FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

157「自分物語2」2012,7,4

 講演会の会場では木村農園さんが製造したおこげ煎餅を販売しましたがとても好評です。あっという間に完売です。嬉しいことです。さて休憩の後は、天外伺郎さんのお話です。

「自分の物語を生きる」のテーマですが講演会案内のメッセージには以下が語られていました。
「3.11の後、日本社会は大きく転換した。 予定調和の世界が崩れた混乱の中で、人々は「自分の物語」 を探し始めた。首尾よく見つかれば、どんな状況の中でもしぶとく生きていける。それはまた、「他人の物語」を尊重することにつながる。」

 3,11以降、人は皆、自分の物語を探さざるおえない。これまでは街中の道を歩いていたがその枠組みが今回の災害で崩壊した。今色々な物語が起きていて今までの景色が変わった。自分で自らの道を探し歩く必要が出来てきた。歩ける人は草原でもどこでも大丈夫。自分で物語を生きられる人は周りがどうでも生きて行ける。どんな状況でも楽しみを見つけ、食糧を見つけ、作れる。しかし自分の物語を持っているが、それを生きていない人がほとんどだ。なぜなら社会や世間の物語を生きないと除け者にされてしまう。でも世間様に顔向けが出来ないという生き方は何か起きた時に破綻する。それは都会の人がアフリカのサバンナの草原に置かれたようなもの。今は自分の物語を押し殺しているのがほとんどで、自分の物語を他人に染めないと心地良くない。それは自分と同じ価値観の人といると良いが違う人といるとダメな人だ。
 女は化粧しない方が良い。化粧すると情動が隠されてしまうのでスッピンが良い。と私は思っている。私にはネイティブインディアンの価値観が入っている。インディアンは人の頭の皮を剥ぐが、植物の葉を取るときにお祈りをする。日本人は何故と思ってしまうがマインドセットが基本的に違う。いろいろな価値観を持っている人達と心地良く生きられるのが自分の物語を持っている人。自分の価値観に合う人だけというのは生きにくい。

 言葉の力、マントラを唱える時に働き、その力を使いこなす。放射能が怖くて逃げている人がいるが、逃げたければ逃げれば良い。何ともないと思って生きて行けば大丈夫で免疫力が高まる。今はここから安全という線引きは無い。自分をデドックススすること。放射能の濃度で心配しているが農薬汚染などの方がはるかに危険が高い。免疫力には精神力が大きく影響する。不安になったら逃げたら良い。不安でなければ居たらよい。各自が各自の物語を生きれば良い。しかし現実はそうなっていない。共存できていない。2者に分かれてしまい両極端でどちらも自分の物語を生きていない。どうしても自分の価値観に相手を染めないと生きられない。
 後期自我を獲得できることで自分の物語を生きることが出来る。自己顕示欲が少なく人間として進化した姿だ。戦って相手を粉砕するような生き方はもう通用しない。公民権運動などでみられるものとガンジーやダライラマのあり様は違う。自分の物語をしっかり生きること。戦って相手を粉砕するような反対運動と違うやり方がある。
 マインドセットは各自にある。インディアンにはモニュメント作る文化がないので人間が生きていた痕跡を残さない。名声が残っても良いが物理的に残ってはダメ。ダムも原発もだめ。だからと言って戦っていく時代ではない。単にそういう想いを持つだけでいい。GDP(国民総生産)からGNH(国民総幸福量)の時代だ。この世の中の変化で「善きことはカタツムリの速度」とはガンジーの言葉で、全ての変化を自分が生きている内に観ようというのはエゴだ。
 天外塾では意識の変容、問題改善の瞑想、感謝の瞑想をおこなっているがエゴの実現は祈らない。そこから離れることを目指す。ビジョンクエストを先日体験した。山の中で3日間断食をする。寝袋と傘の持参はOK。そこで何があっても創造主の意志として受け入れる。霊や動物が入らないように結界を張るが、もし破られたとしてもそれは創造主の意志として受け入れる。全てお任せする。サレンダー(動詞で譲り渡す、降伏する、放棄する、名詞で降伏、降参、自首などの意味を持つ)する。それは神に明け渡す事。キリストに帰依し、阿弥陀仏信仰などであらゆる局面でエゴを出さない。全て自然に出来ることがベスト。委ねきった時の強さがある。それは天に対する無条件の信頼で、もし従業員へも出来たら会社は変わる。条件付き信頼では無理。エゴの祈りをしないことと、天に全てを委ねることは同じ。我々は如何にエゴの生き物か。相手を自分の価値観に染めようとする。そんな自分のエゴに気付いて直すことを目指す。そして自分の生き方、自分の物語を生きること。

 天外さんの講演会の中で話された内容を補足する記事が天外さんのブログに記されていましたので一部引用紹介します。

天外さんのブログから引用
 23日(土)の仙台ホロトロピック・ワールドでの私の講演は「自分の物語を生きる」。ほとんどの人が、それが出来ていない。
 いま私たちは、標識と信号がある整備された道なら何の不都合もなく歩いていける。でも、突然砂漠の真ん中か、アフリカのサバンナに放り出されて地図もなかったら途方に暮れるだろう。「自分の物語」が見えていれば、そんな時でも行くべき方向が見え、食料や水も調達でき、しっかり歩いて行ける。
 3.11は、多くの人をそういう状況に追い込んだ。1年3か月が過ぎて、ある人は自分の人生をしっかり歩み、ある人はいまだにさまよっている。
 じつは、あらゆる人が「自分の物語」を心の底には持っているが、見えていない。何故見えないかと言うと、自分独自の価値観を押し殺して「世間様」の価値観に無理矢理合わせているから・・・。何故そうするかと言うと、世の中全体がひとつの価値観で統一されていないと気持ちが悪いから・・
 自分の物語を生きるということは
1、自分独自の価値観を心の底から発掘して、しっかり接地する。
2、他人に自分の価値観を押し付けない
3、自分と全く違う価値体系を否定せず、違和感を感じない
4、自分と違う価値観を持った人達と仲良く共存できる・・など
 たとえば、私自身は女性はスッピンの方がお化粧したりした時より綺麗だと思うが、それは私独自の美意識であり、世間一般とはずれている。もちろん、良かれと思ってお化粧している女性の美意識は尊重する。世の中とは違う美意識とは接地しているが、他人に同じ美意識を持つこように働きかけはない、ということだ。
 この例だと「当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、原発やTPPを巡る議論を見ていると、お互い相手を認めずに粉砕することばかり主張しており、いっこうにかみ合っていない。こういう議論している人達は、いきなり砂漠の真ん中に置かれたら、立ち往生してしまうだろう。

「自分の物語を生きる」という記事に大きな反響をいただいた(6月27日)。じつはこれと同様の内容は、表現が違うが多くの人が説いている。たとえば、アウシュヴィッツの経験を『夜と霧』に書いて有名なV.フランクルは「実存的危機」といった。これは、社会的に成功して安定した生活を営んでいる人が、ある日突然「自分は何のために生きているのだろう?」「人生の本当の意味は何だろう?」などと悩み始める事を言う。
 私の文脈では、「実存的危機」というのは「世間様の物語」から「自分の物語」へシフトしようともがいている事だ。社会的成功という「世間様の物語」に甘んじているうちは、人生の深みはわからない。
 ユングは「実存的変容」という言葉を使ったが、これも「世間様の物語」から「自分の物語」への変容と考えてよい。「意識の変容」というと、人はすぐ聖人に向かって成長する「いいことだ」と見なすが、「いい/悪い」の判断が入ると判断を間違える。
 たえば、長年良妻賢母で知られた女性が、突然若い男と恋愛に狂う、というのも「実存的変容」だ。世間的には非難されるだろうが、「良妻賢母」が「世間様」の価値観であり、それで自を縛っていた枠を壊す事なのだ。社会に迎合している間は、なかなか「自分の物語」を生きることは難しい。
 自分の魂が純粋になっていないと、「自分の物語」を目指したつもりが、単なるエゴのごり押しや犯罪行為になる危険性もある。

 以上引用でした。講演会の内容を更に良く理解できます。自分の物語を生きることが大きな課題です。
P1150244.jpg P1150245.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

RSSリンクの表示
最新記事
最新コメント
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QRコード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。