FC2ブログ

18.「難民」             2010年4月28日

 26日、月曜日の朝のFMラジオを聞いていましたら、音楽とトーク番組の司会を務める声楽家の女性が帰国難民でヨーロッパに足止めされていて、電話出演してその状況を語っていました。事の起こりはアイスランドの火山噴火でヨーロッパ各地の空港が閉鎖され、飛行機の運航が停止したことです。彼女はイタリア、ミラノでの友人の結婚式に参列するため渡欧していました。新婦の親族は日本からの便が欠航で参加できずにいましたので、たまたま再開された飛行機に乗れてたどり着けたのは幸運だったのですが、帰りには不運にも難民になってしまったようです。帰国の手立てを色々探り、日本への直行便のあるウイーンに陸路向かうことを決めたのですが鉄道は何日も満席でだめ、結局数十時間かけてバスを乗り継いでウイーンたどり着きましたが、空港は沢山の方々であふれ、連日航空券手配で空港に通っていてもいまだめどが立たないとのことでした。彼女はその地に住んだこともあり、地の利も言葉も分かっていいて友人も多く、ウイーンは友人宅でお世話になっているという条件ですから、比較的冷静に居られる様子で淡々とお話していましたが、一般観光客は果たして如何なることでしょうか。
 
 災害、災難は予期しない時に訪れます。自然災害、異常気象が地球規模で起きていてその影響は多方面に及んでいます。果たして予測される天変地異が起きるのかは不明ですが、明らかに何か大きな変化が進行しているようです。この事は相似的に色々な事柄で今後起こるように思います。 交通機関、食料、金融、通信、運送、医療、行政サービス、究極は国家破産等々。これまでのシステムが地球規模で正常に機能しない。これはさながらいままで機能していたエネルギーが突然停止したロボット、機械、ガス欠の車、強制終了させられたパソコンの感じで、全てのシステムの供給元が元栓を締めて変化を促しているのですから、もうどうしようもないかもしれません。
 
 本物の時代と言われて久しいですがいよいよ新しい時代の幕開けは間近いようです。生きることの意味、目的、その為に必要な事は何か、自分にとっての幸せとは等などのことが各自に待ったなしに突き付けられているとも言え、価値観の大変換、パラダイムシフトが現実化しつつあります。物の豊かさを追い求める象徴は、もうすぐ開催される上海万博、競争の象徴がオリンピックであり、豊かさの象徴がGNPですがいよいよ笛吹けど踊らずです。明らかにものの自由競争、ものの豊かさからある意味、精神の豊かさにシフトして来ています。

 メーテルリンクの「青い鳥」は、チルチルとミチルが青い鳥(幸福)幸せを求めて世界中を歩いたが、どこにも見つけることが出来ません。疲れ果てて帰った我が家で、探し求めていた青い鳥は家で飼っていたキジバトだったことを知り、幸せを見つけることができたというお話です。ものは在ったのにその存在に気付く心を持っていなかった。色々な体験の中でそれに気付く意識、心を得ることが出来たということです。求めてもその内容が我欲、物欲で、心の本心が覆い隠されていては情報翻訳能力が発揮されません。

 春は梅や桜を始め、花々が咲きわいますがやがて花が散ります。散って実にならない花は仇花、徒花(あだばな)と言います。花を散らすとは散華(さんげ)、散華は懺悔で、花が散ることは心を浄化することに通じます。散る、散ると心の怨恨憎悪、傲慢不遜を浄化できて、本当の真理の実が満ちる花に生まれ変わる事が出来る。チルチルとミチルは散る散る満ちる、そんな意味も隠されているようです。

 今起こりつつある世界の変化は青い鳥の世界のようです。問題はどこで浄化し意識の高い心を得られるかです。色々取りざたされている事態に遭遇せずに済む方がいるのか分かりませんが大難を小難に、小難を無難に済ませることができたらと思うのが人の常です。パラダイムシフト、アセンション等が必要なものであれば避けられないとして、意識、精神の向上をどのように図っていくのか分からずにさ迷う難民が沢山登場する感じがします。次元、視点、準拠位置、地に足を付けてしっかり立ち、ある想造と直結し永遠のエネルギーを頂けるいのちに生きること。今、この地球に生きる時、難無く嬉し楽し寛喜で過ごす想造視点、秘訣、真言があるとしたら素晴らしい事ですが、果たして誰が得られるのか、色々整理、準備が必要なようです。散華、懺悔で花散らし。

 25日は木内鶴彦さんが代表を務めるNGOの定期総会が、桜の花も散りつつある東京でありました。シフトを迫られ、それぞれの立ち位置、活動が問われていましたがどの準位でもこれで良しがない、待ったなしです。難無くすいすいと善き縁者と未知の世界を波乗りしていきたいものです。

 

コメントの投稿

非公開コメント

母親

始めてコメントいたします
りょうすけです

僕の母親はとんでもない苦痛の中で僕を産んだそうです。
きっと、それは良くあることなんだろうなと、空想していますが、なにぶん男なので、その苦しみ痛みを経験できません。

近頃では、どれだけ苦しまずに、痛みを感じないで出産できるかということを考えるケースがあるようですが、実際どうなんでしょう?

その後の母子の関係への影響の話です。
それを比喩としての、新たな時代とそこに暮らす人類の関係の話です。

苦しくても痛くても、どんな子が産まれても、喜怒哀楽織り交ぜて死ぬまで一緒に過ごしたいから、怖いし不安だけど、けして良いことばかりじゃないだろうけれど、それでもやっぱり産みたい

なりふり構ってるほどの余裕なんてないので、とにかくたとえ稚拙に見えようが、産むために必要そうなことなら、なんでもやります。

サーフィンにのめり込んだ人は、なぜ体を鍛え、万全の準備をしてビッグウェーブを待ち、それに挑もうとするのでしょうか?

死ぬかもしれないのに。
バカだからでしょうか?

僕はそんなバカが好きだし、そんなバカになろうと思います。
プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

RSSリンクの表示
最新記事
最新コメント
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QRコード
FC2カウンター