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151「開闢2」2012,5,14

 二本松市にある隠津島神社は木幡山一帯が神域となる広大な広さです。中腹の駐車場から参道を登ると樹齢800年の大杉があります。三重塔、本殿と巡り、更に山の頂上近くの経塚まで登り、そこであわ歌を響かせました。 
「さあさあ皆様、この時成るぞ。どんどん進みて参られませ。その身の想いも皆々持ちて、この時、この光の中へ参られませ。(拍手)さあーさあーさあー。」
 いい汗をかいて食後の運動になりました。
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 飯野町の千貫森は古代ピラミッドと言われる綺麗な円錐形の山で、UFOが飛来することで有名です。UFOふれあい館でこの山の不思議情報を入手して一路頂上を目指します。山道の要所に宇宙人が居て迎えてくれます。とても磁場的に不思議なところで、多くの方が変な乱れを受けています。山頂展望台脇の金属球体のある処であわ歌を響かせました。 ここは天からのエネルギー送られるポイントのようで、ある方のカメラには明らかな光線が下りる写真が写っていました。そこでのお言葉は以下です。
「あー、うー、みー、うー、むー、うー、るー。いー、うー、まー、るー。」
 これは弥栄開闢小唄?(いやさかかいびゃくこうた)と名付けられて、光りを降ろす有効な言葉の様で、翌日から各所でこの言葉を頂くことになりました。
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 夕闇が迫る中、伊達市霊山の宿に車を進めますが、宿の手前にある虎捕山山津見神社に寄りました。今回の旅では参考のために放射線測定器を持参して巡っていましたがどうやらここ飯館村が最高値を示しました。あわ歌無しで即お伝えがありその時のお言葉です。
「申し上げまする。再びこの事、成し行くは、嬉しき成るなり。光と成り行くこの時なるを知りたり。只々皆々に御礼申す。生み出だすは古き諸々受けて下され。(拍手)光の中に参りませ。引き受け申すなり。(拍手)全てをゆだねて参る。」
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 伊達市の霊山中腹の宿は私達だけ貸切状態です。遅くまで語り合い楽しみを深めましたが、翌日の山登りに備えて早目の就寝です。

 30日も良い天気に恵まれました。7時半過ぎに宿を出て霊山登山口は車で数分です。ゆっくりしたペースで登りました。各所に素晴らしい見どころが沢山です。宝寿台、見下し岩、日暮岩、親不知子不知、護摩壇を巡り霊山城跡に2時間弱で着きました。西物見岩付近であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「大きなる響きと光を承りたり。ありがたき。ここにあるを思い返して、今お願い申す。この大きなる日の本(ひのもと)治め行く皇を正しきと致されて、再び元なる国へと返したきなり。何卒この光を移し行きて、真、出だされませ。(拍手)承りたり。(拍手)ありがたき。」
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 霊山城は南北朝時代の南朝の拠点でしたので、お言葉にある「皇を正しき」とはその背景からかと思います。以下は霊山城の紹介です、「この山は平安時代初期に円仁によって開かれ、天台宗の拠点として栄え、最盛期は3600坊いたといわれる。南北朝時代の1337年(延元2年)、北畠顕家が霊山城を築き義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国の国府を置くなど、奥羽地方における南朝方の一大拠点として機能した。しかし、北朝方が優勢になるにつれ、霊山の南朝軍も追い詰められていき、1347年(正平2年)、ついに落城した。」
 下りは東物見岩、猿飛岩、弘法の突貫岩、弁天岩、大山祇神社跡を巡り各所で「弥栄開闢小唄」を響かせて光を頂きました。11時半過ぎには宿に戻ってお風呂を頂き、すっきりさっぱりして昼食を美味しく頂きました。暫し休息を取り元気回復です。
 午後1時を過ぎていよいよ終盤の巡りのスタートです。まずは程近い、霊山西側にある霊山神社を訪れました。敢えて徒歩で長い参道を、桜を満喫しながら登りました。少しブーイングありましたがこれも必要な手筈です。霊山神社は建武の新政以降、陸奥の鎮定にあたり、南朝に従った北畠親房、北畠顕家、北畠顕信、北畠守親の親子を祭神とする神社です。そこであわ歌を響かせました、以下のお言葉がありました。
「古きをなくして、新しき時迎えまする。この地にありて守り来たりたる、思いも新たとなりて、この国の新しきを作り行く。皆々様と一つと成りて参られませ。生まれ来るは全ての中なり。開きたる扉は、光りと成りて進む成り。生まれ出る。来る、来る、来るなり。」
 伊達氏発祥の地、伊達市高子には高子二十境があり、そのひとつ白雲洞は通称「岩谷山」と呼ばれて、岩穴に薬師如来が祀られ、霊窟として知られるところで、岩山からの見晴らしも良い処です。ここでは弥栄開闢小唄で光を降ろしました。そこでのお言葉です。
「生み出でる光を共に参りましょう。」
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 直ぐ近くにある同じく高子二十境のひとつ、丹露盤(たんろばん)はかつて高子岡城があったところで、伊達氏始祖の朝宗が伊達郡を賜って最初に築いた居城です。1189年中村姓から伊達姓に変えてここで伊達氏が始まりました。山頂には巨石が林立していて、そこから市内を眺めると畑は桃の花でピンク色に染まっていました。ここでも弥栄開闢小唄で光を頂きました。頂いたお言葉は以下です。
「ゆう、ゆうの光は共に参りて皆々に、ふる、ふる、ふるり。花と共に降り注ぎ。」
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 伊達市から桑折町の万正寺にある、大かやの木はかやの木としては日本一の巨木です。樹齢800年で伊達氏所縁の木の様です。まえに紹介した仙台市の東昌寺のかやの木はここから移植されたものかもしれません。しばし、巨木の気を頂きながら楽しませて頂きました。あわ歌を響かせ、頂いたお言葉です。
「生まれ来る、来る、この時に、多くの実の中より、是よりの真を作る芽は出る。光を皆々で繋ぎ行き、生み出し育てましょうぞ。是よりの木(気)を。」
 多くの実の中から是よりの真、芯を作る芽が出る。その為には光を繋ぎ、是よりの木、気を育てること。それはご縁の皆さんのお役目でしょう。
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 この旅最後に訪れるのは伊達市梁川にある梁川八幡神社です。以下その神社の概要です。
「梁川八幡神社の創建は永観年間(983~85)に田原中納言勝稙が石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされます。当初は若宮八幡と称していましたが中世に入ると伊達氏の崇敬社となり文治5年(1189)に伊達朝宗が鶴ヶ岡八幡神社を勧請して若宮八幡と合祀すると新たに亀岡八幡宮と改名しています。その後も伊達氏との繋がりが強く、境内には伊達政宗の正室愛姫をこの地で出迎えた場所や政宗が16歳の時家臣の隠居をおしとどめた逸話などが残っています。又、天正10年(1582)に政宗が初陣祈願を行った神社としても記録が残っていて、伊達氏が居館を福島や桑折へ移るとそれに随行し、米沢城(山形県米沢市)に移った元亀2年(1571)に現在地に再び遷宮しました。近世に入った慶長7年(1602)に山田清里、重之兄弟が御神体を仙台城下に移し新たに亀岡八幡宮(仙台市)を建立しました。」

 鳥居をくぐり参道を歩むと色々な気の影響が現れました。中山さんも些かきつそうです。以前、下見にこの八幡神社を訪れて夕闇迫る中、参拝してからかなりな不調を来しました。その事を中山さんにお伝えしたら、「当然ですよ、このエネルギーは強烈で影響を受けるでしょう」とのこと。
 参拝した時は17時少し前で、隣接する別当寺の龍宝寺で鐘を打っていました。鐘も静まって静寂が訪れました。本殿前であわ歌を歌い始めましたが時計を見ると丁度17時です。全てこの時に定められていたようです。歌う中で冷たい風が吹きはじめ寒さを感じます。中山さんも身体がきついのか表情、しぐさがいつもと違います。16名が円陣を組んだ中に私が中心に立っていますが、中山さんが地面に図形を描き始まました。初めに四方に長楕円を描き、続いて残りの四方に長楕円、最後に私が立つ足元を円で囲み、八方の長楕円を繋いだ形です。ここではあわ歌、3回、光りを光、この身の光、出でませ光、3回を歌いました。その後に頂いたお言葉です。
「大いに響きて、光を受けられ、光と成り行き、この大きなる地を新しきと成されませ。いや、いや、参るその時なり。皆々様それぞれが為さること成り。しっかり想いを定めて、行き、参りて下され。嬉しきへ。」
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 画かれた図形の意味は果たして如何な意味を持つのでしょうか。八芒星、16菊花、隠されたグランドクロス?九曜紋。今回の旅で多くのキーワードを頂きました。新たな未知開く物語を繋ぐことになります。旅の中で頂いた言葉をまとめてみると以下の様です。

「更なる響きがこの地を開き、大き光は皆様の扉を開き、共なる一つとなる。是より幾多の皆々、元なるへ帰りて、嬉しき御世を開き成されませ。
ふつは湧き上がりて、天地結びて、一つと成り行きます。あわ歌歌い、結び行かれませ。
暮れ行く時に再び光を注ぎて、新しきへ向かう。その為、大きなる仕組みは働いて、光の中へ。いや増す大きなる動き、響き来る時、ここにお願いいたすは、歌の響きなり。
この地のこと、皆々様の知らぬ事なり。大きなる力湧き上がりて参るなり。ここにて天(あめ)なる力と、ふつなるを繋ぎ、一つと成して参ること、大きなり。方々集いて今よりは繋ぎ行かれませ。広き地が揺らがぬ様に。響きをこの地へ送られよ。
古きをなくして、新しき時迎えまする。この地にありて守り来たりたる、思いも新たとなりて、この国の新しきを作り行く。皆々様と一つと成りて参られませ。生まれ来るは全ての中なり。開きたる扉は、光りと成りて進む成り。生まれ出る。来る、来る、来るなり。
生まれ来る、来る、この時に、多くの実の中より、是よりの真を作る芽は出る。光を皆々で繋ぎ行き、生み出し育てましょうぞ。是よりの気を。
大いに響きて、光を受けられ、光と成り行き、この大きなる地を新しきと成されませ。いや、いや、参るその時なり。皆々様それぞれが為さること成り。しっかり想いを定めて、行き、参りて下され。嬉しきへ。」

 今回の旅にあたって野口さまの天音天画(24年3月27日)(ネオ伊路波村2012年4月4日:http://iroha.ws/2012/04/post_733.htmlの内容が非常に符合する部分が多々ありました。
まずは次回、7月7日に中山さんとの北東北の戸開きの巡りの旅はますます意味深い旅になりそうです。九曜紋、北極星、北斗七星、妙見、月・・・と更なる9月9日のあわ歌開闢の旅に続きます。

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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