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184「大和の地」2012,11,19

 仙台のケヤキ、イチョウの街路樹は色づき、杜の都の秋を満喫、楽しめたと思ったら、程なく晩秋の風雨で木々の葉は舞い落ち、寒風に襟を立ててマフラー姿が似合う、すっかり冬の足音が迫ってきたこの頃です。
 11月7日、秋の真っ盛りの大和のまほろばの里は見事な世界でした。素晴らしい太陽の光、エネルギーを浴びてのんびり、楽しく農作業を楽しみました。午前はさつまいも掘りをしましたが、お昼には早速蒸かし芋にして食べました。とても甘くて美味しいかったです。皆さん笑顔、お恵み様にご満悦です。
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 小屋の建設が進んでほとんど出来上がっていますが、残すは小屋の外板の防腐処理などの仕上げ工事の様です。前日も工事の方が来ていましたが大雨の中、農場の道路から出る時にぬかるんだ道にタイヤがはまり込んで出られなくなり道に放置されていました。11時頃に会社のトラックが引出に来ましたがその車も農道に入ってスリップしてミイラ取りがミイラになる状態です。
 昨日も農場の大家さんのGさんが自力では無理だから早い時間にJAFを依頼した方が良いと助言したのですが、自力で悪戦苦闘の末、身動き取れない状態で放置して帰ったようです。今日も結局、JAFに依頼することになり、昼過ぎにJAFが一度来たのですが状況を把握して通常車両では対応できないことが分かり、強力な牽引機能がある車両が後で来ました。もう13時半頃でしょうか。それからも大変な作業でどうにか嵌りからタイヤを引き出しましたが、自力ではまだぬかるんだ道の走行は無理です。延々と一般道までの300m程をロープで牽引を繰り返しながらようやく脱出できました。かれこれ2時間程かかりましたでしょうか。私達も暫し農作業の手を休めて野次馬で見学していました。
 Gさんから私達は、この農道は雨が降るとぬかるんで車がはまってしまい通れなくなるから注意して下さいと言われていました。小屋の工事が開始する時もやはり工事の資材を積んだ車が動けなくなり大変な事になっていたのですが、工事の担当部署が違う業者さんがまた同じ状況になったようです。
 昨日もGさんがトラックがスリップした早い時期に、運転手さんに明るいうちにJAFを頼むようにと話したのですが聞き入れてくれなかったようです。結局日暮れてどうしようもなく、同僚に迎えに来てもらい車を放置して帰ったようです。
 大難を小難に済ませることが出来るチャンスがあったのですがトラックの運転手さんにはGさんの言葉は耳に入らなかったようです。受け答えを聞いてGさんも縁がないようだと諦めたようです。結果的には沢山の方を巻き込んで丸々1日を費やし、獣除けの囲いを一部損傷し、農道の状態を悪化させてしまいました。

 この地は御不動様が守っている土地で、不動様に御許しを頂いて土地を使わせてもらい、農作業をしているとGさんは考えています。農地の下った小川に不動尊が祀られていますが、その思いでGさんは25年間この地で祈りの中に農業を一人で黙々としてきました。ですからお不動様がお許しにならない方には厳しい対応がされると話します。ある意味運転手さんにはそんな縁が働いたのかもしれませんね。
(178「陸奥開闢追補」http://sendaitenmei.blog108.fc2.com/blog-entry-179.html

 かつてこの地はアイヌの住んだところで、蝦夷と言われた人々の世界だったようです。平和で穏やかな時代が長く続いた後にこの地の民が征服されたのです。Gさんはある啓示のようなものを受けて、この地を守り引き継ぐことが自分の役割と思いかれこれ25年前に仙台市内から転居して来て農業を始めました。Gさんは元々ある種の能力をお持ちでしたが、この地を選定するには宗教心理の世界の第一人者にM先生にもご相談されたようです。
 農業者として何も無しから始め、色々な反対や苦労があったようです。熊や猪の獣も出るところですが、熊にお話をしてお願いしたりして来たのですが、最近は流石に猪が頻発するようになり、昨年は畑に柵を回すことで対応しています。
 
 この黒川郡大和町の七ツ森は舟形山の東麓に小山が八つ点在していますが、縄文から古墳時代まで人々が住んでいたまほろばの里でした。七ツ森は笹倉山、鎌倉山、遂倉山、蜂倉山、撫倉山、松倉山、大倉山の七つの山を言いますが、たがら森も含めて八あります。笹倉山が500mを超える高い山ですが他の六は300m前後で、たがら森は200m程の低い山です。
 七ツ森の山には倉の字が付きますが神が宿る場所という意味があるそうです。しかし縄文人にはその発想が無く大和政権がこの地を支配してからのことの様です。それぞれの山頂に薬師如来が祀られています。1日でこの七つの薬師様を詣でる薬師掛けも行われています。
 このあたりで最も古いといわれる神社は、創建は不明ですが石神山精神社(いわかみやまずみ)と鹿島天足別神社(かしまあまたりわけ)で、どちらも巨石があり巨石信仰があります。アニミズム的な精神をもっている蝦夷は、石そのものを神として崇めいて、それを石神といい、石神山精神社にそのまま名が残っています。しかし大和政権支配後は石神ではなく、一時的に儀式のときに神が降り下る磐座と考えられるようになったようです。

 農場の近くの石神山精神社にはこれまでも何度も参拝していますが、この地のアイヌの神聖なところで、古い時代のエネルギーが充ち満ちています。790年に坂上田村麻呂創建といわれていますが、「往古は此地を去ること数町なる石神澤に鎮座していたが不明。本殿脇は切り立った白い崖、巨大な岩石に神霊の存在を認め祀った」とあります。この石神山精神社、大亀石のある鹿島天足別神社、古墳の上に建っている伊達神社は蝦夷が大切にしていた神々の地に、大和政権が蝦夷征伐で大和政権の神々を祀る神社を創建したと言われています。そうするとこの地が大和町という名を持つ意味は何故なのかと思います。過去のものをその言葉で封印し治めたいと思う何かが支配者に働いたのかと思うほど、蝦夷のすむ豊かな中心の地であったのでしょうか。
 いずれにしてもこの地は豊かな清水とぶな、くりなど自然の宝庫に恵まれ、アニミズム的な自然崇拝を重んじ、渡来人がこの地へやってきて、縄文人や弥生人の暮らしをそのまま受け継いで、アニミズムな多様な文化をはぐくんでいたと思われます。
 私も最初に訪れた時、農場のあるこの地はなぜか懐かしいという思いが湧いてきました。そして今年から毎月農作業に行く中で、さらにこのまほろばの里は、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」との言葉の意味の通り、とても愛着がわくこの頃です。今回は皆さんで小屋のデッキに腰掛け、コンロでお湯を沸かせ美味しいコーヒーを頂き、暫し日向ぼっこです。のんびり自然の中に浸り、ほっこりして、暖かく、言葉無く、秋のエネルギーを全身に頂きました。嬉し、楽し、幸せな時空間でした。
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 今度12月2日には中山博さんと木内鶴彦さんの天地人明察の旅でこのまほろばの里、大和農場を皆さんで訪問して、小屋、まほろば亭の完成式を行います。きっと天地を繋ぐ大きな柱が立つことでしょう。そして更にこの地が大きな役割を果たして行ける地になるのではと思います。きっとGさんとのご縁の中で新たなお与え、天の御配材がありそうです。それは「あわの里まほろば郷」でしょうか。
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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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