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163「選択1」2012,7,30

 7月8日に中山博さんとの陸奥開闢の旅を、お蔭様で実り多い中に終えることが出来ました。最近は旅の翌日、その旅を補追するポイントを巡る旅をすることが恒例になっていて、今回も中山さんにこっそりの旅をお願いしていました。この旅の内容は当日まで私しか分からない、ミステリーの旅です。
 8日に十和田湖に向かう車中で長野の大姉御Kさんから連絡があり、何故か急遽9日のこっそりの旅に参加する為に、その日の夜に仙台に来るという事になりました。8日旅を終えて仙台に着いたのは21時半です。それから旅の反省会ならぬ歓迎の宴です。那須から車で参加していたSさんもその日に帰るのを止めて9日の旅に参加です。宴も盛り上がった頃、これまた何故か秋田の大姉御Mさんに電話をして、明日の旅に呼び出そうという事になりました。実はMさんは風邪をこじらせ肺炎で寝込んでいて、今回の開闢の旅は間際にキャンセルしていました。時間も11時近くでしたでしょうか、寝込んでいる中に電話が通じ、丁々発止、やんや、やんやの内に明日始発で秋田を出てくることになりました。人でなし?集団のすることは非常識が常識の様です。しかし流石女親分は決断力が凄いと皆で感心です。

 結果的に今回の巡りに、直前に中央の主のKさん、北の主のMさん、そして日高見中心と言われた那須の主のSさんも相揃う事がなぜ出来たのか。陸奥の巫女とのお役目を十和田湖で頂いたOさん、Tさんと私と中山さん、そして地元の福島相馬のSさんは当初から同行の予定でしたが、今回巡る地には更に3名の方々が必要であったようです。つまり、それ程のストーリーがあったことだったのかと思ったのでした。

 9日は素晴らしい良い天気です。出発直前の些かの小嵐?はありましたが、秋田からMさんも無事到着し総勢8名が9時にホテル前に揃いました。

 最初の目的地は仙台市内の西方に聳える太白山です。標高321mの小さい山ですが新幹線からも見えて、ちょっと目を引くピラミッドのような形をしています。太白区の太白団地から高速道路を横切る高架橋を越えると様相は一変して、うっそうとした緑の世界です。細い山道を進むとほどなく山頂への登山道です。そこに車を置いて、10分ほど登り生出森八幡神社に向かいました。
 太白山は京都の鞍馬山と同様に金星に所縁がある山の様で、「太白星」(金星)が落ちて出来た山、という伝承から太白山の名を持つと言われます。鞍馬が表なら、この太白山が裏のポイントとのことです。私は是まで仙台に42年住んでいますがまったく縁が無く、これまで何故か遠目からいつも目にしていましたが、少し近寄りがたいエネルギーを感じていました。しかし今回の旅はここから始めると直感がありました。数日前に一人で下見に来たのが初めてでした。
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 山の中に入ると違う心地良さがあります。朝の木漏れ陽がキラキラ輝いて穏やかな暖かさで迎えてくれました。去年の地震の影響で神社本殿への最後の登り道で立ち入り禁止のロープが張られています。そこであわ歌を響かせましたが、その時のお言葉です。

「大、大、大の大宇宙は、光りを送り来て、全てに降らせ来たり。
ふる、ふる、ふる、この光を共々参る方々へ、送りておるなり。是より10日の間。(拍手)
しっかり受けて変わり行かれませ。この地の全ても受け取りて、変わりて参る。(拍手)
離れ行く行く多くの霊(たま)は、この場を通して参り行く。
新しきへ参るは光りなり。鋭く、強く、はっきりと致す。」

 お言葉でこの地は「離れ行く行く多くの霊(たま)は、この場を通して参り行く」とあり、中山さんも太白山は鞍馬と対になる、穢されていない重要な場所にあたるようですねとのことです。足取り軽く下りてきました。

 次の目的地は更に西方に進み秋保神社です。由緒には「平安初期の大同三年(西暦808年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社を祀ったと伝えられ、壱千二百年の歴史を有します。時代は下り、今より凡そ五百年前の室町時代には、秋保村領主秋保氏の祖先平盛房が諏訪神社を勧請、熊野神社に代わって秋保郷の守護神とし崇拝しました。・・・」とあります。そして御祭神は健御名方命 (たけみなかたのみこと)です。この地でもあわ歌を響かせましたがその時のお言葉が以下です。

「元なる元へと戻り行き、無(なし)と成られて真と成りたる思いは、この身、この地、この宇宙、全てを統べる元となる。大きなるこの身の働きを、よくよく知りて、只々響きて下され。是よりの道が分かれ行く。」

 蔵王町宮にある刈田嶺神社(白鳥大明神)も坂上田村麻呂所縁の神社です。以下の由来が記されています。
「祭神は日本武尊で、延暦十年(791)、坂上田村麻呂が奥州に侵攻した時、西宮の白鳥神社を合祀したため白鳥大明神と称し、明治元年(1868)には正式に刈田嶺神社と改称しました。朝延や代々の領主によって尊崇を受け、大同元年(806)には二戸の神封を、貞観十一年(869)には従四位下の位をそれぞれ授けられています。この神社の保護および再興に関わった人物としては、藤原清衡(ふじわらのきよひら)、伊達稙宗(だてたねむね)・輝宗(てるむね)・政宗(まさむね)・片倉利休などがおり、永正十一年(1514)、伊達稙宗が、社殿を青麻山から現在地に移しています。現社殿は、享保三年(1718)、片倉利休が領内富豪の浄財を仰いで造営したものと伝えられています。」
 参道を進むうちに正午過ぎの太陽の日差しは益々強烈になって行きます。Sさんが写すカメラ映像は白光で形が消えて行きます。中山さんは靴以外の姿は消えてしまうほどです。私達も撮影してもらいましたが驚きの映像です。本殿裏の白鳥古墳群近くであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「今、ここにありて発し行くは、響きに乗り来た光ぞよ。大きなる宇宙の光なり。この地は光りを発し行き、光の交信いたして参り、伝え行きたる処ぞ。柱を立てるこの地の人を。あれば大きく変わり行く。あなた様よりお伝え下され。(拍手)あい、分かりたり、ありがたき。」

 お言葉で「柱を立てるこの地の人を」とありました。隣の白石市のIさんに後日その旨お伝えしてお役目お願いいたしました。宇宙よりの大きな光を受け、きっと大きく変わることでしょう。
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 隣町の大河原町の大高山神社は直ぐ近くです。御由緒には「人皇三十代敏達天皇の元年(五七一年)日本武尊を祭神として創建されたが、推古天皇の御守、橘豊日尊(三一代用明天皇、聖徳太子の父君)を合祀された。
 縁起書、安永風土記、観蹟聞老志などを併せ見ることによって、日本武尊が夷賊征伐の際、この地に仮に宮を建てて住んだので、その跡地に白鳥大明神として日本武尊を奉祭した。」とあります。かなり古い神社です。ここでもあわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。

「伝え行くこれよりの日々は、光と闇との大きなしのぎあいなり。皆々様の発する光は、大きなる力と成り行きて、闇に入りても光行く。堂々たる響きにて、発して下され。歌は益々拡がり行く。」

 これからは光と闇のしのぎ合いです。いよいよ大事な局面であり、しっかりした響きを発して行く役割があるようです。

写真はSさんのブログ「光りと響きとあい」をご覧ください。
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-11307183934.html
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-11309565478.html

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
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