FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

112.「開拓1」       2011年9月26日

 秋彼岸も終わりました。恒例の9月の座禅断食会も満願成就できました。しかし、あまりにも出張が続いてブログを書く時間がありません。(ちなみに14,15日福岡、17日長野、18日石巻、19日東京、20,21日長野、そして23日~25日蔵王断食会、25日石巻)ようやく10日からのみちのく未知拓く旅に着手できます。

 10日7時過ぎに仙台駅西口に16名が揃いました。長野から夜通し運転してきたKさん、Uさんは今回の旅には不可欠と神計らいで強行参加を申し渡されたようです。3台の車に分乗出発しましたが、出発早々交通事故?発生。なんとKさんの片足がタイヤに踏まれてしまいました。乗車未確認で名ドライバーが発進しましたが、なぜかタイヤが避けたようで悲鳴のみでなんと無事でした。先頭車の私がその事態を知ったのは第一目的地に到着後でした。大難が無難にすみましたが今回の旅の警告として注意を促されたようです。

 最初の目的地は宮城県北の涌谷町にある箟峯山・箟峯観音です。しかし、途中急遽、私の直感で木村農園さんを訪問しました。少し寄り道でしたが到着5分前に電話を木村さんにして田んぼであわ歌を歌わせて頂きました。奥様も驚きですが家族喜びでお迎え頂きました。稲の生育は隣よりは少し遅いですがしっかりしてエネルギーは別物です。その時のお言葉です。
・木村農園
「ありがたき響きと光 届き、この地 天とひとつと成りなって 見事に成すなり。大いなる実りをありがとう。」
P1130166.jpg

 箟峯山・箟峯観音は奥州33観音9番札所です。宝亀元年(770年)創建で坂上田村麻呂所縁の処です。奥州鎮護の祈願所として南北朝以降、崇敬を受けた寺です。今回のみちのく未知拓く旅に初めにご挨拶するに必要なところだったようです。本堂であわ歌を歌わせていただきました。少し北奥の頂上には夫婦杉の巨木をありますがそこは全くエネルギーが変わって心地がよいのです。縄文時代早期にはこの標高236mの山が海岸線だったとか、頂上展望所からの松尾芭蕉も逍遥した田園の景色の見晴らしは心広く安らぎを感じます。ここでもあわ歌を歌わせていただきました。お言葉は以下です。
・箟岳観音
「巡り来る是よりは この大きな地も巡りて参る。ひとつと成り行く是よりは、しっかり捉えて共々参り来れ、ひとつ成るなり。」
コピー ~ P1040614 コピー ~ P1040617

・箟岳観音夫婦杉
「是より始むるは、北のこの地の皆々と 共々ひとつと成りて、大きなる気を送る。共々参られませ。(拍手)続きて申す。この地に眠りし方々 あいの光を受けられませ。時せまり来たり、参られませ。」
コピー ~ P1040625 コピー ~ P1040635 DSC00654.jpg コピー ~ P1040640

 次の目的地は南三陸町にある田束山です。南三陸町志津川の市街地は津波被害で全滅です。橋、鉄橋は落ち、線路は跡形もなく、瓦礫の山、更地にビルなどの残骸が残る姿は悲惨な時を未だ告げています。方々で処理作業がされていますがシューシュポスの神話の一端を感じてしまいます。歌津町に入ってすぐに山の方に道を切りますが、歌津の街も跡形もありません。この町の歯科診療所に私が大学卒業の昭和52年から2年ほど月1度アルバイトに来ていたことがありましたが、面影は何もありません。山に向かい左折してすぐのお寺も本堂等が流され、仮設の建物でお盆を迎えたようですが、墓石はいまだ散乱しています。
コピー ~ P1040643 コピー ~ P1040650 コピー ~ P1040655 コピー ~ P1040664

 田束山は龍峯山とも記されていますが開山は834年ごろの様で、平泉文化華やかな頃に藤原氏によって再興され寺院48、坊は100を超える隆盛を極めたようです。512mの山頂には経塚群が残っています。山頂近くの道路が崩壊していて車両進入禁止で、少し歩きましたが、快晴の山頂からの太平洋の眺望は素晴らしいの一言です。ここででもあわ歌を歌いその後は皆さんで美味しいお弁当の昼食を頂きました。その時のお言葉は以下です。
・田束山
「海 山 川よ、木々草々よ、人々よ、皆々元へと帰りましょうぞ。ひとつと成りて、元へ帰り、新しき嬉しきを生み出だされませ。この時、今こそそこへと参る、大きな力発しなされませ。
P1130174.jpg コピー ~ P1040670 コピー ~ P1040674 コピー ~ P1040677 コピー ~ P1040679 コピー ~ P1040680

 ここからは岩手県花巻市迄の移動です。しかし、田束山のトイレは使用できず、生理現象に応えて、山を下った歌津町のお寺近くの作業所にある仮設トイレをお借りしての緊急停止です。何しろ来た道にはコンビニもほとんどないのです。被災地故未だ全てが足りていません。
コピー ~ P1040706
 
 冠山蝙蝠岩(かむりやまこうもりいわ)弘法大師霊場は花巻市東和町にあります。昨年の10月のみちのくツアーの時に訪れる予定でしたが時間が無くてカットしていました。今回念願かない訪れることが出来ました。この霊場は弘法大師が入唐前に立ち寄られた杖立て伝説があります。この地はうっそうとした林の中に巨石がごろごろしていて、霊泉も湧いているようです。到着時は小雨でしたが俄かに雨が強くなり風も吹き荒れました。そしてその場を離れるころには又小雨に戻ります。何かが呼応している、そんなサインを感じました。更にIさん撮影の写真にはたくさんのオーブが写っています。土砂降りの中、本堂裏の磐座であわ歌を歌わせていただきましたがその時のお言葉です。
 ・冠山蝙蝠岩(かむりやまこうもりいわ)弘法大師霊場
「誰とは言わぬが、かくのごとくに成したるは、誠に相済まぬ。お詫び申す。(拍手)ここに響きと光を放したり。皆々この時(拍手)出でませ、永きにわたりた全ては無しと致すなり。共々、この時参ろうぞ。(拍手しながら)光の中へ 参り来れ。(拍手)あーあーあー(拍手)痛み入る。打ち揃いたる身をひとつと成りて参る。(拍手)ありがとう。(拍手)
コピー ~ P1040718 コピー ~ P1040721 コピー ~ P1040731 コピー ~ P1040739

 霊場から10分足らずのところに大沢瀧神社があります。道路から見える赤い大きな鳥居から山に入ること数分、一瞬道に迷ったかと思える山中に鎮座しています。駐車場に車を止めて鳥居から参道を通って本殿まで500mほどでしょうか、小雨の中進みます。前日9月9日が例大祭でしたので、祭りの跡が残っています。本殿の左手の林の中に何かの存在がいるようでその方向を向いてあわ歌を歌いました。そしては本殿向かいの磐座でも歌いましたが、ここでも写真にオーブが見られました。歌い終わり皆で帰ろうとしたら本殿近くで中山さん呼び止められたようで又あわ歌を唄われました。
・大沢瀧神社
「あーあーあー 参るぞよ 参られよ あーあーあー」
「大いなるこの地の宮よ、この時、巡り来たりたるは、真に嬉しきなり。光と共に皆々とひとつと成り行き参りましょうぞ。(拍手)おーおーい 分かりたり。(拍手)嬉しきなり(拍手)
コピー ~ P1040751 コピー ~ P1040752 コピー ~ P1040753 コピー ~ P1040754 DSC00690.jpg DSC00693.jpg

・大沢瀧神社天照皇大神磐座
「是よりこの地、この方々に 大きなる光を 写し行かれませ。新たなる一歩、共々に。(拍手)あい深きを成し行かん(拍手)
DSC00695.jpg コピー ~ P1040763 コピー ~ P1040770 コピー ~ P1040774
・大沢瀧神社
(拍手)お尋ね申す。如何なることよ。(拍手) 言わずと知れたる是よりのこと。発する この気はその身を通して、大きなる光 写し行く、今よりの日は、その身と共なり。しかと 心得下され。(拍手)誠にありがたきなり。大きなるご無礼つかまつりた。ここに深くお詫び申す。是より共々参ります。(拍手)おーう(拍手)
コピー ~ P1040789 コピー ~ P1040788 DSC00706.jpg

 ここでも参拝中は雨足が強まり、終えて鳥居をでると小雨に戻ります。中山さんから降ろされるお言葉にも神霊界での呼応が見られます。各地に埋もれていた方々などを呼び起こしてこれからの世界への連携を促しているようです。
皆さんにどうしてこの神社が見つかったのですかと尋ねられました。昨年、道路を走っていて鳥居を目にして引き寄せられるように迷いながら探し当てたところです。8月に下見に行ったときにも磐座に光を降ろされたここの存在をお知らせ頂いていたようです。

今日の予定を全て終えて一路遠野市の宿へ向かいました。夕暮れの市内は閑散としています。ようやく見つけた酒屋さんで夜の飲み物などを仕入れて遠野南部氏の城址麓の豪華なホテルに入りました。夕食宴会は大いに盛り上がりましたが私は1次会でダウンです。(続く)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

RSSリンクの表示
最新記事
最新コメント
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QRコード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。