FC2ブログ

162「戸開き3」2012,7,25

 陸奥開闢の旅2日目はとても良い天気になりました。八戸市内を眺望できる高台のホテルから定時に出発しました。目指すは五戸町にある地蔵岱の地蔵尊です。地蔵公園の駐車場に着くと、青森から参加の方々の2台の車が丁度後ろから来て一緒になりました。昨日の天台寺で秋田からきたSさんと合流した時と同じでジャストタイムです。1度ならずも2度までもあるとは驚きです。
 善良な働き者の酒屋の奉公人だった男が、八戸への仕事の帰り道に吹雪に遭い亡くなりました。暫くして彼の冥福を祈る為に、今から200年ほど前に酒屋の主人が建立したものです。六角堂の中に地蔵様が祀られています。私達が行った時にお堂には地元のおばあさんが一人おられました。中山さんとお話しましたのですが、方言が良くわかりません。何か大きなお助けを頂いているようで熱心なお参りをされている方でした。お堂の前で、青森の方々5人を中に囲んであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「ありがとう、熱き血潮感じたり。大きなる響きは、この地にある数々の御霊を振るいたり。これより参る、膿深きへ拡がり行きて、遙かなり。ありがたき。」
IMG_0172.jpg 201207080855000.jpg

 五戸町から新郷村に向かう町はずれに新山神社・夫婦神社があります。860年に勧請したのが始まりとありますが、社殿の彫り物は驚きの数々で、至る所に龍、獅子などがいますがこんなところでこれほどの見事な龍が、と思うものでした。社殿奥にはケヤキとエゾエノキが一体となった夫婦ご神木と言われる巨木があり、そこに夫婦神社の社が祀られていました。光が木々を通して柔らかな心地良い風を誘い、身心が喜びを感じてくる世界です。ご神木を前にあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

「これより参る新しき時は、皆々様の真の想いの契りなり。光と共に現れ出でる真を、互いに知りれば、繋がり行きて嬉しきとなれる。今、今のことに囚われず新しきへ参りませ。」

 契りとは、契約のことでしょうか。キリスト教的な感じがすると中山さんが話されましたが、ここから数キロ先、十和田湖より、新郷村にキリストの墓と言われる場所があります。そんな影響もあるのかもしれません。
IMG_0176.jpg IMG_0179.jpg 201207080934001.jpg 201207080958000.jpg
 
 五戸の町の方に戻り、五戸高校の後ろにある根岸八幡宮が次なる目的地です。誉田別命をお祀りしていますが、ここの神社も素晴らしい龍の彫り物に目を奪われます。どこもかしこも龍だらけで、よほどの彫り物師と依頼主の思いがあるのでしょう。そしてご神木の樹齢470年のイチイの巨木は素晴らしい枝振りです。イチイの木の中で円陣を組んであわ歌を歌いました。

「明日への大きな力となされ。皆々が歌いて、響きて送りたるこの光を持ちて、遥かな時へつつがなく参られませ。この地と共々にこれまでありがとう、これよりもありがとう。」
IMG_0192.jpg IMG_0193.jpg

 五戸の次は六戸です。六戸の町を抜けると熊野神社の鳥居に向かって道路はまっすぐに進みます。少し身体が重い感じで参道の階段を上って行きます。この神社の御祭神はイザナギ命とイザナミ命で熊野三社とは関係が無いようです。神社の由緒書きには以下のように記されています。
『本神社は、坂上田村麻呂が蝦夷平定の勅命を奉じ、陸奥の地へ下向、此の地に滞在の際、延暦23年、住民をして一の堂宇を建立せしめ雌雄の鷹の羽にて作りし拝領の矢二本をイザナギ・イザナミ二神の御霊代として鎮祭し、熊野大明神と称え奉り崇敬の古社なりしも、明治5年神仏仕分の際、手続きの不備の為、明治6年5月廃社となり、明治13年復社願し、同年8月9日無格社として聞き届けられ、昭和6年村社に列せられる。』
 本殿前であわ歌を歌わせていただきました。その時のお言葉です。

「歌の響きは大きく拡がりて、ここに光は参り来て、皆々様へと下り来たりたり。(拍手)嬉しきなり。」

 歌の響きと下りた光に素直に喜んで受け入れて頂けたようです。帰りの階段は足取りも軽く、光を楽しみながらの帰路でした。
IMG_0203.jpg IMG_0204.jpg

 六戸の次は七戸です。七戸町の郊外には東北新幹線七戸十和田駅が2年ほど前に新設されかなりの賑わいを見せています。七戸城は南北朝時代に南朝側の軍事的拠点として築城され、統一後は七戸南部氏の居城として栄えましたが、前日に訪れた一戸町九戸城での九戸政実の九戸の乱に、七戸氏は九戸方として参戦して敗北してしまいます。そして斬首され九戸南部氏は滅亡し、廃城されています。やがて南部藩の北の守り、津軽氏への抑えとして重要視され、盛岡藩から七戸藩として分置され、戊辰戦争では奥州越列藩同盟に参加しますが再び敗れます。明治維新後は七戸藩庁もおかれました。

 予定では七戸城跡を先に訪れる予定でしたが、何故か城址のすぐ近くの丘の上にある天王(てんのう)神社に先に行きました。急な自動車道を登り本殿近くまで車を乗り入れました。既にその時に1組のご夫婦が参拝していて、奥様が暫く電話していました。ご主人は6台もの車で乗りいれた我々を興味深そうに見ていました。全員そろって歌を歌おうとした時に、その奥様が私達の同行の仲間のOさんに近寄り、まじまじと顔を見ながら彼女に「・・ちゃんでない?」と名前を呼びかけるではありませんか。Oさんは始めきょとんとしていましたが、相手が誰か気付いたのか驚きの声を上げて抱き合うではありませんか。その方は学生時代の同級生で20数年振りに偶然?逢う事になりました。奥様は八戸に住んでいて、その日の朝に急に思い立って七戸に観光に来たそうです。彼女は岐阜在住のOさんがなぜ、些か怪しげなグループの一員でこの地に来ているのか、なぜ?なぜ?と矢継ぎ早に出逢いの驚きに声を発しています。
 これは果たして偶然の事なのでしょうか。この天王神社での出逢いや、2日続けてのジャストインタイムでの合流といい、この地を治める大きなる存在からすると、予測できない、計り知れない事を起こすのは何ら難しいことではないという事、人智を超える驚きの事が、常に必要な役割を果たす人には、次元を超えてその現象化が当たり前に起きることを改めて教えて下さったようでした。

 天王神社は牛頭天王(素盞嗚尊)が勧請されていますが、七戸城から見て北東の方角の鬼門鎮護の守護神だったとも考えられます。明治の神仏分離令時に須賀神社となり、のちに改めて天王神社となっています。てんのう神社という、天皇でなく天王と表記される本殿前であわ歌を歌わせて頂きました。その時のお言葉です。

「持ち来る光は響きと共に輝き行くなり。これよりそれぞれその身を持ちて、響きて輝きなされよ。」
IMG_0207.jpg

 光が南西の方向にある七戸城跡に降り注いでいます。さながらその地へ早く参る様に誘われているようです。城跡は柏葉公園として整備され、神明宮があり神社奥には樹齢八百年?の巨大な御神木、樅の木と杉の木の二本あります。光が燦々と降り注ぎすこぶる気持ちが良い場です。公園奥の円錐形の綺麗な丘に自然に足が引き寄せられます。全員その丘に上がってあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

「明らかなる大きなる光を、是よりこの地に現す時は迫り来たり。本日の是よりも合わせ、皆々様の響きをお待ち申す。」
IMG_0208.jpg IMG_0211.jpg

 皆さん晴やいで輝きが増したようです。丘に上がることを何故か拒否していたTさんも様変わりで綺麗に吹っ切れたようです。この城には蛇の伝説がありここから北に祀る千曳神社との繋がりが深いようです。千曳神社には前回の今年3月10日の陸奥開闢の旅の最後に訪れたところです。七戸城で予定の戸の付く個所は終わりです。

 昼食は十和田市を抜けて十和田湖へ向かう途中にある道の駅奥入瀬のビール館です。優雅な昼食を頂き、十和田神社をめざします。奥入瀬渓流は渓流の水の勢いと清冽な流のコントラスト、青々として樹木の発するエネルギーは凄く心地良い世界です。車中、中山さんとお話していて急遽、石ヶ戸で停車することになりました。実はここが秘められた最後の戸の場所でした。
 石ヶ戸はかつらの巨木と10m程の巨石が作る岩屋で「鬼神のお松」伝説があります。ここで中山さんがTさんとOさんの二人の女性を指名して儀式がなされました。お二人は七戸で些か変化があった方々です。そこでのお言葉は以下でした。

「立なされよ。この地の巫女よ、夢は是より開き行く。(拍手)あいの大き水、三度召されよ。」
 二人は清流の天意(あい)の大きい水を手ですくうようにして3度召しました。このことにより、ふたりはこの陸奥の地の神の巫女としてのお役目を果たすことになったようです。果たして如何になりますでしょうか。
IMG_0213.jpg IMG_0215.jpg

 十和田湖畔休屋のホテル、旅館の多くが閉鎖されかつての面影がありません。十和田神社を参拝し、奥山にある青龍神社を訪れました。お宮の扉を開けると卵が2個あります。OさんとTさんは共に酉年生まれで、龍の卵ならぬ卵が2個お供えされてあるとは、少し出来過ぎです。お二人の巫女を前にしてあわ歌を歌いました。そこでのお言葉です。

「開きたる扉は、是より今までの全てを出だす。(拍手)これ皆々、この身は承りおく。(拍手)その後、光を送るは新しきへ進む皆々様なり。その事、是よりお知らせ致すは、こちらの二人。しっかり受けられて、一杯の力を頼みます。(拍手)みーいーやーうー」
IMG_0219.jpg 201207081625000.jpg

 しっかりと扉は開かれ、今までの全ては出され、新しきへ進む方には光が送られる。その事を伝える役目を二人が果たされることが明らかになったようです。めでたきことです。
 戸開きは完了しました。最後の目的地、秋田県鹿野市の大湯環状列石へ向かいました。
 丁度陽が傾き夕暮れ前の心地良い風がその地を吹き、光がキラキラ輝いていました。環状列石の中であわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

「さあさあ、皆々様にて手拍子を、3つを3度、その後5つ、最後に7つお願い申す。(手拍子)あーいー、響きたり、ありがとう。」

 縄文の頃の響きが3,3,3,5,7と拡がりました。天と地と人が結ばれたような感じです。三、五、七の響きの中で「みこなる」と開き結ばれたのでしょう。みこなる、巫女なる。石ヶ戸で巫女の儀式がなされ、3次元、5次元、7次元を繋ぐ柱、扉開きを祝うエンディングには大湯環状列石が用意されていたようです。そして鹿角市から参加していたSさんの存在も大きかったようで、すべては丁度良いようです。そして次なる旅への序章の幕を目出度く降ろされました。
IMG_0222.jpg 201207081759000.jpg IMG_0229.jpg 201207081742000.jpg 201207081756000.jpg 201207081809001.jpg
 以下は余談で、関係があるか分かりませんが他からの引用です。
 3,5,7は奇数で「陽数」といって縁起のいい数という考え方があります。神道系のある説によると、今の世の天地律そのものが「七五三」の律動で、「三五七」が「正律」で、七五三は「逆律」で本来の天地のリズムとは真逆なのだと言います。ですから本来の根本律が真逆で世が進めば進むほど、それに準拠しているこの世のすべてにおいて混迷を深め行き詰まるのは理の当然。これを根本から正すに、本来の「三五七」のリズムに戻さなければならない。そのため我が国では幕末、明治から、そのための「立て替え」「立て直し」が徐々に進行してきた。そして近未来「世の大峠」を迎えることにより、逆律から正律への切り替えが為され、天地のリズムは三五七になるだろうと言うことです。

※ツアーにご参加のS氏のブログ報告もご覧下さい。
光と響きとあい

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

RSSリンクの表示
最新記事
最新コメント
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QRコード
FC2カウンター