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199「立春」2013,2,22

 2月1日からの一連の日高見の聖地繋ぐ旅の第一段階は終える事が出来ました。この間に中山さんから頂いたお言葉を整理すると以下のようになります。

「ここに在りて思うは如何にせんと為し行くか。
 その身につけたる“アカ(垢)”なかなかに取れず。是より降り来る光にて、ここに現し行く。是よりは四柱 新たに結びて、新しきへ向かう。古きはご破算といたす。ここにて北よりの繋ぎを始じむるなり。大きなる身を成りなって、この国の平安の為に、光を各所に繋ぎ行く。本日よりその第一段階始めます。
 どんどんとこの響き、大きくなり行きて、この広き宇宙を変え行くなり。遥かな時の果てしなき大きなる思いこの宇宙と共に拡がり行きて、この地は輝きわたり、この良き日、いよいよ始まる嬉しきは、この地を明るく明るく輝く、大きなる地といたさんと。是よりの日々を嬉しき為さり行き、光へ参られ皆々様。
 繋がりたるは真に嬉しきなり。この時、この地も大きなる嬉しきへと参りましょうぞ。響きは伝わり、この地にしみいりたり。光を受け行く地となりましょう。ありがとうございます。
 全てを改めて行くは、大きなる光を響きにて、その身のものと成し行く皆々様なり。光と一つと成り行きて、この地の荒き動き、鎮め行き、新しきへ進める力と成られますよう、共々参りましょうぞ。」


 立春の2月4日にその旅を補足する巡りを行いました。北上川の河口に開けた宮城の地の聖地、坂上田村麻呂が建立したと言われる、田村麻呂所縁の奥州三観音を中心に、2013年の始め、立春にしっかり繋ぐ旅です。
 最初の目的地は奥州三観音の一つ、松島町の富山観音です。まず車中でお言葉がありました。 
「この浦、深き闇の中、禊ぎてここを出でんとて、永きにわたりておりたるが、益々深きへ沈み行くこの身を如何とも成しがたき。
 お頼み申す。この時に、光と共に響きをば送りて参りて下されませ。」
「直ぐそこに来たりたる闇は現世に現れ出でることなく、引き入れて暗きを増やす魂胆なり。光はそこへ入り行き、あばきて流すを是よりの日々に行いゆく。続きて起こる事々を只々過ごすが肝要なり。」
 深き闇のあり様が見え、冷たく厳しいものが待ち構えているようです。

 富山観音のある富山は標高116.8mで、南方向に松島湾や奥松島を眺めることが出来、松島四大観の一つで麗観として知られる名所です。山頂の観音堂は坂上田村麻呂が大同年間に慈覚大師円仁作の観音を安置したものです。現存する観音堂は伊達政宗の長女である五郎八(いろは)姫が修理させたものです。政宗の正室の愛姫(めごひめ)は三春田村家の出で、代々坂上田村麻呂を始祖と仰ぐ一族です。この地にはそんな繋がりもあります。
 奥州三観音には各々エミシの酋長の首を埋めたものとの伝承があり、富山には、大竹丸という酋長の首を埋めたと言われています。
 展望所から松島湾を一望でき、この浦に向かってあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「はたれもあくたも皆々参れよ。閉じたる蓋は開きたり。光と闇も一つとなりて皆々大きなる友と成り、生まれ出で来る新しき作りて参るぞ。この光を届け行く、存分に使いませ。あ~。」10:05
 ありがたきお言葉です。歌と共にエネルギーが変わり、朝の光、海、空が変化しました。
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 次の目的地、石巻市の牧山(まぎやま)にある牧山観音も奥州三観音の一つです。牧山は北上川の河口にあり、かつては魔鬼山(まぎやま)と言われていました。この地にはマギと呼ばれる一族がいて、夷賊につけられる鬼の称号を付け、滅ぼした賊首の妻「魔鬼女」を供養する霊地だということです。 
 牡鹿半島、万石浦を見下ろす展望所であわ歌を響かせました。
「響きなり、光なり。届けたり。皆々様方参り来て、ここにある光へ入られませ。参ろうぞ共々に。(拍手)
入られたれば参る。あ~。」11:25
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 牧山観音の展望所から見下ろした石巻市渡波には、天命塾の仲間のS造船所があります。今年初めての訪問になりますが、Sさん兄弟が元気に仕事をしていました。近況を伺い、近くの鬘神社で牧山に向かいあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「望みはそのまま、只ひたすらに、この地、この海、この川、山と共々生き行くを忘れずに参るは嬉しき事なるなり。光はこの地を、新たなる元の元成る嬉しきへと導き、共に参ります。」12:25
 Sさんは先の震災で甚大な被害を受けていて今復興に向けて多くの困難な課題に取り組んでいます。その中で彼のこの地、海山川に対する、自然と共存して行くという思いがあります。兎角、目先の利益に走りがちな世間にあって孤軍奮闘しています。その事への励ましの言葉であったようです。
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 上品の郷で昼食を頂き、車は旧北上川河口近くにある釣石神社に向かいます。北上川河岸沿いの道をひたすら下ります。道は復興工事のダンプ等の工事車両が多く行きかいます。雪が降り出して、寒風吹きすさぶ寂しく茫漠とした世界です。その車中でお言葉がありました。
「それから、それから、歌いたる後に伝えることは、次なる行いて頂く最後への道。
故ある事なり、分からねど為されや。」13:56

 釣石神社には震災後初めての参拝でしたが、津波の被害で社殿は流され、周囲の集落は完全に消えて原野です。しかし、御神体の巨石は不動で鎮座していました。階段を登り巨石の上からあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「続きて参る事々は、光りの大きな力を受け、あばかれしの大き事なり。その事、皆々分からぬ内に行いいたさんと、葬り去られる事となり。故、今より申す事致されよ。
 ずいずいのずいずいずいをずいずいずい、深きへ送らんと致す。(拍手)
 すーさーなーりー(拍手)
 如何にして、如何なるかは、この時を持ちてお忘れなされ。」14:35
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 荒涼とした世界を後にして、深々と雪降る中、今度は北上川を登米市柳津まで北上します。車中にお言葉がありました。
「旅立つ時に伝えましょう。駿河の海と相模湾、北より寄せた大岩が、この地の底を揺さぶり行き、ただただただの広き野に、変わりて、嬉しく、働きは夢なる輝く地と成らん。」15:00
 何か只ならぬ内容です。大きな変化があるのでしょうか。

 目的地、柳津虚空尊には行基作の虚空蔵菩薩が安置されていて、日本三所の秘仏、日本三大虚空尊としての名所です。雪の中の古刹はすこぶる風情があります。許可を得て本堂で暖を頂きながらあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「伝えたき事、ここにあり。是よりの時、この地の山、川たゆとう流れが平安に過ごし行くを、ただただひたすら願いて参られませ。大きなる動きにて進み行く変化は新しきを生み出すそこへの道なり。支えて参られませ。北よりの大きなる力を通すなり。大きなる光と皆々の響きを添えまする。(拍手)
伝えは受けたり、ありがたき。」15:45
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 心穏やかで、暫し雪の世界をコーヒーを頂きながら満喫しました。だんだんと陽が傾き始めてきました。最後の目的地、奥州三観音の最後の一つ、涌谷町の箟嶽観音を目指します。
 雪の中17時少し前に着きましたが既に夕闇が迫っています。本堂前であわ歌を歌わせて頂きました。
「讃え祀る、この北の山々、支える岩、恵みを運ぶ川、全てを受ける海。是よりも変わらずに、新たなる時、この皆と共に生み出だしましょうぞ。我等一同、あわ歌響かせ、光を送ります。」17:15
 この箟嶽観音は「田村麻呂将軍が賊赤頭高丸と悪路王を誅し、首は京に送り胴を岡の上に埋めたが、その際死者の屍体も埋めて塚を築きその上に観音堂を建てた」といわれています。
 縄文の時代の地図によると石巻は入り江で海だったようで、篦岳は、そんな入り江に突き出た岬の突端であったようです。富山、牧山両観音も海岸の岬の様な要所にあります。そして三観音の地を結ぶと綺麗な正三角形になります。みちのくの白龍、日高見川の流れはこの3点を目指して北より下り、海に繋がり通じていたようです。(※下記資料参照下さい)
 
 お蔭様で、今日の予定を無事に巡ることが出来ました。巡りの後は温泉で冷気を払い温まり身心すっきりと整えるのが肝心です。近くの涌谷天平の湯にゆっくりつかり、一日の疲れを癒しました。後は、急ぎ仙台駅に戻りささやかな反省会をして中山さん達とお別れをしました。次回は3月の日高見聖地繋ぎNO2です。立春のお言葉をまとめ抜粋すると以下に集約出来そうです。

「是よりの時、この地の山、川たゆとう流れが平安に過ごし行くを、ただただひたすら願いて参られませ。大きなる動きにて進み行く変化は新しきを生み出すそこへの道なり。支えて参られませ。北よりの大きなる力を通すなり。大きなる光と皆々の響きを添えまする。
讃え祀る、この北の山々、支える岩、恵みを運ぶ川、全てを受ける海。是よりも変わらずに、新たなる時、この皆と共に生み出だしましょうぞ。」

 春立つ日、新たな戸を開き、繋がりし時を得たり。平安を念願して、ただただあわ歌を響かせること為し行くなり。

※下記資料追加アップしました。(2/26)
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198「節分3」2013,2,19

 2月3日は節分です。節分を調べると以下のようにあります。
「2月3日は節分の日です。「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。
 追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。」
 つまり3日の節分は大晦日で4日の立春は新年元旦です。今日は2012年を綺麗サッパリと整理して2013年を迎える大事な時です。しっかり追儺をして、この日高見の聖地を繋ぐ旅の目的達成をして、新たな御世へつなげる事が私たちに与えられています。

 朝目覚めると外は白銀の世界です。部屋からは豊沢川が目の前で、対岸は山がせり上がり、自然の妙にただただ見入り、時を忘れる雪景色です。
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バスにはチェーンが装着され、予定通り8時に宿を出発しました。バスは凛とした空気が漲り、皆さん意識の高まりが感じられます。

 最初の目的地は宿から15分ほどの熊堂古墳・熊野神社です。熊堂古墳は8世紀に築かれた小円墳群で、別名「蝦夷塚」「四十八塚」と言われるものです。後世に熊野神社を祀り、蝦夷の墓を大和の神で抑えたところです。雪をかき分けて進み、程良い円墳を囲んであわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「大きなる身と成り行かれ、この地の麗しき地を生まれ、変わりた。新しきと成されませ。大きなる夢、開きて現す誇り高き人々なり。美しき山、川現れ、出でませ。」8:45
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 冠山蝙蝠岩弘法大師霊場は北上川の対岸、東側になります。以前にも何度か訪れていて、霊場で参拝者にお会いする事がありませんでしたが、今回はおられます。伺うと節分会で、悪を払い災難を除き、幸運を招く、不動明王大護摩勤修、将に追儺が行われる準備をしているとのことです。本堂奥の巨石のドルメン笠の下には太師堂が安置され、大日如来、不動明王、弘法大師像が祀られています。その岩屋の中まで入ってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「どんどんとこの響き、大きくなり行きて、この広き宇宙を変え行くなり。皆々様のこの響きの大きなるを、是より次第に分かりて参らす。行方は大きな、見事なる事と定まりたり。ひたすらのこの歌、お待ち申す。ありがたき。」9:45
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 帰ろうとすると中山さんが巨石に呼び止められて以下のお言葉がありました。
「伝え行く、この岩々は光りを繋ぐ大きなる地なり。崩れて形が無しと成り、光を受けること成らず。本日、あなた様のその身より発する光受け、この地再びの柱と成らん。今一度お願い申す。(拍)
いざ送り申す。(拍)
 あー、いやましたり。ありがたき。(拍)」9:54

 丹内山神社には10分弱で着きました。寒中で皆さんトイレが近いです。屋外水洗トイレは使用禁止で、かなりくたびれた古いトイレで済まして頂き、雪の中、ぼちぼちと本殿、アラハバキ大神の巨石に向かいました。中山さんが本殿に挨拶をした時に頂いたお言葉です。
「放たれたるこの光を留めて、登り行かれませ。(拍)
 あーい、分かりたり。」10:20
 本殿の裏手にあるアラハバキ大神の巨石は胎内石で中をくぐることが出来ます。狭い中、岩に触れずに通ることが出来ると願いが叶うとか。着ぶくれした皆さんはダメなようでした。その巨石であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「旅たちて、新たなるへ向かう始まりを、ここへ伝えたり。響きと光は全き新しきを生み出だし行く。この地の光を繋ぎて、結びて参りませ。共に参るなり。お頼み申す。」10:40
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 次の目的地は北上川の対岸、西側、北上市にあります江釣子古墳群・八幡神社です。7世紀後半から8世紀前半にかけてつくられた古墳群で、直径6~15mの円墳が約120基あります。八幡地区は古墳時代の大集落跡があり、北上川と和賀川の合流地で古には栄えたところです。八幡神社東に「カムイヘチリコホ」という公園があります。アイヌ語の「神々の遊ぶ所」を意味するというこの語が「江釣子」の語源ではないかということです。古墳をイメージした石造りの野外ステージは雪に覆われています。ここも一面雪で道なき道を作りながら進みます。ステージで歌っても良いかも、と思ったのですが公園の小高い小山の上であわ歌を歌いました。太陽が燦々と降り注ぐ中、天地に響かせました。そこでのお言葉です。
「真なる大きな響きを賜りた、嬉しきなり。大きなる光と一つと成りて参ります。我等も是より発して伝え、新しきへの道開く。」12:20
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 昼食は北上市の歓楽街の諏訪町にある料亭、「きたかみ川」で豪華な姫御膳です。今回の日高見の聖地を繋ぐポイントは日高見の山、川で、北上川です。将にその名にふさわしいお店です。皆さん軽く喉を潤して、料理にはお悦びで大満足して頂きました。
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 訪問先は残り3か所です。バス北上川の対岸、東側に樺山遺跡に向かいます。そのバスの車中で中山さんに下されたお言葉がありました。
「行く道は大きなり。是よりこの身が起こす事、遥かな時の果てしなき大きなる思い。この宇宙と共に拡がり行きて、この地は輝きわたり、この事、現し行くため、この一身を賭しての事。光と共に成り行くこと成り。その時、この身は無しと成りて光りなり。」 14:00

 縄文樺山遺跡は太陽の光を頂き輝いていました。雪の中に竪穴住居が自然の一部と溶け込んであります。道を出来ていて楽々に向かう事ができました。いつ来ても心が躍るエネルギー場です。あわ歌を響かせましたが、中山さんがお言葉を降ろす最中は軽快な手拍子が続きます。その時のお言葉は以下です。 
「やって来た来た、この良き日。いよいよ始まる嬉しきは、この地を明るく明るく輝く、大きなる地といたさんと。ここに降る光は大きく皆々へ降り注ぎ行き、共々の大きな光ぞ。是よりの日々を嬉しき為さり行き、光へ参られ皆々様。」14:20
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 次は奥州市胆沢区の角塚古墳です。北上川の対岸、西側です。そこに向かうバスの車中で中山さんにお言葉がありました。
「更なる進みは、この時にこの地に現し、夢叶うその時へ、皆々を誘い行くは、大きなるこの身の果たす役割なり。とどめなく流れゆく。」 14:45
 角塚古墳の案内には以下のように記されています。「角塚古墳は円墳と方墳が合体して型づくられた全方後古墳です。墳丘上に一本の杉が樹立することなどから「蛇塚」や「一本杉」の愛称でも親しまれています。古墳は岩手県内でも最大最古に位置づくもので、周こうや埴輪、葺石(ふきいし)を伴う日本最北の古墳として昭和60年、国の指定史跡となっています」国道の脇にこんもりした小山の上に一本杉がありますので、一際目を引きます。古墳の上だけが雪が融けています。皆さんで古墳の上に上がってあわ歌を歌いました。西に沈む太陽が愛い深き光を送ってくれます。そこでのお言葉は以下です。
「繋がりたるは真に嬉しきなり。この時、この地も大きなる嬉しきへと参りましょうぞ。響きは伝わり、この地にしみいりたり。光を受け行く地となりましょう。ありがとうございます。」15:35
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 最後の目的地は奥州市衣川区石神99にある磐神社です。アラハバキ神を祀る社はぽつねんと雪原の中に鎮座していました。社の裏手には巨石があります。御神体のその岩に向かってこの旅の最後のあわ歌を歌いました。 
「行き交う多くの事々は、皆々足早に過ぎ去りて、留まること無き諸々は、このままに見ては際限なしのこの世なり。留めて全てを改めて行くは、大きなる光を響きにて、その身のものと成し行く皆々様なり。光と一つと成り行きて、この地の荒き動き、鎮め行き、新しきへ進める力と成られますよう、共々参りましょうぞ。」16:30
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 お蔭様で無事に日暮前のまだ明るいうちに旅を終える事が出来ました。天命塾あわ歌ツアーでは稀有なことでいつも暗がりの中で締めくくりです。余裕を持って旅の疲れを癒すべく、恒例の御馴染み平泉温泉悠久の湯に向かいました。皆さんすっきり、さっぱり蘇って元気回復です。帰りのバス車中の奥のサロン席は大フィーバーです。
 仙台駅に予定より早めに到着しました。最後に中山さんからこの旅の締めくくりのお言葉を頂き、今のいのちを呼び覚まして、光と輝きを発する地へと成す、天地人明察、日高見の聖地繋ぎの旅no1は完了です。そして次回3月24日の日高見聖地繋ぎの旅no2に繋がります。

197「節分2」2013,2,15

 2日朝7時に予定通りに大型貸切バスは28名を乗せて出発しました。東北自動車道を北上して岩手県の最北、ニ戸市を目指します。今回の行程は先に紹介した様に、中山博さんに下された絵とお言葉の紐解きからなっています。(本ブログ190「天地人明察の旅3」2012,12,27 http://sendaitenmei.blog108.fc2.com/blog-entry-191.html

 岩手山を左に望みながら盛岡市付近を過ぎると真正面に大きな虹が現れました。私達を歓迎してくれるかの様に出現した日高見の国のレインボウゲイトです。予期せぬ天の計らいの虹を満喫すべく、岩手山SAで休憩をしました。皆さん写真撮影です。これからの旅の前途を予感させる歓迎の徴と感じ、ワクワク感が高まります。
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 最初の目的地は一戸インターを降りて国道4号線を少し北上し、馬仙峡の男神岩・女神岩です。馬渕川と安比川の合流点にそびえる巨大な岩です。夫婦岩の類では全国でも稀な巨大さで、男神岩・180m、女神岩・160mの高さです。両方の岩を観れるところであわ歌を奏上しました。

 その前にどのように行うか中山さんが問われたところ以下の答えがありました。 
「沙汰ありて、この地で行うこの事は、四人が四角を作られて、中に一人、歌響かせたまえ。北の力をその中の人に送る。」
 陸奥、日高見に所縁のあるTさん、Oさん、Mさん、Oさんの四人で四角を作り、その中心に私が立ち、歌わせて頂きました。その時のお言葉です。
「この四角の中心にある方、是よりは四柱新たに結びて、新しきへ向かう。古きはご破算といたす。ここにて北よりの繋ぎを始むるなり。大きなる身を成りなって、この国の平安の為に、光を各所に繋ぎ行く。本日よりその第一段階始めます。」11;15
 終わって、中山さんから「これで骨折の意味が分かった。4本の柱を結ぶ繋ぐために、4本の骨が折れたのですね。」とのことです。果たして如何でしょうか?この時、ここから、この国の平安の為に繋ぎ行く第一段階が始まりました。
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 馬仙峡から10分弱で次の目的地、御所野縄文遺跡です。駐車場からゲートを入り、タイムトンネルを抜けるとそこは縄文の世界です。この世界はこれまでも何度か訪れていますが心豊かになります。快晴の中、太陽がキラキラ光輝き、一面雪に覆われた純白清純な世界は明るく暖かいものを感じさせます。そして古の先祖達の自然と共生し天地人一体で生きる豊かな、歓喜溢れるエネルギーに満ち満ちています。
 竪穴住居の中であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「あー、いー、うー、えー、おー(拍)
古き時、響かせて、繋ぎたる天と人と、ただ今の音なり。是よりの時は、天地繋ぐあわ歌なり。ここに歌響かせて、大きなる喜び、皆々様、共々に繋がり行きて新しきへ。」12:20
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 国道4号線を南下して北上川の源流を目指します。北上川源流は御堂観音にある弓弭(ゆはず)の泉です。そこから宮城県石巻市の北上川河口まで全長249キロ、東北で1番長い北上川の旅、物語の原点です。北上川はかつて日高見川と言われ、いつの頃からか北上川と改められたようです。
 国道から御堂観音に左折しますが、かなり鋭角な交差点でバスが曲がりきれずに方向転換して入ることになりました。御堂駅前でターンして四号線に左折して出ようとしたらスリップして出られません。何度か試みてどうにか国道に出たと思ったら今度はギヤが動かなくなりました。運転手さんはかなり慌てて、手を尽くしてどうにか問題解消できてほっと一安心です。私は一瞬、是のバスの故障で旅行は中止かな?と思いました。何かこの聖地繋ぎを阻害する力が現象化しているのかとも思いました。しかし、ありがたいことにそれは杞憂に終わりました。
 御堂観音は雪深く、山門にはかなりな積雪です。お寺の方が雪かきをして下さっていましたので比較的楽にお参りできました。源流は、これが東北一の大河の源なのかと思う程、本当に少し湧き出ているだけなのです。本堂前であわ歌を歌い上げさせて頂きました。その時に山門屋根の雪が大きな音を立てて滑り落ち、お蔭様で私達は難を逃れる事が出来ました。その時のお言葉です。
「いやう、いやう、いやう。
届けたり、響きと光。生み出だし流し行き、皆々集う流れとなして、結び繋ぎて、是よりの新しき流れ作られませ。」13:25
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 更に南下は続きます。次なる目的地は浮島古墳で、北上川西岸にあります。この古墳は奈良時代のものと言われていますが、岩手山の裾野に拡がり、正面には送仙山という472m程の小山があります。 
 岩手山は父山、姫神山が母山でこの送仙山がそれらの子供の山と言われています。更には岩手山の父山は岩木山で母が田沢湖とのことです。
 言い伝えによると、岩手山が女山の早池峰山と浮気をして姫神山を邪険にした時に送仙山が仲直りさせたとか。自然の中でも人間界と同じような想念があるのでしょうか?古の方々はそれを読み解いて、物語として人としての営みに反映して、この地で山の神を祀り生活を継続していたのです。
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 浮島古墳に着いて中山さんに以下のお言葉がありました。
「幾く度の戦 切り抜けて、この地にありたり。日は落ちて、暗き闇へ入り行く時を迎えております。何卒大きなる力と光を。」14:25
 道路から古墳の山頂近くにある東屋まで一列で雪を踏み固めながら雪中行進です。そこであわ歌を響かせて頂いたお言葉です。
「届けたり。響きと光、この時に、光に乗り行き、皆々様、大きなる広きへ参り行かれませ。この時ぞ。永き時をありがたき。」14:35

 次の目的地は北上川東側、母山の姫神山の懐に鎮座している姫神嶽神社です。小さな集落にある神社の参道は私達の為に雪の絨毯を敷き詰めて待っていました。杉の巨木が守っています。あわ歌を響かせ、以下のお言葉を頂きました。 
「訪ねて頂きありがたき。響きと光は受け賜りたり。皆々共々、励み行き、古き昔の嬉し地、ここに現す時へ参る。
 是よりお訪ねのその時に、最後に成りたるを、詫びて下され。一番に参らるるが宜しきなるが、こちらよりも伝えおく。お願い申す。」15:50
 この後半の意味は中山さんによると以下の事でした。
 本来、巡るにあたっては父山の岩手山神社を先にして、母山の姫神山、子供の送仙山の順番ですべきだった。それを違えて子供、母の順になったことを、これから参拝する岩手山神社ではお詫びして下さい。ということです。巡る行程の距離や時間で私の人間的合理で考えた事は礼を失してしまったようです。誠に申し訳なくお詫び申し上げます。
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 陽が大分傾いて来ました。急いで父山、岩手山の御魂を御奉戴する岩手山神社を目指します。ここは北上川西側です。今回参拝するのは滝沢村の岩手山神社と決めました。その社は岩手山の表登山口の柳沢口に鎮座しています。801年頃に坂上田村麻呂が蝦夷討伐のおり、国土鎮護を祈願して建てたと言われています。
 現状は些か寂れた感じで、降り立ったときも中山さんにここで良いのと言われました。前回、訪れた岩手山神社は雫石町長山の方でした、立派でかなりきれいに管理されていましたのでそちらのつもりでいたようです。陽が沈み出して、寒風も吹きすさぶ中、あわ歌を頂きました。しかし、その前にまずもって、巡る順序を違えたことを深くお詫びさせて頂きました。

「伝えたるをそじて下され。
 訪れる順序を違えて誠に申し訳ありませんでした。(と私がお詫びしました。)
 申す。この度のこの事大きな過ち、深くここにお詫び申すなり。我等一同、この地にてあわ歌響かせ、光持ち、大き身元、大きなる心現さんと成すなり。過ちここに重ねてお詫び申す。(拍)
是よりあわ歌響かせて、光を発します。(拍)
おー、この度、この地を訪ね来て、是よりこの地と広く結び、繋がりて、光の地となる力成し行きたし。力を添えて流し行かれませ。(拍)
大いなる思いを受け賜りたり。この地の力伝え行く、新たなる繋がりをしっかり守りて、共々にまいらん。(拍)
ありがたき。」16:45

 礼を失したことをお許し頂き、あわ歌を受け入れて下さったようです。そして「新たなる繋がりをしっかり守りて、共々にまいらん」とのこと、ありがたいことです。時間は既に17時です。予定の盛岡市内の2か所を巡ることは中止させて頂きました。
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 岩手山神社を離れ宿に向かう道すがら、西の空、岩手山には素晴らしい紅の世界が現れました。朝は虹、夕は紅で天、自然は呼応して下さり、我々に天地の繋がりを為したと教えて下さったようです。お蔭様で今日一日は、まずは目出度し目出度しで終える事が出来ました。
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 今日の宿は花巻市の大沢温泉山水閣です。この温泉には1200年前、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際、蝦夷軍の毒矢に負傷し、大沢の湯に入浴してほどなく傷が癒えたという伝説があります。
  又、宮沢賢治は少年の頃、信仰心の厚い父に連れられ花巻仏教会の講習会場だった大沢温泉に幾度となく訪れています。 そして学生時代は悪ふざけをして湯を汲み上げる水車を止めてしまい、風呂場が大騒ぎになったという逸話が残っています。また後年花巻農学校の教師時代には、生徒たちを引き連れて湯浴みに来ています。
 更には高村光太郎、相田みつおが好んで訪れた宿で、豊沢川の川沿の露天風呂、自炊部等古の建物もあり、風情もなかなか良いものです。
 いつもながら楽しい夕食懇親会で二次会も大いに盛り上がりました。私は退院後初めて温泉に浸かり、混浴露天風呂も満喫し、湯治気分でバスの長旅の疲れを癒して頂き、ゆっくり休ませて頂きました。

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196「節分1」2013,2,14

 2月1日から4日まで、仙台あわ歌会、日高見の聖地を繋ぐ旅等が予定されていました。私にとっては2013年を始める重要な行事と位置付けられていましたので、退院後の最も大事な事、懸案事項です。ですから1月29日午前に診察を受け、肺の回復も順調で退院許可が下りて直ぐにその日の午後に病院を後にしました。主治医はまだ入院していても良いのですよと言っていましたが、気持ちは退院後に向けられていて、大丈夫ですとお礼を言い、次回の来院日を予約して退院しました。我ながらかなり早い回復と思います。
 仕事等の代行はスムーズに出来ていましたが、皆さんからはあわ歌会、日高見の旅等の開催は危ぶまれていました。中山博さんからは「旅は中止ですね」と言われましたが、しかし私は何故か実施できると確信を持っており、はっきりと開催しますと即答していました。それまでには退院できると決めていましたし、それに向けての禊ぎに近い、断捨離の業を頂いたようにも思っていました。

 入院中は立花大敬さんのしあわせ通信を1巻から8巻まで再読して、その他合わせて10数冊の読書三昧で過ごしていました。入院し術後は身動きするのも難儀で、かなり痛みがあり、只々安静です。鎮痛剤が切れる夜中には痛みで目覚め、更に注射して頂く状態でした。しかし日を追うに従い痛みは軽減してきました。病室は個室の空きが無く4人部屋で、その人間模様も初めての体験でした。一度個室が空いて移動できることになったのですが、インフルエンザの急患で残念ながらお流れになってしまいました。今のこの世界を楽しめという事と気持ちを切り替えました。それでも、只々己が世界に沈潜して過ごす時間はこれまた初めての世界で、大敬さんの世界はぴったりでした。
 想い描く時間には恵まれ、新たなスケッチが出来ました。そして身近な方々の見舞いに感謝をし、お蔭様で幸せな時間を過ごすことが出来ました。多くのものを手放して、身軽になったような感じで、いよいよ節分、立春へ向けてのイベントを予定通りに開催出来ることになりました。

 中山さんには仙台にお越し頂く前、1月30日から31日にかけて以下のお言葉があったようです。
「是よりの事、まわり来る来る身元の光、受けらるたる方々に直接伝える。この身の光、その時変わりて受けたる方々、輝きて参る。」30日

「訪れたるなり。本日、ここに入り、この身と共にする。それより起こるこの身の変化は大きなることへの一歩なり。行方は定まりております。訪ね来たりて働きを成すなり。我等は何時でも光の中にある。」30日13:13

「さあて、我等はどこから始めましょうか。この身の中の光を見つけて、先ず一つと成り行き、その光を大き身元のものと成し行きます。それが出来ると多くの光が集合し出します。集まりたるところへ響きを送りて輝きを出します。その輝きは繰り返して大きく広げて行きます。来る日に向かいて進めましょう。」30日18:51
「あなたのその時をここに記す。
大きなる、広き、煌めく、美しき御姿が現れ出でます。輝きわたるその光の身、晴れ渡る空、暖かき地、流れ来る水。祝福は皆々に等しく。」31日20:00

「さすれども、この時に形を成さぬ方々は、この輝きやける御姿を見ることなく去り行くなり。ご用意なされませ。それぞれにそれぞれが思いのたけ全てにゐだして、ここに述べ為され。受け取りましょうぞ。」31日20:03

「今今、この時、勇躍、その身を預け、一切を無しと致せば、現れ出でます。大き身元の光、その身に入りたれば限りなき、全てを統べる嬉しきを見ることと成り、輝きわたります。」31日20:06

 これらの言葉を繋いでみると以下になります。
「是よりの事、まわり来る来る身元の光、受けらるたる方々に直接伝える。
 この身の光、その時変わりて受けたる方々、輝きて参る。訪れたるなり。本日、ここに入り、この身と共にする。それより起こるこの身の変化は大きなることへの一歩なり。行方は定まりております。訪ね来たりて働きを成すなり。我等は何時でも光の中にある。
 さあて、我等はどこから始めましょうか。
 この身の中の光を見つけて、先ず一つと成り行き、その光を大き身元のものと成し行きます。それが出来ると多くの光が集合し出します。集まりたるところへ響きを送りて輝きを出します。その輝きは繰り返して大きく広げて行きます。来る日に向けて進めましょう。
 あなたのその時をここに記す。
 大きなる、広き、煌めく、美しき御姿が現れ出でます。輝きわたるその光の身、晴れ渡る空、暖かき地、流れ来る水。祝福は皆々に等しく。さすれども、この時に形を成さぬ方々は、この輝きやける御姿を見ることなく去り行くなり。ご用意なされませ。それぞれにそれぞれが思いのたけ全てにゐだして、ここに述べ為され。受け取りましょうぞ。
 今今、この時、勇躍、その身を預け、一切を無しと致せば、現れ出でます。大き身元の光、その身に入りたれば限りなき、全てを統べる嬉しきを見ることと成り、輝きわたります。

 この意図を頂いていよいよ2月1日からの仙台あわ歌会が始まりました。あわ歌会での私の質問への答えは以下です。
大久保 質問:大寒から立春までの諸々の動きの事について
中山:それは大きな動きとしてでしょうか? 大久保:はい
中山 答え
「生み出しいく時なり。皆々持ち来り事々と真の思いをこの時に出されて、ご自分の大きなる身をしっかりと知り行き、春たけなわに向かう時、更にその身を軽きと為さり、大きなる新しきへ向かう為なり。
 この日本の土地には疑いも無き、大きなる光注ぎ来て戦の外にあり。皆々様にはその身と向き合う大事なる時ぞ。身に変化のある方々、喜び為さりてしっかり見つめる時なり。届く光はこの時のものなり。この光は如何なることも現し行くなり。大いに光受けて、流し行かれませ。」

 あわ歌会に引き続き開催されたあわ歌唱和会でのお言葉は以下です。
「ここに在りて思うは如何にせんと為し行くか。その事、永きにわたりたこの地の多くの事にて、ここの多くがその身につけたる“アカ(垢)”なかなかに取れず。是より降り来る光にて、ここに現し行くことと成したり。皆々様しっかり見なされ。」
「皆々様にはこの響き、高らかにこの大宇宙に響かせて、その身と結びて、この地と共々新しきへ参りませ。」

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 いよいよ2月2日、3日の日高見の聖地を繋ぐ旅の準備は整いました。

195「大寒」2013,2,12

 暫くぶりのブログです。長いお休みをいただきました。1月19日に長野で、生体エネルギー関係の組織、生体システム実践研究会の定期総会を終了して、お蔭様で役職を解いていただきました。本部の幹事、部会長を6年、宮城支部の支部長を12年、お世話させて頂きました。支部は2月16日の支部総会で全て完了です。

 総会終了後、長野から名古屋に向かい久しぶりに息子と会い、我が良き友のYさんと新年の歓談を大いに楽しみました。2次会に繰り出し、時を忘れ午前を迎え、大いに飲み楽しみ絶頂の時、将に急転して何故か怪我をしてしまいました。
 有頂天から地獄とは将にこのことでしょうか。ホテルに連れて帰っていただき、朝目覚めるとかなりな痛みです。酔っていたのが幸いして朝まで熟睡したのですが、痛みで目覚め、これはただ事ではないなと思い、予定を早めて帰仙しました。荷物を背負い、新幹線を乗り継いでの長旅ですが、背中の痛みはかなりなもの、呼吸法と意識の活用をしてまんじりともせずに過ごす、些か大変な道中でした。

 20日昼前に仙台に戻って少し休息し、午後からの真向法の修練会、定期総会です。修練会は小一時間お話をしましたが、体操指導は他の教師に変わっていただきました。総会は会長として議長を務めてどうにか無事に済ませたのですが、新年会は到底無理です。
 お話していてだんだん呼吸が苦しくなって来てこれ以上はギブアップ、限界です。失礼して帰り、鎮痛剤を飲み、色々な処置をして休みましたが、寝返りすら出来ず、大変な思いで朝を迎えました。
 これは自力では到底無理と観念して、21日月曜日朝一番に近くの整形外科に受診しました。その結果は左肋骨骨折で左肺が潰れているとのことで、緊急に総合病院の呼吸器外科に紹介と成りました。整形外科の先生からは良く名古屋から帰ってきましたね、よくも3日目まで我慢していましたねと言われました。納得の診断です。確かに辛いものがありました。

 転移先の病院に向かい、更に検査をして頂き緊急入院手術となりました。左肋骨4本、7か所の骨折で血気胸でした。3本の肋骨が2か所ずつ折れていますので、その所が陥没しているのです。なぜ転んだだけなのに、外傷も無くそのような骨折が起きるのか不思議ですが、天の計らいなのでしょう。
 生まれて初めての入院で、30年以上使用したことのない保険証を初めて使い、恩恵を受けました。西洋医術は緊急時には即効性があります。病室に持ち込んで使用した、独自の生体エネルギー活用の各種手当等と相まって、日に日に回復して9日間の入院で退院できました。そして先日、抜糸も出来ました。未だ鎮痛剤を常服しての生活ですが、順調に回復しています。歯科の仕事は娘に任せて暫くお休みをいただいて、今は養生に専念しています。
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「災い転じて福となす」との諺がありますが、心境としては将にその状態です。もし名古屋で受診していたら、即入院で仙台での諸々の支援や各所への業務の連絡、引き継ぎも出来ないまま大変な事になっていました。身体の状況が分からない故に仙台まで帰ってくる決断が出来たことは今考えると幸いでした。
 又、肺が潰れていなければ入院とは成らずに外来での対応で済んだので、強制的に入院休養をさせて頂き、ご褒美のバカンスを過ごすことが出来ました。
 大寒の日に怪我を頂き、節分まで2週間はしっかりその期間として自分と向き合い新たな人生への流れに切り替えることと出来ました。1981年開業以来一度も病気したことも無く、これまで休まず働き?、色々なお世話役もさせていただき、昨年還暦を迎えて一区切りを付けて、お蔭様で人生の変換点を頂いたようです。

 前のブログで紹介した杉浦清始宇宙僧の今年の言霊「面白年」を面白く、楽しく、嬉しく始める事が出来ました。SOS法則(そう思えばそうなる)で私の指導霊様との合意のもとに何とも不思議な状況で骨折を現象化させて頂き、有無も無く状況変換を余儀なくさせる大変換を頂きました。これは還暦の節目、母の33回忌直前でのお与えでした。
 今考えてみると、将に大難を小難で済ませることが出来てありがたいことです。そして身近な方々、縁する多くの方々の支えを頂いて生かされている幸せを感じ、ただただ感謝です。
 身体の自然治癒力の発動で骨折は3か月ほどで繋がるようです。我が身体を貸し与えられて使わせて頂く中に、改めてお詫びと感謝をさせて頂き、新たな視座、視点で未知の道を開き、今の時代を面白く、天命を淡々と楽しみながら生きて天寿を全うしたいものです。大還暦への第一歩です。
 
 私の机の脇に日めくりカレンダーが15年程同じ言葉のままにあります。今は亡き小林正観さんのカレンダーで12日の処です。そこに記されている言葉は以下です。
「覚悟 災難に遭いそうになったら、逢う。病気になりそうになったら、なる。死にそうになったら、死ぬ。それが災難よけの最良の方法。良寛和尚の言葉」

 2月1日にあわ歌の中山博様へ、「大寒から立春までの変化について」お尋ねした時に頂いたお言葉です。
「生み出しいく時なり。皆々持ち来り事々と真の思いをこの時に出されて、ご自分の大きなる身をしっかりと知り行き、春たけなわに向かう時、更にその身を軽きと為さり、大きなる新しきへ向かう為なり。
 この日本の土地には疑いも無き、大きなる光注ぎ来て戦の外にあり。皆々様にはその身と向き合う大事なる時ぞ。身に変化のある方々、喜び為さりてしっかり見つめる時なり。届く光はこの時のものなり。この光は如何なることも現し行くなり。大いに光受けて、流し行かれませ。」


プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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