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105.「覚悟」        2011年8月11日

 8月8日の宇宙の会では7月7日に引き続き私がお話しました。今回も会場一杯の参加を頂きました。ありがたいことです。「今、そしてこれから」と題して前回の縦糸に続いて横糸を通して、今の経緯を意図した視点、内容で話しました。
 丁度8月8日には星淑子氏の書「あわの里 天命舎」を贈呈頂きました。そして真向法のご縁で千羽鶴も頂き天命舎はますます陣が整ってきました。

2011.8.8宇宙の会 8.8宇宙の会 あわの里 天命舎

 私は30歳頃からインドの「四住期」の捉え方に興味を持ち、その生き方が気になっていましたがそのこともお話しました。四住期とは以下のように記されています。

 アーシュラマまたは住期(じゅうき)とは、インドのヒンドゥー教社会において、再生族のヒンドゥー男子に適用される理念的な人生区分のこと。4つの段階を経過することから四住期とも訳される。
成立は古代インドのバラモン教にさかのぼる。原義は「疲労」、とくに宗教的な行に由来する疲労のことを意味していたと考えられる。バラモン教法典においては、バラモン教徒(シュードラを除く上位3ヴァルナ)が生涯のうちに経るべき段階として、以下の4段階が設定されている。

1.学生期- 師のもとでヴェーダを学ぶ時期
2.家住期- 家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期
3.林棲期- 森林に隠棲して修行する時期
4.遊行期- 一定の住所をもたず乞食遊行する時期

 この4段階は順次に経過されるべきものとされ、各段階に応じて厳格な義務が定められている。ただし、このアーシュラマの制度が実際的にどこまで忠実に履行されていたかは疑わしいとされる。
 古代インドにおいては、ダルマ(宗教的義務)・アルタ(財産)・カーマ(性愛)が人生の3大目的とされ、この3つを満たしながら家庭生活を営んで子孫をのこすことが理想だとされ、いっぽう、ウパニシャッドの成立以降は瞑想や苦行などの実践によって解脱に達することが希求されたところから、両立の困難なこの2つの理想を、人生における時期を設定することによって実現に近づけようとしたものであろうと推定されている。
 果たしてこのような生き方が現在の日本で出来るものなのかと思い過ごして来て、自分の生き方を振り返って見て今、林棲期、遊行期をどうとらえるのかなと思いがあります。
 私は20歳台の頃に山頭火や坂口安吾、梶井基次郎など好んで読んでいた記憶がありますが、良寛の生き方にも強く惹かれ、とても興味がありました。現在の震災の影響下にあり、更にこれから訪れるであろう時代の激変の中で、多くの方々が強制的に林棲、遊行を経験させられるようなそんな感じもあります。いや既に同じ環境にあって意識は林棲期にあり、次なる環境激変で全てを無しにされて遊行期を生かされる。そして強制的に意識の変容が起きるのかなとすら思います。
 人生に何を求めるのか、己の立脚点、目的が問われ、環境変化の中でその真が明らかになる。そこに向かっての歩み、努力の果が、次なる新たな扉開きの因に繋がるのでしょう。愈々クライマックスが来た感じがします。      
 宇宙の会の前日までの3日間は中山博さんにお越し頂きあわ歌の集いを開催していました。5日のあわ歌会で頂いた私のお言葉は以下です。
「せまり来る来る 大きなる時に 天地つなぎて 光を通し 柱となりて 揺らがずに 皆々に見せて下されませ その為 この地の大きなる気と 人々の嬉しきの気を頂き集め 天へと送るは大事なり 受けられませ 送りませ。」
 
 そして翌日6日はテンメイ名取農場高柳亭でのあわ歌100回の集いです。今回も20数名の方々が参加して頂きましたが、その時のお言葉です。

「さて是よりの日々、皆々様には如何過ごされますか。永きにわたりて申し上げて参りました事、成して頂きましたか。来る日に向かうご用意整いましたか。全てはそれぞれのその身にかかっております。
 全てはあっという間なり。その時までの永きにわたる諸々は全て消し去りて、新しきとなるなり。但し、ご自分で持ち来たりたる多くは、ご自分で消し去りなされませ。他に頼らず、ご自分で預けて無しとなされ。
 皆々様方、この度この事は大きな時なり。皆々永きにわたり歩み来る旅の最終章、この時を逃さず捉えて変わり進みて下されませ。今ここにあるをしっかり受け止めて下され。
 見事に果たして参られよ。大きなる御霊と成りなって 大き大き身元のその元へ参るを待ちておる。
 大き身元はいつでも光を送りております。受け取りその光に乗りて参りませ。
 いつまた会えるこの時なるぞ、この時なり。見事なるその姿見せて下され。ここにあり皆様方の新しきは。
 大き身元への道、このあわ歌の響きなり。歌いて響きて参られませ。
 古きを守りて固まりて放さず離れず、この時にここにておれば変わり行く事成らず。行く行く、行く行くは難き(かたき)みちなり。
 いよいよなり。皆々様がその身に持ち来りた真を出して、ここに現し、この地、この宇宙に真を実現するは、その時如何に成るか、皆々が知らぬ事、考えるでない、只々ぞ。
 大事なるこの時、繋がり結びたれば、皆々一つと成りて渦作り、大き身元への道、離れず参られませ。
 変わりて変わりて変わり行く、全てが変わる変わり行く、皆々変わる変わり行く、大きな変化には柔らかきと成られませ。固き(かたき)は変われぬぞ。
 山にありて岩守り、土守り、木守り、永きにわたりて今日迎え、一つと成りて新しきへ。
 あい降る里に響きて響きて、皆々音届きたり、嬉しき成り、嬉しきぞ。」


 その意を如何と読まれますでしょうか?全てが重く厳しい内容です。いよいよ時が迫りつつあり最後の身構えを教え諭されているように読めます。各自が如何に覚悟を決めてこれからの日々を迎えるか、自己責任、自立を促されています。                         
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 7日は石巻市の東日高見の聖地巡りで、昨年廻ったコースに旭山を加えて、丁度1年目、震災後5か月のツアーです。今回も全国各地から33名の参加を頂き大型バスで巡りました。各地でのお言葉は以下です。

・旭山にて
「是よりも このあわ歌の響き 海、山、川へ 響かせて 一つとなりて 皆々で 新しきへ 参りましょうぞ。」
・日和山にて
「一つとなりて 皆々は この天地と 一つとなりゆき 新しきを 生み出だされませ。」
日和山より石巻の被災地を眼下に 日和山にてアワ歌

・牧山にて
「大、大、大、大、大なり(柏手) 訪れし 大き御霊 光りの中へと誘う歌を届けゆく(柏手) 響くは大きなるうみうる
(あわ歌)
遠き昔のその時に戻りて はるかな 歌響きここに光を届けたり 再度参りたこの時に 一つとなりて参ろうぞ (柏手)
歌に乗り行く ふたつなるはこの地のものなり ありがたき (柏手数回)
あーいー(柏手)」

牧山にて

・鬘神社にて
「北へと向かいて この地への 大きなる力を 頂かれ あわ歌響かせこの海と共々参まいられませ。」
・龍の口神社にて
「大いなるこの地を 動かし行きて 共々一つの地と成し行くなり 水流れ 地も流し 開き行きて 一つとなしませ。」
龍の口神社

・和淵神社にて
「皆々様には あわ歌響かせ その身に光をしっかり受け取り 光りを発し行く人となり行きて下され。大きなる 新しきへの道なり。」
・木村農園さんの田んぼにて
「ありがたき 皆々様この響き この光 この地のものと成し行きて大きなる身と 成り行きます。」
・木村農園さんの田んぼ その2
「この地の皆々 響きを受けて これよりの光をその身におさめ 嬉しきとなられませ
ありがとう。」

 7日朝、仙台駅を予定の7時半丁度に出発できました。旭山にもかなり早く到着できましたがバスが大き過ぎて山への道路を曲がりきれずに参道の鳥居からは歩いて登ることになりました。30分強の山登りで皆さん汗だくですが山頂の気は素晴らしく、石巻から参加の皆さんを待つには丁度良い時間でした。

旭山 石巻ゆかりの面々と中山さん、塾長

 全ては順調に巡りすすみました。佐藤造船所さんの復興状況を皆さんで見学させていただきましたが、佐藤さんのお子さん達も同行されてお父さんの姿を見て学んでいました。造船所近くの岬に立つ鬘神社では強烈な太陽が光輝いていました。
佐藤造船所 鬘神社

 木村農園のある和渕神社では燦々と光が降り注ぎました。将に「あい、あい、あい、ふる、ふる、ふる」です。中山さんを通して皆さんにしっかり光を受け取れたようです。そしてお言葉の通りに光を発する人として新しい道を歩んで行くことでしょう。

和渕神社の光 201108071606001.jpg 201108071607001.jpg 201108071609001.jpg 201108071610001.jpg

 木村さんの田んぼの2か所でも皆さんで歌わせていただきましたが、ますます今年のお米の出来が楽しみです。

木村農園テンメイ米田んぼ 木村農園田んぼ

 最後は涌谷の天平の湯で汗を流してすっきりさっぱりして一路仙台駅に帰りましたが、車中はビールや酒で凄い盛り上がりです。途中コンビニに寄って更に酒を仕入れ全てを飲み干して予定通りの20時に余裕で到着でした。そして駅のお店で2次会をして皆さんを無事見送り出来ました。嬉し楽し喜び一杯の旅でした。

 最近は色々な地震予測などがインターネットで紹介されています。その根拠、実現の可能性は分かりません。しかし311を予知していた方々がいたことは知られています。大いなる存在からの警告なのか、人為的情報操作なのか、その意図の理解は受け手により如何様にでも変わります。何が起きてもおかしくない、そこに向き合う覚悟を如何に作るか1点に付きるのでしょう。努力し任天の中で楽しむ覚悟が必要です。
 
 8月10日に私が頂いたお言葉は以下です。
「この度 この地に現わして、皆々様の大いなる真を表して頂く為に、生まれ出で来るは、光の身となり行きて、ここに響きを伝えることなり。来る日には合い整ります。」

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Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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