FC2ブログ

11 「空、無」              2010年3月9日

 今日、3月9日は私の誕生日。誕生の誕は偽りという意味があります。偽りの生まれた日、そして、亡くなった日は命日と言います。いのちの日。我々が生きている現世は偽りであり、還る世界が真とでも言うように感じてしまいますが如何でしょうか。暦年令は過ぎてもその他の年齢は必ずしも連動しないのが常ですがお陰様ですこぶる元気に若々しく過ごしております。30年近く医者いらずです。しかし歯科はお世話になりました。

 私の座禅断食の師である野口法蔵師の講演と座禅会を開催しました。全てが丁度良い加減に出来ました。みなさん大満足でした。虚飾を排して素で話す法蔵さんからは光が出ているのでしょう。今回のテーマは「直観力」、素に死ぬためには素に生きるしかない、素とは何なのか?直感はどうして得られるのか。

 法蔵さんはチベットで過酷な修行をされていますがその原点はマザーテレサをカメラマンとして取材していたときに遭遇した光景でした。マザーの施設で人々の穏やかなほほ笑みの中で死を迎える、彼らの瞳を観た時、そんな生き方を自分のものにしたいと思ったそうで、カメラを捨てて修行の道を歩まれました。

 色々な聖者や覚者を訪ね世界を歩まれ数々の貴重な経験を積まれ、帰国後は臨済宗の僧侶として生きてきました。しかし幾か程に行をしても死する時にその結果が分かると、そして修行して偉くなったらそれは失敗だと。修行には向き不向きがあるが修行しながら偉くならないのが難しい。全ては見えないものの力を借り、味方に付けられるか。自然の中で動物に遭遇しても気配を感じ、瞬間に相手を読み見極める。法蔵さんもクマと遭遇したそうです。苔が気になる存在で、生き物、植物、動物に無礼にならないようにすることで元気を頂け、穢さないことで助けを頂ける。アルコールは危機回避能力を損なうので飲んではいけないと。行を通して神通力や能力を得て完成し、それを壊し、又完成し壊す、心だけ高め能力は抑える。それはどのような環境に置かれるか、選ぶかでおのずと引き出される能力は変わり、又逆も生じます。

 法蔵さんは民映研の姫田忠義さんと懇意で映画にも出演されていますがそのお話がとても興味深いものがありました。「山に生きる」「粥川風土記」を紹介しながら生き様、映画作製の目的をお話し下さいました。何の為に滅びゆく自然、その中で生きる人々、失われていく文化、基層文化を映画に収め記録するのか。それは縄文人の様な直観力を養い精神修養を如何にしているのか、そのヒントを残し後世の人がそれを再現できることのため。「山に生きる」の新潟県村上市奥三面では20年前までは槍や弓矢でクマを捕り、狩猟生活がなされていた。サルを食べ、サル等獣が畑を荒らすこともなかった。見えないものを感じ、大切にする生活。しかし10年ほど前にダムが出来その地は水没し消えてしまい、研ぎ澄まされた能力の人々は里に下り、精神的には楽になりやがて衰え絶えていく。彼らは平らな地面を歩くと疲れるという。又、円空が生まれた粥川の人達は川を、水を神様と大切にし、決して汚すことはなく生活し、穢すと罰が当たると常に神と一緒に生きていた。そんな記録を残してどうするのか尋ねると姫田さんは素養のある人は後で生かせると答えたという。

 宇宙飛行士の秋山さんとも法蔵さんは懇意ですが、彼が宇宙から帰ったら地球ですることは農業しかないと思ったそうです。そして今は福島県で稲作、椎茸栽培をしているそうです。彼がなぜ飛行士に選ばれたかは色々な運動や負荷をかけても心臓の変化がなく動じない人だったからだとのこと。宇宙に出て悟る方が多いのはなぜなのでしょうか。

 ムスタンで岩山の中腹の洞窟に一人暮らす仙人に会った時、彼は満面笑顔で喜びで輝いていたそうです。岩の床の上に休み、何も物はなく、何日かに一度食べ物と、水をロープで下ろして頂き、持っているお経は数ページの簡単なものだけ。人間はどこでどのように住み、生きる中での幸せを感じるのか。幸せの価値観は?身を綺麗にし、思考をクリアーにしてストレスのない生活。身も心も頭もクリーニングが大切。それはヒューレン博士のホオポノポノの世界。

 法蔵さんもこれからは農業が中心産業になるといいます。福岡正信、川口由一、赤峰勝人、木村秋則・・・多くの懇意な方々がいます。福岡さんの愛弟子が法蔵さんの義兄ですが、福岡さんが90歳の頃に一緒に入浴した時に彼の筋骨に驚いたそうです。法蔵さんの医学上の師である甲田光雄先生と帰冥は1週間と違わなかったそうですが、甲田先生は骨折されて亡くなりましたが菜食だけでなく油分をとり、肉体を鍛える事の違いを体感したようです。素で生きていると、馬鹿になっているか、純粋かどうか直ぐ分るようです。

 法蔵さんは毎朝早朝に起きて、瀧行をされ、10時間の五体投地を日課としていて、既に五体投地は400万回以上されています。瀧に打たれると一瞬にして白になり、五体投地は祈りです。五体投地は10万回が満行ですが身体が覚えていていざというときは何とかなるそうです。頭を飛ばしきったそんな法蔵さんから座禅の指導も頂きました。臨斉宗の座禅、曹洞宗の座禅、そして瞑想の違いを実際座ってみました。座禅は無を、瞑想は空を目指す。しかしその境地は如何程か。

 直感働く→動く→素に帰る→直感働く→動く→素に帰る→・・・・
祈ってばかりいると自分のエゴの神を作ってしまう、頭を空っぽにして降りてくる神の隙間を作る。行を通して神と一体になること、素に生きる事。

 内容はあまりにも濃く深く、お伝え出来ない世界でした。空にも無にも未だ至らずにいる己を悔悟反省しながら貴重な時空間味わえました。現世で生きていることの意味、誕とは?死ぬまで続く道、未知開き。頭を飛ばし楽しく喜びで生きたいものです。

 今年7月31日8月1日に再度、法蔵さんに仙台に来て頂けることになりました。ホロトロピックの天外伺朗さんとジョイントです。貴重な会になることでしょう、楽しみにしてください。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

RSSリンクの表示
最新記事
最新コメント
検索フォーム
リンク
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QRコード
FC2カウンター