々、自然に溶け込んで違和感なく存在しています。11月末に建物の引き渡しを受けて、今回初めて鍵を開けて中に入りました。生体エネルギー資材を活用した建物は臭いも無くとても居心地が良いです。ここには電気が来ていないのに豪華な電燈、コンセントが設置されています。それはやがて太陽光発電の装置を設置して自家発電で賄う予定です。
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 皆さん靴を脱いで中に入って頂きましたが、6畳の広さに21名が丁度良い具合です。中であわ歌を唱和させて頂きましたが、響き、反響が素晴らしいのです。そこでのお言葉は以下です。

「堅き絆を結びて、繋ぎ生まれて来る来るこの地のうましみ、伝えて配りて拡げ行き、大きなる和と成り行けば、新しきへの道開く。」
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 大和農場の西に沢が流れていてこの地の守り神の不動尊が小川の中に鎮座しています。皆さんでご挨拶に沢に下り参拝しました。そこでも皆さんであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「ありがとうございます。是より共々、この地を開き、大きなる皆々と共に参りましょう、新しきへ。」
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 かつてこの大和の地はアイヌ民が住み栄えたところだったと農場の大家さんのGさんは話して下さります。沢山の貴重な土器もこの土地から出るようです。この地を守り伝える役割を直感し、この地に入植したGさんは殊の外この地を大事にして、いつもお不動様に感謝を捧げて農作業をしています。そしてこの農地を活用してくれることを期待して我々テンメイに声掛けして下さり、農地を無償で使わせて頂けています。
 そして驚くべきことに、農場の入り口、西側に民家がありますが急に11月末に売り出されました。いつも農作業をしながら農場を見下ろすあの家が使えたら最高と皆で話していましたが、思いがけない展開になりました。Gさんも是非とも我々にここに拠点を作って来てほしいと念願して下さいます。テンメイ仲間も皆さん乗り気で活用出来たら素晴らしいと、喜んで前に進もうと話がトントン拍子に進みます。
 今回中山さん、木内さんにも現場を見て頂き、とても善い感想を頂きました。先ほど頂いた中山さんからのお言葉もこの事を指しているようです。これもテンメイの役割としてお与えいただいたものと感謝してあわの里で受けさせて頂くことになりました。お蔭様で来年から家屋、呼称「大和亭」も本格的に活用できそうです。
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 農場から東方に10分弱の処に石神山精(いしがみやまずみ)神社があります。巨石と巨木があり、この地は大和朝廷が支配する前にはこの地の蝦夷の神を祀る聖地でした。しかしやがて大和の神が祀られて現在に至っていますが、延喜式内社の陸奥の国百座の一社の古い神社です。この地は是までも何度か訪れていますが今回の旅の物語には欠かせない貴重な聖地です。ここで皆さんと響かせましたがその時のお言葉です。

「大きなるこの岩、光を受けて発しなされ。この北の地に、光を届けて生まれ来る新しきを繋ぎて参られませ。始まりたるなり。新しきへの道参りましょうぞ、共々に。」
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 さらに東方に行くと富谷町に大亀山がありそこは公園になっています。この山にも巨石をご神体にする鹿島雨足別(かしまあまたりわけ)神社が祀られていますが、延喜式内社の陸奥の国百座の一社で、蝦夷征伐の武運を願ったものと由緒には書いてあります。神社の脇に亀の形をした巨石があり大亀と呼ばれこの地の地名になっています。しかし神社の参道は地震の影響で立ち入り禁止になり、大亀岩は倒れていました。
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 この場所にはやはり巨石信仰があり、山頂一帯に祭壇石がずらりと並んでいて、神々達の降臨の為の場所で、石神山精(いしがみやまずみ)神社と同様に蝦夷の聖地として大事にされた処の様です。神社から少し南に行くと公園の展望台がありますが、西方に舟形山、七ツ森、まほろばの里、大和の地が眺望できます。そこであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「大きなるこの地、輝きわたる山々が、再びここに現れ出でるは、皆々様の堅き思いをしっかり繋げて現せば、大きなる和は拡がり行く成り。このあわ歌の響きと共に和を繋ぎませ。」
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 バスは更に東進して涌谷町の涌谷妙見社に向かいました。北斗妙見信仰でかつて涌谷伊達(亘理)氏の氏神で伊達安芸領内の鎮守社として篤く尊崇された処です。妙見社は総州千葉から奥州藤原討伐の功があり千葉氏が妙見七社のうち第三社を亘理(宮城県亘理町)に移し守護神と祀り、やがて伊達藩に属し、功あり涌谷藩主となりこの地に祀ったものです。
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 地震の被害があったようですが綺麗に掃除が成されています。巨木の周りであわ歌歌いその時のお言葉は以下です。

「どんどんどんと参り来る、大きなるこの光、皆々に、響きを忘れず歌い続け、あーいーはこの時、皆々様に降り来たり。光と共々参りませ。」

 遅い昼食の弁当をバスの中で頂き、次は大崎市古川の表刀(うえと)神社です。傍を新幹線が走っていますが小高い山の中に、ひときわ際立つ杉の巨木は樹齢550年です。創祀は奈良時代、天平神護元年(765)という歴史の社です。杉の巨木に向かってあわ歌を歌いましたが、樹肌が色々な顔に見える不思議な世界です。そこでのお言葉です。

「この度、この地に参りて、響き、共に持ち来る光、ここに伝えたり。大きく光を拡げられ、この地を輝く元へと返し、大きなる嬉しき、新しきへと成されませ。」
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 宮沢遺跡は東北自動車道、長者が原SA近く、化女沼古代の里の中にあり、遺跡は自動車道で分断されています。奈良時代から平安時代の城柵・官衙遺跡で、東北地方のこの種の遺跡の中では最大規模で、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の時の覚鱉(かくべつ)城があった場所との説もあります。小高い丘に登ると周囲を360度見渡せる絶好の立地です。南西方向には七ツ森、まほろばの里、大和の地が見えます。
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この地でのお言葉は以下でした。

「きみがみねうつ館にありて、この地を下る事成したるは、真にこの身を蝕みさり、大きこの地の痛みを知るや。晴れ渡り、新しき、優しきへ戻されよ。」
「この度のこの地は、大きなる地へと戻り行く光は、既に降り来たり。今より参りて皆々の、新しきへ発する地と成り行かん。古き昔を今一度、しっかり掴みて、新しきへ共々に。」
「花咲き、空うつ、暖かき気を出す皆々様、集い来れば、この地も暖かきと成り行くなり。皆々様の是よりの、その身の光を待ち望む。」
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 意味深い内容の言葉です。冬は日が暮れるのが早いです。バスを北上させて平泉を目指します。時間的にあと一つ巡れるかという感じです。どんどん夕闇が迫りますが兎に角、三峰神社を目指します。既に夜の帳が降り、最後に道に迷ったり、もはや時間切れ寸前でどうにか到着した時は17時少し前でした。暗闇の中で最後のあわ歌を皆さんで歌い響かせました。そして最後のお言葉が頂けました。

「皆々様方、始まりたる新しきへの道。それぞれがその身をしっかりと成さり、全てを預けて歩み行き、この天地とひとつに成られ、真の新しきへ参りましょう。ありがとう。」
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 皆でお言葉の「ありがとう」を頂きここまでたどり着いた事を喜びあいました。後は平泉温泉で1日の疲れを癒して仙台駅に20時半頃に帰り着きました。この旅は果たして如何な意味があったのでしょうか。それは続きのブログで触れたいと思います。

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
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