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145「番外2」2012,3,28

 3月9日のあわ歌会、あわ歌50回、懇親会、10日からの陸奥開闢の旅を終えて、11日夜仙台に到着しました。私は皆さんをホテルに8時半ごろに送り届けて早目に帰らせていただきました。2日間で1100キロほどの強行軍での北帰行でしたので無事に終えた安堵感と、この間に頂いた中山さんからのお言葉を整理して、それを踏まえて12日の番外編、こっそりの旅のメニューを計画する必要がありました。
 1月に初めてのこっそりの旅を行いましたがなかなか意味深い、有意義な貴重な未知開きになりました。前回に引き続き、今回も陸奥、宮城の未だ明らかにされていない扉開きがありそうで、そして北の扉開きができたが故に可能と成る、そんな順番もありそうだと思っていたのでした。キーワードは坂上田村麻呂から伊達正宗そして現在です。
 
 仙台は星の街です。今から約400年前に伊達正宗が創った街で、六芒星、四神、グランドクロスを配置した呪術都市です。詳しくは「星の街仙台」の冊子あるいは「星の街仙台~伊達政宗が隠した六芒星」(http://slib.net/2343)をご覧ください。正宗は徳川の検閲を逃れ、ある意図をもってこの仙台に仙台城を築城し城下の街を形成していたようです。
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 陰陽道では陽の星を五芒星、陰の星を六芒星で表し、どちらも様々の霊的攻撃から守るために使われていたようです。正宗は陰の月の六芒星、亀甲形で仙台の城下町を覆い、城下の家臣、民を守る為つくったのでしょうか。四神は東西南北に獣神を配置して中心を守り、繁栄を促す目的の様です。グランドクロスはキリストの十字架から来ているのでしょうか、六芒星、四神とグランドクロスが綺麗に重なり配置されています。そして六芒星の中心、グランドクロス、四神の中心が常禅寺通りと国分町通りの交差点あたりになります。
 1月のあわ歌会の時に何故か中山さんからTさんにヒト型、グランドクロスの絵等が別々に3枚降ろされ、何だろとその3枚を重ねるとぴったりだったのでした。そして会場のあわの里天命舎は六芒星、四神、グランドクロスのその中心点にあたる場所だったのです。
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 2011年3月11日の東日本大震災が契機となり、仲間の石巻の佐藤造船所の被災から、この復興には何故か支倉常長と関係あると思っていました。そして丁度400年前の1611年12月に慶長三陸地震、津波が仙台を襲っていたことを知りました。伊達正宗がそのさなか常長を第一次渡欧させたのは翌年1612年で、結果は失敗しましたが、翌年1613年に急遽、石巻で建造したサンファンバウテスタ号で渡欧します。しかしキリスト教の洗礼を受け常長が7年後に帰国した時はキリシタン禁教令が既にあり不遇の中に置かれ、歴史から消されてしまいます。
 正宗の正室の愛姫(めごひめ)は福島の田村藩(坂上田村麻呂の末裔と言われる)から嫁入りしており、正宗と愛姫の子である五郎八姫(いろはひめ)は徳川家康の六男、松平忠輝の正室となり、二人ともキリシタンでした。家康亡き後、秀忠により忠輝が改易の後は仙台で暮らしていますが、徳川にとってはある野望を抱く正宗の存在、陸奥の雄伊達藩は極めて要注意だったようです。

 前回1月の番外編で伊達正宗の御霊屋(おたまや)のある瑞宝殿を訪れた時のお言葉ですが正宗の心情、意図か汲み取られます。ちなみに瑞宝殿は四神の南にあたり朱雀です。
「あれから多くの事々、みな無しとなりて、真の心情は伝えられず、型のみ残り来たり。大きな目的は、この地に大帝国を作り、北の民を安んじることなり。この地の民の心情、真に麗しきものなり。ここにこの心残す為に大きな力を残し保つことを思いておりたり。いつ果てることも無き力の争いを止めることぞ。」
「語れば長きにわたりまするが、この地は古き、麗しき時、暖かきに恵まれ、花咲き乱れ、多くの方々、心優しきでありました。やがて進み行きて、移り行き、この嬉しきは崩れ行きました。この事、語りて参りても詮無きことなれば。」
「是よりの事について申す。今より始まる事々によりて、厚き心情を持つ大きなる地となしゆくなり。先の大きなる災害についても、大きなる進みなり。よくよく人々、思いを巡らし、新しきへ向かいて、下されたきなり。」
「月桂冠を付けて、その中心と成されませ。この意味は、全てに中心があり、それを皆が分かることが大事なり。中心とは纏まり行く渦の中心にあり。皆の思いの中心、一点に集まること。ここにある人は、この冠を付けて、皆の思いの中心と成られませ。」
 
 12日は良い天気に恵まれました。今回は10名でのこっそりの旅ですが前回同様に行先は私しか知りません。ホテルを9時前に2台の車に分乗して一路松島を目指します。
 車中では今朝出がけに起きたTさんの行く、行きたくないの一悶着が話題になりましたがこの巡りの前途を暗示するもので、終わってみれば必然の動きだったようでした。
 最初の目的地は松島五大堂です。朝早いのに観光桟橋には多くの観光客がいます。五大堂は坂上田村麻呂が807年に毘沙門堂を建立したのが起こりといわれます。堂は名の通り五画形で太陽の陽を表す五芒星です。すかし橋を渡ると数人の方が参拝していましたが、程なく誰も居なくなり10人が円を作りあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。
「本日お集まりの方々には、これより2つなる大きな事伝え行き、申したことの生み出だすを知らせます。3度それぞれの場所にて頼みたし。都度申します。お願いいたします。」
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 今日巡る場所の中で重要なところが3か所あり、そこで下される言葉の中に重要な事があるようです。
 五大堂から瑞巌寺の山門を入り、瑞巌寺の右隣にある愛姫の御霊屋がある陽徳院を散策して次の目的地は、瑞巌寺の東隣にある五郎八姫の菩提寺天麟院です。かなり強烈なエネルギーが充満しています。御霊屋の左に大きなはり樅も古木があります。そこであわ歌を歌いましたが、その時の言葉です。瑞巌寺は四神の東で青龍です。瑞巌寺の正式名称は松島青龍山瑞巌円福禅寺です。 
「繋ぎて参るなり。この響きがこの地にある多くの民に光を繋ぐこの時、出でて参らせませ。生まれ来るは新しきなり。留まりおらるる皆々よ、参られよ、光へ。(拍手)
 移すは全てを正しきなり、古きは消し去るなり。心得成されよ。(拍手)
 本当の生み出だす大きなる光は消し去り行くなり。今、今なり。(拍手)」
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 この地に留まっていた多くの御霊に新たな大きな光へと進み行くことを促しています。まず3か所の重要地の1つ目のポイントを巡ることが出来ました。ここから次の目的地までは車中は静かです。皆さんかなりエネルギーを消耗したのでしょうか睡魔に襲われて眠ってしまいました。次なる目的地は仙台市の西方、青葉区愛子にある諏訪神社です。この地区は五郎八姫が住んでいた西の館があったあたりで、愛子は隠れキリシタンの地であったと言われています。
 諏訪神社は国分一の宮で、仙台市青葉区で一番の古社で、国分33ヶ村の総鎮守です。延暦年代(782~826、桓武天皇の時代)に、修験道の山岳信仰により、山神社の祠が西山(御殿山)山頂に祀られていたものを、文治年中(1185~90)に、源頼朝が平泉の藤原泰衝を討伐した際、この社に祈願し戦勝を得たので、家臣伊沢(留守)四郎家景に命じ、社殿を造営し建御名方命を祀り、改称したものとされています。その後、康正元年(1457)国分氏が西山より現在地に遷座したと伝えられています。
 諏訪神社はグランドクロスの東西のラインの西にあります。
 本殿の左手奥の山斜面の雪の残る地で昼の太陽を燦々と浴びてあわ歌を歌いました。
 木に付いた雪溶けの水滴はキラキラと色々な色を発しています。しかしこの地もかなり強烈な重いエネルギーが充満していました。そこでのお言葉です。
「お~(拍手)離れる時なり、この光へと参り来れよ。(拍手)
 歌響きたり。生まし身をここにあるもの、永きにわたりてこの地を守りたり。離れる時とは如何なるや。(拍手)
 大きなるこの地の変化は是よりぞ。光に乗りて、古きを消し行く。今、今参れよ。遅き成れば消え去るなり。(拍手)
 歌が不明の我等にありて、光を頼る。はっきりと見せられよ。(拍手)
 うおー、光はここに降り注ぐ。分かりたれば参られませ。あーい(拍手)」
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 この地でもかなりきつく重いエネルギーが充満していました。沢山のこの地に留まる意識体がいました。そしてこの諏訪神社は今日巡る3つの重要地の一つでした。
 気分転換には美味しい昼食が1番です。近くのラーメン屋さんで暫し寛ぎました。果たして残る1つはどこなのか私の頭は巡っています。まずは予定通りの目的地、大崎八幡神社を訪れました。社殿は国宝で改修工事も終わって素晴らしい輝きを発していました。あわ歌を歌いましたがその時の言葉です。
「生まれ来る新しきは、是よりのこの地の皆々を変え行き、進めて大きなる地と成り行くぞ。共々に参りましょうぞ。」

 私の予定表ですと、次は青葉神社、東昌寺です。しかし、何故か亀岡八幡宮へ車は向かいました。この地は四神の北の玄武として祀られています。そしてグランドクロスの東西ライン上にあります。参拝しましたがここではないようです。そのまま南下して愛宕神社へ行きました。ここは六芒星の南頂点でグランドクロスの南北の南の地です。広瀬川、仙台市街地を一望できる素晴らしい展望所です。正宗も見張り場所としてここに神社を設置したという事です。しかし中山さんはここではないと言います。予定表を見て北の地、東昌寺であろうという事でグランドクロスの南北線を北上しました。東昌寺は六芒星の北頂点にあり、グランドクロスの北の地です。
 東昌寺の隣には青葉神社があります。青葉神社は明治になって神仏分離令によって東昌寺境内に伊達正宗を神として建てられたものです。東昌寺こそ伊達家筆頭の格の臨済宗の寺で、初代住職大有和尚は正宗の大叔父です。そして城下建設に先駆けてその場所が定められていた重要な寺です。つまり六芒星等の仙台城と共に呪術都市設計の起点でもあるようです。
 東昌寺には樹齢500年の国の天然記念樹のマルミガヤがあります。正宗が鬼門除けに植えたと言われます。ここで毎年マルミガヤコンサートが開催されていて、Tさんが10数年前から参加していました。そして程近い処に今住んでいます。最後のポイントはどうやらここの様です。そこであわ歌を歌いました。 
「大きなる役目はこれまでぞ。この扉開きて、多くの奥なる扉に繋ぎ、北の大きなる美しき、嬉しきを、光と共に流されませ。大地は皆々喜びて光りと共に新しきと成り行くなり。是より海、山、川、輝かれませう。生み出だす光 満ち満ちて参る。」
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 嬉しい言葉が頂けました。Tさんは感涙しています。この扉を開くことで多くの奥なる扉に繋ぎ、北の大きなる美しき、嬉しきを光と共に流す。大地は皆々喜び、光と共に新しくなって行く。先の陸奥開闢の旅があり、今、この様に役割を果たせたとの想いが皆さんに込上げてきていました。15時半過ぎです。最後はあわの里天命舎で終了の予定でしたので、グランドクロスの南北線を南下して中心点にあるあわの里天命舎に向かいました。天命舎ではあわ歌の響きは素晴らしいものでした。今日一日の色々なエネルギーを浄化、清浄化して明るく光輝く大きな喜びを頂きました。そこでのお言葉です。 
「繋がり行きて 嬉しなや。開き行きて 嬉しなや。輝き行きて 嬉しなや。嬉しや、嬉しや。この北の地 運び来る皆々が、新しき嬉しきをこの北の地に是より発する。この北の地は大きなる光と共に、皆々の新しき地と成れり。」
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 天命舎の舎長をしているTさんと色々な縁がある今回の巡りでしたが目出度く完了できました。ありがとうございました。そして次なる未知開きは続いて行くようです。

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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