FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

161「戸開き2」2012,7,20

 古代最北の仏教文化の中心であった天台寺は大きなお寺です。なぜにこれほどの寺を700年代初めに、蝦夷の辺境のまつろわぬこの地に建立する必要があったのか。聖武天皇が行基に命じて開山させ、やがて天台寺と天台宗のそのものの名を頂き、南北朝時代の南朝の98代の天皇の慶長天皇陵もあります。やがて南部氏の保護を受け室町時代には糠部三十三観音の一番札所と隆盛を極めたようです。今回の陸奥開闢の旅で本州最北の地へ足を入れ、戸開きを開始するにはこの地からがふさわしかったと思います。
 お言葉にも「これよりこの地の力、北の大きなる星の力合わせて、元なる地へ」とあります。北の大きなる星とは北極星でしょうか。そしてそれにまつわる北斗七星です。

 次なる目的地は一戸町にある御所野縄文遺跡です。縄文中期の広大な遺跡で、駐車場から施設に入る入口はユニークです。谷を越える「ききき(木奇喜)のつり橋」は名前そのままで喜びながら橋を渡って行きますが、さながらタイムスリップするトンネルです。
IMG_0126.jpg DSC00382.jpg 201207071147000.jpg

そして渡りきると広大な緑の安らぎの世界が拡がり、その解放感に皆大喜びです。太陽が喜びの光を降り注ぎ、心がワクワク響きます。自然豊かなこんな世界で過ごしていたかつての遺伝子が蘇ります。竪穴住居の中であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「古き時には、大きな身ここにありて、共々にこの地を楽しみたり。皆々申すは、合って、打つ打つ、響き、打つ、あって、あって、祈りて参りて過ごしたり。ここに集うは皆々、遥けきへの旅の友ぞ、ありがたき。」

 音あり、響きあり、光あり、身体が歓喜の動きが起きてきます。かつて遙か古の時を共にした仲間が今、此処に集って、この地のエネルギーに触発されたようです。皆さんで頂くお弁当もとても美味しいものでした。山形のNさん差し入れの桐箱いりのさくらんぼが殊の外美味しく、全てに満たされた至福の時を楽しめました。
201207071151000.jpg 201207071150000.jpg DSC00390.jpg

 午後1番の目的地は同じ一戸町で程近い鳥越観音です。国道に巨大な鳥居がありますがかなり細い山道を登って駐車場にたどり着きます。そこから数分更に山道を登ると仁王門があり大きな岩山の岸壁に階段があり、岸壁の途中のくぼみに岩屋、祠があります。平安前期に慈覚大師が開いたと言われ、慈覚大師作の観音像をお祀りしています。戸を開けて拝殿に入り灯明を灯してあわ歌を頂きました。そこでのお言葉です。

「訪ねたるこの山、この地は二つなる身を持ちて過ごし来たり。一つは、この地に降り来る大きなる光、地へと繋ぎる古き岩ぞ。一つは、この岩の中にある新しき力なり。この地に新しき教えと共に、探し来るものに使われて大事なる光を闇へと吸われてきた。今よりここへも光を送りて、北の大きなる星と繋がんといたす。何卒響きて光を頼みたし。歌に乗り来るは大きなり。(拍手)生まれ出で来る古き身が待ちております。(拍手)届く光を永き時待ちたり。(拍手)荒みてあるこの地を遙かなる大きな元へと帰すなり。(拍手)旅は始まりこれよりぞ。共々、共々参ろうぞ。」

 意味深い内容が語られました。北の大きなる星と繋ぐ地です。大変な穴場でした。
DSC00395.jpg DSC00398.jpg 201207071341000.jpg IMG_0138.jpg

 引き続き訪れたのは二戸市にある九戸城跡です。南部藩九戸政実の居城で九戸の乱の地です。南部藩の世継ぎ問題が発端でしたが豊臣秀吉の奥州仕置に反発した戦でした。豊臣方軍勢6万に九戸勢5千での戦は偽りの和睦で敗れ、九戸一族は悉く殺され、九戸城は多くの屍の山と成ったようです。中世史終演の場であった九戸城は当時の面影も無く、ひっそりとしていて、今は綺麗に整備されていました。
 アテルイと坂上田村麻呂、政実と秀吉と、北の豊かな地と民は中央の支配下に置かれていきます。城の入り口には九曜紋の登り旗がたなびき、城の案内表紙には城跡に煌々と輝く満月があり印象的でした。九戸城本丸跡で九曜紋所縁の4人を中に囲んで、あわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。

「うつしたるこの響きと光を持ちて皆々、差別も区別も無しと致して参り来れよ。届きたるや光は。(拍手)生みたるこの地のこの中にある皆々、それぞれ果たしたるそれぞれの分を持ちておる。一つとなるは膿を取りたればなり。(拍手)あーいー、どうぞこの身を使われて参られよ。あーいー、ふるふるふる。(拍手)尽きせぬ思いも共に参られ。」

 一つと成るには膿を取りださなければならないようです。果たして如何に成りましょうか。お城の草むらの中からTさんが四葉のクロ-バーを見つけました。ありがたきお知らせかもしれません。
IMG_0298.jpg 201207071502000.jpg IMG_0142.jpg

 九戸村にある九戸神社は842年創建で九戸地方の総鎮守、九戸家代々が大切にした神社です。この神社は天之御中主神を御祭神とし、社紋も九曜紋ですが中の丸が三日月なのです。参道を進む足は些か重い感じです。拝殿前で皆さんで響かせました。そこでのお言葉です。

「出でませこの地の大きなる身、開きませこの扉、大いなる時巡り来たりた。只今、是よりなり。さあさあ、この地の全てをここに現しなされ。響き光を受け取りたる方々、参られませ、皆々光へ。」
DSC00410.jpg IMG_0150.jpg
 三戸南部氏は南部宗家で、三戸町にある三戸城は南部藩が盛岡に移るまでの本拠地で小高い山の上にあります。家紋は向い鶴に九曜紋です。桜の名所の城跡にある糠部神社の脇の心地良き場であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「これよりこの地の扉をことごとく開き行けば、古きは出でて光と共に消え行きたる。その後に暖かき、優しき出でまして、大きなるこの北の地は元へ帰る。楽しみなり。」

「大きなる北の地は元に帰る。楽しみなり。」将にその通りです。

IMG_0156.jpg
 
 八戸市は青森県南部の拠点都市で八戸南部藩のあったところです。三戸から八戸に向かい、市街地に入る手前に櫛引八幡宮があります。南部藩総鎮守で創記には以下のようにあります。
「櫛引八幡宮は南部家初代光行公の草創と伝えられる。
南部家文書(八戸根城南部家・『八戸家系』、『八戸家傳記』)によると、 文治5年平泉合戦(1189年)に戦功をたてた光行公は源頼朝から糠部郡(ぬかのぶのこおり、 岩手県北部・青森県東部の広大な地域)を拝領し建久2年(1191年)に入部、 後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持せしめ、霊地をトして櫛引村に 宮社を造営し武運長久を祈ったという。」
 境内の杉の巨木を囲んであわ歌を響かせました。
IMG_0165.jpg DSC00420.jpg
「響きに乗り来る光は皆々様へ降る降る降るなり、降り来るなり。続きて響きてその身に光を、大きなる身となり行きなされませ。」

 八戸市内中心部の長者山にある新羅神社にたどり着いたころは日も暮れかかっていました。祭神は素佐鳴尊と新羅三郎源義光です。社殿奥の林の中であわ歌を響かせましたが、柏手を打つと同時にカラスの大群が飛び立ち、やぶ蚊の襲来を受ける中の響き合いでした。
IMG_0168.jpg IMG_0166.jpg

 そこでのお言葉です。

「届いて久しきこの地の元は、これより降り来る光を持ちて新たなる扉開き行く。皆々立ちて参りましょうぞ。大きなり、この地、この海。」

 「新たなる扉開きて行く」ことが出来そうです。ありがたきことです。これにて今日の訪問地を無事に巡ることが出来ました。ホテルに入り楽しき宴で英気を養い明日からの戸開きへと進みます。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

RSSリンクの表示
最新記事
最新コメント
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QRコード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。