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160「戸開き1」2012,7,14

 九州地方には経験したことのない大雨が降り注ぎ、甚大な被害が出ています。7月11日には小沢一郎氏が新党を立ち上げ、政界の再編へと渾沌を増しています。全てが予定通りの変化真っ只中です。全ては経験したことが無い変化が起きる時を迎えたようです。

 7月6日はあわ歌会、あわ歌50回の集いでした。しかし、私は朝から長野へ出かけていました。というのは生体システム実践研究会の本部勉強会が午後からあり、宮城支部が今月の当番で、勉強会の中で実践報告をすることを私が指名されていました。宮城支部長として受けざるを得ず、急遽出かけることになりました。1日目勉強会の佐藤政二先生講義の後に、私の発表がありましたが40分間のお話を無事に終える事が出来ました。引き続きあった、佐藤政二先生の講義を聞きたいのは山々でしたが、すぐに帰ってきました。
 天命舎に7時半頃に着くと皆さん円形に座りあわ歌熱唱中でした。中山さんと一人ずつ向きあい座り2回ずつ歌を歌い交代していました。私も20回程歌えましたが、最後に私が向き合い座って終了です。あわ歌50回で頂いたお言葉は以下です。

「遙かかなたより 遙かな時を越えてこの宇宙へ飛び来る、今にここに在る光の子、ここにて大事なる事となりました。
 光の子は多くの小さな子と共々一つとなることと成りました。そのため、光の子は沢山の光の子が必要です。
 皆々を集めるためには、このあわ歌の響きを宇宙に響かせないと集められません。この地の人々が響きを発することが必要です。
 この地が出来ることです。どうぞ響かせて下さい。そうすれば光の子は集まって小さな子に結びついて、一つと成って皆々を光となし、輝かせます。
 この宇宙が輝きて明るき時なりゆけば、はるけき旅を続けて嬉しきと成り行き、全き新しきへと参ります。
 それこそ皆々様の楽しき、嬉しきなり。皆々様が共々に光へ参る時と成り行く、どうぞ是よりその身が響きて下されませ。」

 この様な物語的なお言葉は初めてでした。絵を描いて挿絵を加えたら絵本が出来そうです。「皆々を集めるためには、このあわ歌の響きを宇宙に響かせないと集められません。この地の人々が響きを発することが必要です。」とあります。そうすることで楽しき嬉しきの新しき世界へ向かえる。あわ歌に縁した人が響かせることで、人だけでなくその地、そのものの存在も含めて光と成って輝いていくのでしょう。翌日からの陸奥開闢の旅もこの思いで臨むことを伝えて頂いたようです。
201207061955000.jpg

 懇親会へ向かうころはかなり強い雨でしたが楽しく皆さんで多くの事を分かち合う事が出来ました。翌日7日は七夕、いよいよ陸奥開闢の旅です。朝も雨模様でしたが7時過ぎには仙台駅に皆さん集合して3台の車に分乗して出発です。

 今回の旅の始まり、きっかけは3月9日からの陸奥開闢の旅の時に青森県の「日本中央の碑」で頂いた言葉でした。 

「晴れてここに伝えます。遠き時を過ごし来て、再びこの北の地に真を現し、全てを、全てを大き身元の光と共に致すなり。嬉しきなり、ありがたき。(拍手)離れし皆々再びこの地を一つと成れり。(拍手)多くの先人、皆々戻れや、ここに生まるるはその時の想いなり。(拍手)開きましょうぞ、この周りの扉、皆々開けよう。(拍手)うおーい、うおーい、うおーい。(拍手)ふつなるはここにあり。送るは新しき気なり。(拍手)あーい。(拍手)」

「この周りの扉、皆々開けよう」とあり、扉は戸でもありますので戸を開くことでしょうと理解しました。日本中央の碑は七戸町にありましたが、このあたりには「戸」の付く地名が沢山あります。それらの戸を開くことが北からのエネルギーを中心に送る為に必要なことの様です。中山さんと相談して今度はその旅をすることにしましょうということになりました。
 青森県南部と岩手県北部にはかつて南部藩の領地で糠部(ぬかのぶ)と言われ、この地に「戸」のつく地名が現在も一戸から九戸まで残っています。ただし四戸だけは無いのですが、その由来については平安時代の東北制圧の前線基地に起源を求める考え方や、鎌倉時代の牧場制に関連させる考え方があるようです。
http://www.geocities.jp/jinysd02/he.html
糠部郡の図
 この糠部の九戸と四門の地図を見ると、一戸から七戸は直線的に北に向かっています。その間隔は一日の移動距離に設置していますが、どう見ても西方を防ぐ砦のように思えます。西にあるのは津軽です。その地は最後まで大和朝廷に「まつろわぬ」地であった蝦夷、アラハバキの地です。そのアラハバキの神、鬼神を封じる意味があったように思えます。
 七戸の北の先は陸奥湾で下北半島です。そこの中心に恐山がありますが、下北半島は斧の形で西に刃先が向いたような地形です。
 さらに津軽には、そこを封じる為に坂上田村麻呂が張ったと言われる結界があります。それは北辰妙見信仰による7社が北斗七星のように配置されているのです。
 これらの事は次回の陸奥開闢の旅no4(2012年10月6日から8日開催)に反映することになりますが、今回の陸奥開闢の旅はこの一戸から九戸を巡り、最後は十の字の十和田湖にある十和田神社、そして古の縄文時代の我らが先祖の栄えた遺跡の大湯ストーンサークルで終了の旅です。今回も北極星を中心に北斗信仰、北辰妙見信仰の地が沢山ありました。そこには九曜紋は配されています。

 車は一路、八戸自動車道の浄法寺インターを目指します。雨も上がり晴れ間も現れ、北の地は我々の旅を心良く受け入れてくれたようです。
 最初の目的地は二戸市の天台宗の八葉山天台寺です。天台寺は瀬戸内寂静氏が一時期住職をしていたことでも有名な古刹です。天台寺の駐車場に着くと何と、途中参加の秋田からのSさんの車が丁度すぐ後ろにいるではありませんか。寸分たがわぬ合流に驚きです。インター出口で我々に気付いていたとか。全ては順調で、これからの旅を暗示する善きスタートと言えます。
 天台寺の紹介に以下がありました。
「はるか奈良時代の神亀5年(728年)、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が8つの峰と8つの谷を併せ「八葉山」と名づけ、山中の桂(カツラ)の大木を刻んで本尊の聖観音像(桂泉観世音)を奉り開山したと伝えられる八葉山天台寺。何ゆえにこの僻北の地にかくも大きな寺があり、永年に渡って信仰心に支えられてきたのか、深い謎と神秘に包まれています。」

 本堂裏の林の中であわ歌を皆さんで頂きましたが、最初に私から今回の旅の目的、概要をお話させて頂きました。
 今回は中山さん含め17名の参加です。参加者の住所は東京、埼玉、千葉、栃木、茨城、そして東北6県で東日本の方々がそろっているのです。そして家紋として九曜紋を持つ方が4名です。そこでのお言葉です。
「大いなるこの地に立ちて思う事、清らかにしてそのままで、ただただ嬉しく、それぞれが真を過ごした大きなる地、これよりこの地の力、北の大きなる星の力合わせて、元なる地へと皆々で参りましょうぞ。御頼み申す。」
IMG_0115.jpg IMG_0116.jpg IMG_0117.jpg

 それに先立つ車中で中山さんから頂いたお言葉がこれからの旅の流を理解するに必要かと思いますので附しておきます。
「××家にまつわりておる方々、きっときっと今に大きなる事です。しばらくはその手が続けられますが永くは無理。そこに生れたるは、北の大きな星の力を頂きて、民の力を助すくためなるが、真に非ざるは無しと致す。本日参りたところで北の星と繋ぎ行く。その力を後日発しなされ。」

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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