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107.「光と闇」        2011年8月22日

 光はエネルギーです。光を頂いて生かされる現象界は遍満するその光を受けますが、より多くを集中して受けるところがあります。あるいは頂いたものを常に放出して周囲を照らす存在として機能することもあります。それは土地、岩、木、や物、人、形象等があります。人が介在することで言霊、音霊で光を降ろし放射することも可能です。
 
 先日8月11日の生支州さんのお話会の時に「モーゼのシール・オブ・スピリット」の護符を頂きました。当日は急な参加者があり私の分はその方に差し上げてしまいましたので後日郵送して頂きました。到着して19日から使用しましたが、護符の裏側に名前、生年月日、願い事を書いて枕の下において眠ることで機能すると伺い、さっそく試みました。
 就寝すると頭の下からエネルギーが放出されていてジンジンと感じます。かなり強烈で少し驚きましたが光を頂いている感じを思い描きその中に浸っている内に寝てしまいました。夜中に地震があり目覚めましたがその後もエネルギーが継続しています。翌日20日にイシスさんにお会いして昼食を一緒にしましたがそのことをお話したら、「護符はしっかり作っていますから、感覚が鋭い方は分かりますね。」とのことです。翌日の夜も同様なエネルギーが続きました。顕在意識が休んでいる時に深い意識世界に作用しているようです。暫く楽しみな世界が味わえそうです。
 
 神の光線リーディングで頂いた言霊も使用していますが最終的には、自分に「光あれ」の言霊を発令できるようになり、自分の天命等をしっかり出来る能力を身に付けることが目的のように思います。必要な時に自分を守護して活力を発揮できる能力を身に付け、使いこなすことで、人生を謳歌出来るのでしょう。私の言霊ではなんといっても「黄金律」を多用しています。楽しんでいるうちに何かが現れると思います。
 イシスさんからも「光は闇からしか生まれないのです。自分の「神の光線」を引き出して、その言霊を話したり書いたり、分かち合うことで(自分一人で囲いこむのではなくオープンになることがポイント)光が増し、自分を通して自他がどんどん輝き、ハッピーになっていくような仕掛けになっています。さあ!今日からあなたも自分の「愛の言霊」を発動させて楽園を作って参りましょう!」と伺っています。
 20日に神の光線リーディングを10名の方々が受けられましたが皆さん笑顔で明るく楽しんでいます。確実に各自のスイッチをオンして肯定的な歩みを始める感じです。嬉しいことです。これからも好循環が続くような場を継続的に持てたら良いなと思います。神の光線リーディングを受けた方々の交流会を開いたら楽しいなとのリクエストの声もありますので、近日中に皆さんで頂いたリーデイング内容を分かち合う集いを開催したいと思います。ご縁の方は是非参加下さい。
 
 20日のリーディングの会の合間に川崎町に所要があり行ってきました。その帰りに支倉常長のお墓の表示が偶然目にとまり、国道から暫く県道を中に入りましたが初めて訪れてきました。支倉地区の常長の居城があった上楯城跡の麓の円福寺にお墓はありました。実は7月に開催したセミナー講師はせくらみゆきさんのご主人は支倉常長所縁の方で実家が円福寺と伺っていましたのでいったいどこにあるのかなと思っていました。
 お盆明けの境内は無人でしたが山の斜面に墓所が設けられています。墓には大きな石碑が建てられていましたが驚きはお墓の両脇の柱の上に狛犬ならぬ、爬虫類が飾られているではありませんか。明らかにレプティリアンです。そしてお墓の石塔も何やら角の生えた目と口がはっきりと見える爬虫類のようではありませんか?墓石が壊れたものを補修して継ぎ足したようにも見えますが?何か異様でした。しかしなぜ円福寺のお墓に爬虫類が鎮座しているのか?少なくても私の経験ではこのようなお墓は初めてみました。キリスト教の洗礼を受けているからなのでしょうか。しかし、石碑を作ったのは後世の縁者ですから、レプティリアンであることを明らかにする必要があったのでしょうか、どなたか理由を知っている方教えてください。
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 支倉常長のお墓はこの円福寺含めて3か所あります。一つは仙台市内北山の光明寺、もう一つは大郷町のメモリアルパークです。そして3か所のお墓に記されてある死亡日が全て違うのです。光明寺が帰国後翌年病死、1622年享年51歳。円福寺は1622年7月1日享年52歳。大郷メモリアールパークは1654年2月享年84歳。何とも不思議なことです。
 
 常長の帰国後の処遇についても諸説あり、以下に予測される状況があったようです。
「まず、常長がスペインから帰ってきた時キリスト教は禁止されていました。しかし、常長はローマで偉い人に洗礼を受けて身も心もキリシタンになっています。政宗は大役を果たした常長にキリシタンをやめろとか、従わないと罰するぞということは言えませんでした。しかし、幕府への面目もあります。そこで政宗は考えました。常長を病気で死んだことにして、支倉家居城のまん前に、これ見よがしに常長のお墓を建立したのです。幕府には常長死亡届を提出するとともに、常長を大郷町に移しました。常長の行動、及び幕府の目付けに対しては付近の伊達一族大松沢元実、留守政景、政宗三男伊達宗清らに監視させました。死んだことになった常長は自然豊かな大郷町でキリシタンであることは誰にも言わず、ひっそりと84歳までその地で暮らしました。その後、常長の子孫はそのお墓が常長のものであることを隠しつつ、守っていったのでした。」
 腑に落ちる解説です。

 翌日21日は朝から石巻佐藤造船所の片づけ作業でした。昨日支倉常長の墓を一緒に訪れたTさんも同行しましたが車の中でかなり具合が悪く、ひどそうでした。船酔いの様で吐き気や涙が出て大変でしたが、石巻について落ち着いて状況を聞いてみると、支倉常長が船での長旅で船酔いしていたようでその時の再現のようで、なぜかしら昨日お墓詣りをしてから何かのメッセージを託されたようです。今のあり方は、本当に自分が望んだような姿でないということ、囲いから解放されて自由になりたい、と告げているようだとのことです。
 佐藤造船所のすぐ近くにサンファン記念館がありサンファン・バウテスタ号が復元され陸地に固定されています。津波後にはマストも折れてしまっています。その話を聞いて佐藤造船所のSさんは記念館のあり様を批判し、常長の志を伝えていないし、子孫も引き継いでいけないと改善の必要を述べていました。作業開始前の驚きミーテイングでしたが、復興まつわる支倉繋がりの何かのストーリーがあるようです。
 雨の中での作業ですが、工場内の片づけでしたがかなりすっきりとして又1歩前進です。雑然とした世界が人の介在によって整い、空間が生れ、風の通りが良くなり晴れやぐ感じを得ますが、そこで感じ生まれる思い、意識が次の創造を生み出す環境になります。嬉しいことです。混沌とした闇に光が射して来ている感じです。この点に係る過去、未来が今ここにあり、係る人々の想い行動がエネルギーとして光を発しています。
 今回は支援者は10名弱で少数でしたが充実した作業が出来ました。昼食は差し入れの黄色いスイカを美味しく頂きました。そして皆さんにはその日近海で獲れた新鮮な鯵,烏賊などのお魚を沢山お土産に頂きました。ありがたいことです。また皆さん9月も来ましょう。

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
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