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156「自分物語1」2012,6,30

 お蔭様で忙しいというより慌ただしい毎日が続いています。医院での歯科医師としての仕事も6月は10日位で後は元気に動き回っています。お蔭でブログを書く時間も無い状態です。久しぶりに2日間続けて仙台にいて懸案事項をこなしています。そして一段落ついて書きはじめています。
 6月23日からは2年ぶりに天外伺郎さんが代表を務めるホロトロピックネットワークと共催の恒例仙台講演会とバスの旅を開催しました。今回のテーマは「自分の物語を生きる」です。昨年の東日本大震災の復興に向けてチャリティーで講演会参加費は無料での開催でした。ゲストスピーカーは天外伺郎さんと野口法蔵さんで、ボランティアでお越し頂きました。ホロトロの事務局の皆さんも含めてご尽力、協力頂きました。ありがとうございました。お蔭様で楽しく内容濃い時間を過ごす事が出来ました。かいつまんで内容をご紹介します。

 野口法蔵さんは座禅断食の私の師でこれまで数知れない行、業を積んで来られた臨済宗のお坊様です。今回のお話のテーマは「起死回生 災いなして福となす」です。
 セミナー案内では「古来、良寛禅師や弘法大師は災難をして人間が天より授かった修行だと言っている。そして、災いを災いでなくすのはひどい現実の上でも心次第としている。それは災難ばかりではなく個人に関わる問題でも同じでありどうやって心を保つかを経験から探ってみたい。」と投げかけられました。以下が講演の要旨です。

 死して死者としての魂は残り、又生まれて生へ回る。全ての生き物は生まれ変わる。インドで死と逢い、身を投じた経験があるので自分では対応できる。
 災害に逢い各自がそれを受けてどう変わるのか。変わらないとしたらそれは大したことでないもの。変わらざるおえない経験に逢ったらやれることはやる。
 自分は坊さんになって変わった。得度とは仏教徒になったこと。それは慎ましく暮らすことで特別なことではない。カメラマンとして戦地で、又インドで死んでいく人を沢山観た。人間はどうなって行くのか。それがはっきりしたら自分の人生がはっきりすると思った。インドに行ったのは自分が変わりたかったから。そこでマザーテレサの生き方に出逢った。そしてラダックで修行して坊さんになり、日本に帰ってきた。そして断食を始めた。そこで得られるものを食べられない人達の為に役立てたいと思った。

 北朝鮮の飢餓の子供救済に行った。六道輪廻の餓鬼道の世界がこの世にあった。それを見たが救う方法は無い。食べさせながら懐で死なせることでしかなかった。しかし亡くなるがこの子は再生すると思っていた。キリスト教で救済活動していたところがあった。北朝鮮から中国に逃げる人達を保護して、食べさせて復活させていた。そこではフェアーでないやり方をしていた。お祈りをしないと食べ物を与えない。お祈りに応じた量を与え、感謝させながらゆっくり食べさせ、助かるとクリシチャンになって行く。
 自分の物語を生きる為に北朝鮮に行った。それは国境なき医師団のアプローチだった。その時スパイ容疑で拘束された。拘束は二度目で、最初はラダックで中国スパイ容疑だった。チベットの坊さんになり立てだった。諦め、背負っているものを取り払い独りになって坐っていた。その時自分だけになるととても物事が上手く進むことが良く分かった。相手は坊さんだということで信用してくれた。逆境で自分が心地良いことを相手が言ってくれた。シンプルに身を置いておくのが人生で一番良い方法だと思う。

 日本に帰ってきて、その事を忘れない為に五体投地礼を続けている。しかし、慣れがでると忘れることが多い。美味しいものを食べるのが当たり前になってしまうので、地道に百姓をし、馬を飼った。最近、落馬して頭を打って一部記憶をなくしてしまった。
 全てを白紙に戻れたら良いが、五体投地もゼロに出来ない。小さなことで感動があるのが良い。外に求めない中で、この世で自分の動きを考えるのが理想だった。滝行をしているが、体に厳しさを呼び戻させるし、メッセージをもらう。最初は感動したがだんだんその感動が薄れてきている。只々畏敬の念でしている。最近は滝の周りのものに気を遣ってやっている。コケ類を踏まない、剥がさない。牧野富太郎や南方熊楠など植物学の先人の教えがある。霊性に触れるには独りですること、午前2時から3時の1時間が良い。
 
 昨年の地震津波で被災地に来た。仏教の世界で空海は「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し」の言葉を残している。3度繰り返すのは無限の事を表すが、何度生まれ、死んでも同じことをしているがそこに果たして進歩はあるのか。
 又「メメントモリ(死を忘れるな)」という言葉がある。自分が死すべきものである、と無常を表している。(キリスト教では聖書イザヤ書にあり「食べ、飲もう。我々は明日死ぬのだから」とある。今を楽しめという趣旨でも使われる。)
 キリスト教における断食ではベネディクト派修道院で7日間行われる。ビジョンクエストはネイティブアメリカンの手法だ。朝昼晩祈りを欠かさずに、健康法としての断食をし、妙好人(みょうこうじん)として信仰が深くなれるが、今何故か自分は仏教でなくカソリックに求めているものがある。
 空海の先ほどの言葉が起死回生となる。自分が前より良くなって生きて行くことの繰り返し。それを各自の方法で独りになって考える。灯明を見ながら静かに坐っていると自分にあったものが出てくる。じっと静かにしているだけで気づく。それに気付いて、それでもジタバタする。そこまで人間は苦しむ。

 地蔵菩薩を大槌町に送った。昨年花巻に宮沢賢治の会があり来る機会があり、その時に知り合いの国連職員が大槌町の復興支援のスタッフとして赴任していて、彼女に会いに町に行った。そこで自分が持っていた地蔵菩薩を寄贈することになった。仮設住宅で他に希望するところがあり51体の同じ姿の地蔵菩薩を送った。そして復興の1つとして根付いて1年が経った。明日それを見に行く。
 地蔵菩薩は最初はただの石なのに拝んでいくうちにだんだん石でなくなる。どれくらい拝んだかで変わってくる。偶像はある意味で素晴らしい。周りの影響を受ける。優しい言葉をかけておくと良い。嫌な人にも良い言葉を口に出しておくと、相手が害さなくなる。相手の健康長寿を願って上げることが祈祷の基本で、相手が早く亡くなってくれる。健康を祈願することで相手が変わる。これは普通の人には伝授しない。災害に逢い、敵が出来れば出来るほど相手にとって良いことを言ってあげるとこちらに良いこととなる。

 自殺者の葬儀、供養を頼まれた。そう簡単には浮かばれない。肉親が49日間お経をあげることで変わって行く。1週間ごとに遺影の写真が変わって行く。相が変わって行くが、それを見ることで今どこにいるのか、どのレベルか分かる。
 以前に弟子をとったことがあった。何もない堂の中に仏像を置き、行をさせたが仏像がどんどん貧相になった。身体は出来てきたが、冬があけ暖かくなると色々な事が頭に浮かぶがその時、仏様は助力しなかった。結局弟子は逃げ出して居なくなった。仏様は怖い。気に入らない者はダメ。
 大槌の51体の仏像は顔が変わっているだろう。地蔵菩薩は子供のようなもので、これは日本だけで鎌倉時代からそうなった。平安時代では地獄の仏で観音菩薩様の方に行くか、閻魔様の方に行くか決める役目だった。やがて念仏信仰が出て地蔵はなくなったが足利時代でまた変わり、地獄から救済する働きでお坊様の姿、恰好に変わった。難しい死に方をした人を救済したいという存在だ。
 地蔵十輪経にはハッとする文言がある。地蔵が上手くやってくれる。地蔵菩薩本願経には28種利益が説かれている。水難や火災を免れる。女性から男性になれる。先祖が苦しみから解放される。夜は夢が楽しめる。諸々の理不尽なことが消滅していく。幸福になる運命の人生を授かる。等。どれくらい自分が空っぽになり、信仰心が高まったかということを人生の修行としている。

 自分の物語を生きる。日々考え直して坐禅をしている。滝行をして、2時間坐禅をしているが、心地良く何も無くなってすっきりする。坐禅には深いものがある。坐禅、されど坐禅。坐禅は信仰を高めないと言われてきたがそうではないと思う。20分の坐禅で後頭部、背中を水で濡らして座ると変わる。いろいろ工夫すると良い。坐禅は自律神経でしている。20分の滝行をすると憑き物が抜ける。
 菜食をするといのちの展開変わる。お経を唱えること。般若心経は頭を空にする。観音経は困難を逃れることが出来る。これらの坐禅、菜食、お経の3つを行う事で人間は変われる。何をしても良いが、修行するか、修行を放棄するか、してもしなくても人生で色々な事が起きる。首が曲がると体調が崩れる前兆。鬱の人の曲がりなど独特な失調がある。意図的に伸ばす。

 各自が各自の物語を生きるしかない。自分の生き方を自分で探す。他者に聞くものではない。各自の生き方が顔に背中に出ている。その人の物語がにじみ出す。
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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
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