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164「選択2」2012,7,31

 大高山神社の参拝を終えて、Kさんが今日は17時半頃の新幹線で帰らなければならないという事を知りました。あまり時間も考えずに場の流れでのんびり楽しんでいたのですが、私は急遽午後の予定を大変更です。皆さんは今日の行程予定を知りませんので何も問題は無いのです。夜に仙台に戻るつもり計画していましたので、昼食の美味しいお店も考えていたのですが、キャンセルしてコンビニで適当に買って車中で簡単に済ませることになりました。
 今日の午後の主たる目的は相馬妙見三社を参拝することです。他の予定していた何ヶ所かはまたの機会として、一路、相馬市へ向かいます。しかし、どうしても途中通り道にある角田市の熱日高彦神社だけ寄ることにしました。
 参道車道は植木の剪定業者の車で通行できません。戻って階段の参道を登りましたが、かなり石組みが崩れ、乱れていて何故か歪む空間を登る感じです。私達が参拝することに抵抗があるようです。登りきるとこれまた別世界で、しっかり整備され参道には旗がたなび、山の中に開かれた明るいまとまった空間が拡がっています。そこであわ歌を歌いましたがその時のお言葉です。

「直ちに出でませこの地より。古きは是より無へと向かい、新しきと成り行くなり。それぞれ、皆々降り来る光と成りなって、光の中へ参られよ。(拍手)
飛び立つ時は、この今なり。生み出だされし新しき時を迎えるその前に参られよ。(拍手)あーいー、日暮に向かうは承知なり。向かい行く。(拍手)
新た成るへは向かわぬ定めとな、分かりたり。」

 終わると中山さんは直ぐに帰りましょうと歩出しました。ですからここだけは集合写真がありません。この地を守る存在はしっかりと「日暮れに向かうは承知なり。向かい行く。」と述べています。どの道を進むか、その選択は各自にゆだねられています。既にそのつもりで私達をこの地に踏み入れることを拒んでいたようです。帰りは歪んだ石段の参道でなく、車道を遠回りでしたが歩いて下ってきました。
 
 時間がだんだん無くなってきます。Kさんは福島駅から新幹線で帰ることに決めていますのでまず相馬中村神社を目指します。予定は相馬妙見3社ですが車中での中山さんへのお言葉では1ヶ所に集まっているようで、まずはそこで行えばその後の事が決まるようです。相馬妙見(相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社)は私は初めての訪問です。この地はSさんにお任せで大丈夫と下見もしていませんでした。相馬野馬追はこの地の御神事で特に有名です。今年は7月28日からお祭りです。

 相馬藩等に付いては以下の説明があります。
「相馬氏は平将門(相馬小次郎)を出したと伝えられる平家一門の名家であり、鎌倉時代に陸奥国行方郡に移住して以後、明治維新までこの地を統治した。このような長期間の統治を行った領主は、島津氏(鹿児島県)、相良氏(熊本県)など極少数で、世界史上に比しても有数に長い統治期間だと言える」
「相馬周辺の市町村から騎馬武者が集まり、大きな3つの妙見神を神輿で招いて催される祭は、今から1060年以上前、相馬氏の遠祖・平将門が領内の下総国相馬郡小金原に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。鎌倉幕府の成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。
「相馬氏は将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として、相馬家の守護神である「妙見」に奉納した。これが現在「野馬懸」に継承されている。この祭の時に流れる民謡『相馬流れ山』は、奥州相馬氏の祖・相馬重胤が住んでいた現在の千葉県流山市(旧:下総国葛飾郡流山郷[3])に因んでいる。」
201207091554000.jpg 201207091627000.jpg

 相馬藩の居城跡にある相馬中村城は、平安初期の延暦年間(800年頃)に奥州鎮撫のため坂上田村麻呂が最初に築いたとされています。相馬中村神社は城跡に鎮座しています。相馬野馬追ではこの中村神社で総大将出陣式が行われる将に起点です。この地もかなり強烈な波動がギンギンと来ます。1000年以上の歴史が脈々と続いてきている大きく、重いものがあるようです。妙見信仰で九曜紋です。今回も九曜紋を家紋に持つ方が地元のSさんの他、那須のSさん、Oさんが同行しています。その3人を囲んで本殿脇であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「ずい、ずい、ずいの、ずいを通して行く輩を、しっかりと現して、ふるうなり。(拍手)かなう、かみう、かたう。(拍手)
是より光をここに降ろす。皆々参りて受けられよう。」 
あわ歌奏上
「大勢の所縁の方々、集まりありがたき。これより申す事々にお答え下され。(拍手)
あわ歌の響きと、持ち来りたる光、大いなる皆様、受けたるや。(拍手)
ここにある者の一人答える。受けたり。(拍手)
是より参る道、新しきとなさるや。(拍手)
伝えられしは我等の道なり。これよりの新しきは、我等が無きと成るや。(拍手)
今より、新しきは皆々一つとなり、区別は無しぞ。遥かな元へ進み行き、光の中なり。(拍手)
光とは、今見たるものなるや。(拍手)
如何にも。これよりこの光、降り注ぐ。この時に光と共に参られませ。(拍手)
大いなる光と見たり。分かりたり。(拍手)
それぞれ皆々、ご自分の思いで、定めて参られよ。ありがとう。」

 今回の訪問だけでは如何とも動かないようです。あわ歌を歌っている時もSさんが何とも合わない感じで最後まで乱れた感じでした。これだけのあわ歌経験者が打ち揃っても何故か響きが違いました。この場の強い力が働いていたのでしょうか。ここでは中山さんもかなりきつかったようで顔色もあまり良くありません。
 帰りの時間も迫っていますので終わってそこそこに中山さん始め新幹線で帰る方々4人とお別れです。終わりが些か消化不良気味ですが改めて又、しっかりと時間を取ってでしょうか。しかし、初期の目的は果たせたようです。

 残った私達4人はSさんが車を置いている亘理駅に向かいました。途中反省会をと思ったらSさんの車の鍵が紛失しています。荷物をいろいろ探したのですが見つかりません。これは「鍵が無く、今直ぐに車の扉は開けられません」という事で、相馬中村神社での事を改めて知らしめる事です。スペアキーがあるという事で後は処理できたのですが未だ鍵は見つからないようです。
 家族に迎えに来てもらう事で、まずは4人で話の花を咲かせました。病(闇)み上がり?病(闇)の中?だったMさんは完全に元気になって回復しています。今回参加して良かったとおっしゃって頂きありがたかったです。

 今日は午前中の訪問地のエネルギーは凄いものがありました。それに対して午後巡った2か所は明らかに違う世界です。光と闇の違いでしょうか。熱日高彦神社で「日暮れに向かうは承知なり。向かい行く。」と選択決断の言葉を伺ったことは少し驚きでした。全ては私たちに委ねられている事を楽しく明るく暖かく果たしていくことでしょうか。良き縁に生かされ善き縁を生きたいものです。
 Kさん達も新幹線にも間に合いまずは良かったです。そしてKさんは福島駅に向かう車で珍しい光を写真に収められたようです。タイミング、そこに目を向ける、直感でしょうか、全ては選択如何です。またまた濃厚な時空間を満喫できました。
イメーシ#12441;

 写真はSさんのブログ「光りと響きとあい」をご覧ください。
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-11312029200.html

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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