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164「選択2」2012,7,31

 大高山神社の参拝を終えて、Kさんが今日は17時半頃の新幹線で帰らなければならないという事を知りました。あまり時間も考えずに場の流れでのんびり楽しんでいたのですが、私は急遽午後の予定を大変更です。皆さんは今日の行程予定を知りませんので何も問題は無いのです。夜に仙台に戻るつもり計画していましたので、昼食の美味しいお店も考えていたのですが、キャンセルしてコンビニで適当に買って車中で簡単に済ませることになりました。
 今日の午後の主たる目的は相馬妙見三社を参拝することです。他の予定していた何ヶ所かはまたの機会として、一路、相馬市へ向かいます。しかし、どうしても途中通り道にある角田市の熱日高彦神社だけ寄ることにしました。
 参道車道は植木の剪定業者の車で通行できません。戻って階段の参道を登りましたが、かなり石組みが崩れ、乱れていて何故か歪む空間を登る感じです。私達が参拝することに抵抗があるようです。登りきるとこれまた別世界で、しっかり整備され参道には旗がたなび、山の中に開かれた明るいまとまった空間が拡がっています。そこであわ歌を歌いましたがその時のお言葉です。

「直ちに出でませこの地より。古きは是より無へと向かい、新しきと成り行くなり。それぞれ、皆々降り来る光と成りなって、光の中へ参られよ。(拍手)
飛び立つ時は、この今なり。生み出だされし新しき時を迎えるその前に参られよ。(拍手)あーいー、日暮に向かうは承知なり。向かい行く。(拍手)
新た成るへは向かわぬ定めとな、分かりたり。」

 終わると中山さんは直ぐに帰りましょうと歩出しました。ですからここだけは集合写真がありません。この地を守る存在はしっかりと「日暮れに向かうは承知なり。向かい行く。」と述べています。どの道を進むか、その選択は各自にゆだねられています。既にそのつもりで私達をこの地に踏み入れることを拒んでいたようです。帰りは歪んだ石段の参道でなく、車道を遠回りでしたが歩いて下ってきました。
 
 時間がだんだん無くなってきます。Kさんは福島駅から新幹線で帰ることに決めていますのでまず相馬中村神社を目指します。予定は相馬妙見3社ですが車中での中山さんへのお言葉では1ヶ所に集まっているようで、まずはそこで行えばその後の事が決まるようです。相馬妙見(相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社)は私は初めての訪問です。この地はSさんにお任せで大丈夫と下見もしていませんでした。相馬野馬追はこの地の御神事で特に有名です。今年は7月28日からお祭りです。

 相馬藩等に付いては以下の説明があります。
「相馬氏は平将門(相馬小次郎)を出したと伝えられる平家一門の名家であり、鎌倉時代に陸奥国行方郡に移住して以後、明治維新までこの地を統治した。このような長期間の統治を行った領主は、島津氏(鹿児島県)、相良氏(熊本県)など極少数で、世界史上に比しても有数に長い統治期間だと言える」
「相馬周辺の市町村から騎馬武者が集まり、大きな3つの妙見神を神輿で招いて催される祭は、今から1060年以上前、相馬氏の遠祖・平将門が領内の下総国相馬郡小金原に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。鎌倉幕府の成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。
「相馬氏は将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として、相馬家の守護神である「妙見」に奉納した。これが現在「野馬懸」に継承されている。この祭の時に流れる民謡『相馬流れ山』は、奥州相馬氏の祖・相馬重胤が住んでいた現在の千葉県流山市(旧:下総国葛飾郡流山郷[3])に因んでいる。」
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 相馬藩の居城跡にある相馬中村城は、平安初期の延暦年間(800年頃)に奥州鎮撫のため坂上田村麻呂が最初に築いたとされています。相馬中村神社は城跡に鎮座しています。相馬野馬追ではこの中村神社で総大将出陣式が行われる将に起点です。この地もかなり強烈な波動がギンギンと来ます。1000年以上の歴史が脈々と続いてきている大きく、重いものがあるようです。妙見信仰で九曜紋です。今回も九曜紋を家紋に持つ方が地元のSさんの他、那須のSさん、Oさんが同行しています。その3人を囲んで本殿脇であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「ずい、ずい、ずいの、ずいを通して行く輩を、しっかりと現して、ふるうなり。(拍手)かなう、かみう、かたう。(拍手)
是より光をここに降ろす。皆々参りて受けられよう。」 
あわ歌奏上
「大勢の所縁の方々、集まりありがたき。これより申す事々にお答え下され。(拍手)
あわ歌の響きと、持ち来りたる光、大いなる皆様、受けたるや。(拍手)
ここにある者の一人答える。受けたり。(拍手)
是より参る道、新しきとなさるや。(拍手)
伝えられしは我等の道なり。これよりの新しきは、我等が無きと成るや。(拍手)
今より、新しきは皆々一つとなり、区別は無しぞ。遥かな元へ進み行き、光の中なり。(拍手)
光とは、今見たるものなるや。(拍手)
如何にも。これよりこの光、降り注ぐ。この時に光と共に参られませ。(拍手)
大いなる光と見たり。分かりたり。(拍手)
それぞれ皆々、ご自分の思いで、定めて参られよ。ありがとう。」

 今回の訪問だけでは如何とも動かないようです。あわ歌を歌っている時もSさんが何とも合わない感じで最後まで乱れた感じでした。これだけのあわ歌経験者が打ち揃っても何故か響きが違いました。この場の強い力が働いていたのでしょうか。ここでは中山さんもかなりきつかったようで顔色もあまり良くありません。
 帰りの時間も迫っていますので終わってそこそこに中山さん始め新幹線で帰る方々4人とお別れです。終わりが些か消化不良気味ですが改めて又、しっかりと時間を取ってでしょうか。しかし、初期の目的は果たせたようです。

 残った私達4人はSさんが車を置いている亘理駅に向かいました。途中反省会をと思ったらSさんの車の鍵が紛失しています。荷物をいろいろ探したのですが見つかりません。これは「鍵が無く、今直ぐに車の扉は開けられません」という事で、相馬中村神社での事を改めて知らしめる事です。スペアキーがあるという事で後は処理できたのですが未だ鍵は見つからないようです。
 家族に迎えに来てもらう事で、まずは4人で話の花を咲かせました。病(闇)み上がり?病(闇)の中?だったMさんは完全に元気になって回復しています。今回参加して良かったとおっしゃって頂きありがたかったです。

 今日は午前中の訪問地のエネルギーは凄いものがありました。それに対して午後巡った2か所は明らかに違う世界です。光と闇の違いでしょうか。熱日高彦神社で「日暮れに向かうは承知なり。向かい行く。」と選択決断の言葉を伺ったことは少し驚きでした。全ては私たちに委ねられている事を楽しく明るく暖かく果たしていくことでしょうか。良き縁に生かされ善き縁を生きたいものです。
 Kさん達も新幹線にも間に合いまずは良かったです。そしてKさんは福島駅に向かう車で珍しい光を写真に収められたようです。タイミング、そこに目を向ける、直感でしょうか、全ては選択如何です。またまた濃厚な時空間を満喫できました。
イメーシ#12441;

 写真はSさんのブログ「光りと響きとあい」をご覧ください。
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-11312029200.html

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163「選択1」2012,7,30

 7月8日に中山博さんとの陸奥開闢の旅を、お蔭様で実り多い中に終えることが出来ました。最近は旅の翌日、その旅を補追するポイントを巡る旅をすることが恒例になっていて、今回も中山さんにこっそりの旅をお願いしていました。この旅の内容は当日まで私しか分からない、ミステリーの旅です。
 8日に十和田湖に向かう車中で長野の大姉御Kさんから連絡があり、何故か急遽9日のこっそりの旅に参加する為に、その日の夜に仙台に来るという事になりました。8日旅を終えて仙台に着いたのは21時半です。それから旅の反省会ならぬ歓迎の宴です。那須から車で参加していたSさんもその日に帰るのを止めて9日の旅に参加です。宴も盛り上がった頃、これまた何故か秋田の大姉御Mさんに電話をして、明日の旅に呼び出そうという事になりました。実はMさんは風邪をこじらせ肺炎で寝込んでいて、今回の開闢の旅は間際にキャンセルしていました。時間も11時近くでしたでしょうか、寝込んでいる中に電話が通じ、丁々発止、やんや、やんやの内に明日始発で秋田を出てくることになりました。人でなし?集団のすることは非常識が常識の様です。しかし流石女親分は決断力が凄いと皆で感心です。

 結果的に今回の巡りに、直前に中央の主のKさん、北の主のMさん、そして日高見中心と言われた那須の主のSさんも相揃う事がなぜ出来たのか。陸奥の巫女とのお役目を十和田湖で頂いたOさん、Tさんと私と中山さん、そして地元の福島相馬のSさんは当初から同行の予定でしたが、今回巡る地には更に3名の方々が必要であったようです。つまり、それ程のストーリーがあったことだったのかと思ったのでした。

 9日は素晴らしい良い天気です。出発直前の些かの小嵐?はありましたが、秋田からMさんも無事到着し総勢8名が9時にホテル前に揃いました。

 最初の目的地は仙台市内の西方に聳える太白山です。標高321mの小さい山ですが新幹線からも見えて、ちょっと目を引くピラミッドのような形をしています。太白区の太白団地から高速道路を横切る高架橋を越えると様相は一変して、うっそうとした緑の世界です。細い山道を進むとほどなく山頂への登山道です。そこに車を置いて、10分ほど登り生出森八幡神社に向かいました。
 太白山は京都の鞍馬山と同様に金星に所縁がある山の様で、「太白星」(金星)が落ちて出来た山、という伝承から太白山の名を持つと言われます。鞍馬が表なら、この太白山が裏のポイントとのことです。私は是まで仙台に42年住んでいますがまったく縁が無く、これまで何故か遠目からいつも目にしていましたが、少し近寄りがたいエネルギーを感じていました。しかし今回の旅はここから始めると直感がありました。数日前に一人で下見に来たのが初めてでした。
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 山の中に入ると違う心地良さがあります。朝の木漏れ陽がキラキラ輝いて穏やかな暖かさで迎えてくれました。去年の地震の影響で神社本殿への最後の登り道で立ち入り禁止のロープが張られています。そこであわ歌を響かせましたが、その時のお言葉です。

「大、大、大の大宇宙は、光りを送り来て、全てに降らせ来たり。
ふる、ふる、ふる、この光を共々参る方々へ、送りておるなり。是より10日の間。(拍手)
しっかり受けて変わり行かれませ。この地の全ても受け取りて、変わりて参る。(拍手)
離れ行く行く多くの霊(たま)は、この場を通して参り行く。
新しきへ参るは光りなり。鋭く、強く、はっきりと致す。」

 お言葉でこの地は「離れ行く行く多くの霊(たま)は、この場を通して参り行く」とあり、中山さんも太白山は鞍馬と対になる、穢されていない重要な場所にあたるようですねとのことです。足取り軽く下りてきました。

 次の目的地は更に西方に進み秋保神社です。由緒には「平安初期の大同三年(西暦808年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社を祀ったと伝えられ、壱千二百年の歴史を有します。時代は下り、今より凡そ五百年前の室町時代には、秋保村領主秋保氏の祖先平盛房が諏訪神社を勧請、熊野神社に代わって秋保郷の守護神とし崇拝しました。・・・」とあります。そして御祭神は健御名方命 (たけみなかたのみこと)です。この地でもあわ歌を響かせましたがその時のお言葉が以下です。

「元なる元へと戻り行き、無(なし)と成られて真と成りたる思いは、この身、この地、この宇宙、全てを統べる元となる。大きなるこの身の働きを、よくよく知りて、只々響きて下され。是よりの道が分かれ行く。」

 蔵王町宮にある刈田嶺神社(白鳥大明神)も坂上田村麻呂所縁の神社です。以下の由来が記されています。
「祭神は日本武尊で、延暦十年(791)、坂上田村麻呂が奥州に侵攻した時、西宮の白鳥神社を合祀したため白鳥大明神と称し、明治元年(1868)には正式に刈田嶺神社と改称しました。朝延や代々の領主によって尊崇を受け、大同元年(806)には二戸の神封を、貞観十一年(869)には従四位下の位をそれぞれ授けられています。この神社の保護および再興に関わった人物としては、藤原清衡(ふじわらのきよひら)、伊達稙宗(だてたねむね)・輝宗(てるむね)・政宗(まさむね)・片倉利休などがおり、永正十一年(1514)、伊達稙宗が、社殿を青麻山から現在地に移しています。現社殿は、享保三年(1718)、片倉利休が領内富豪の浄財を仰いで造営したものと伝えられています。」
 参道を進むうちに正午過ぎの太陽の日差しは益々強烈になって行きます。Sさんが写すカメラ映像は白光で形が消えて行きます。中山さんは靴以外の姿は消えてしまうほどです。私達も撮影してもらいましたが驚きの映像です。本殿裏の白鳥古墳群近くであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「今、ここにありて発し行くは、響きに乗り来た光ぞよ。大きなる宇宙の光なり。この地は光りを発し行き、光の交信いたして参り、伝え行きたる処ぞ。柱を立てるこの地の人を。あれば大きく変わり行く。あなた様よりお伝え下され。(拍手)あい、分かりたり、ありがたき。」

 お言葉で「柱を立てるこの地の人を」とありました。隣の白石市のIさんに後日その旨お伝えしてお役目お願いいたしました。宇宙よりの大きな光を受け、きっと大きく変わることでしょう。
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 隣町の大河原町の大高山神社は直ぐ近くです。御由緒には「人皇三十代敏達天皇の元年(五七一年)日本武尊を祭神として創建されたが、推古天皇の御守、橘豊日尊(三一代用明天皇、聖徳太子の父君)を合祀された。
 縁起書、安永風土記、観蹟聞老志などを併せ見ることによって、日本武尊が夷賊征伐の際、この地に仮に宮を建てて住んだので、その跡地に白鳥大明神として日本武尊を奉祭した。」とあります。かなり古い神社です。ここでもあわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。

「伝え行くこれよりの日々は、光と闇との大きなしのぎあいなり。皆々様の発する光は、大きなる力と成り行きて、闇に入りても光行く。堂々たる響きにて、発して下され。歌は益々拡がり行く。」

 これからは光と闇のしのぎ合いです。いよいよ大事な局面であり、しっかりした響きを発して行く役割があるようです。

写真はSさんのブログ「光りと響きとあい」をご覧ください。
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-11307183934.html
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-11309565478.html

162「戸開き3」2012,7,25

 陸奥開闢の旅2日目はとても良い天気になりました。八戸市内を眺望できる高台のホテルから定時に出発しました。目指すは五戸町にある地蔵岱の地蔵尊です。地蔵公園の駐車場に着くと、青森から参加の方々の2台の車が丁度後ろから来て一緒になりました。昨日の天台寺で秋田からきたSさんと合流した時と同じでジャストタイムです。1度ならずも2度までもあるとは驚きです。
 善良な働き者の酒屋の奉公人だった男が、八戸への仕事の帰り道に吹雪に遭い亡くなりました。暫くして彼の冥福を祈る為に、今から200年ほど前に酒屋の主人が建立したものです。六角堂の中に地蔵様が祀られています。私達が行った時にお堂には地元のおばあさんが一人おられました。中山さんとお話しましたのですが、方言が良くわかりません。何か大きなお助けを頂いているようで熱心なお参りをされている方でした。お堂の前で、青森の方々5人を中に囲んであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「ありがとう、熱き血潮感じたり。大きなる響きは、この地にある数々の御霊を振るいたり。これより参る、膿深きへ拡がり行きて、遙かなり。ありがたき。」
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 五戸町から新郷村に向かう町はずれに新山神社・夫婦神社があります。860年に勧請したのが始まりとありますが、社殿の彫り物は驚きの数々で、至る所に龍、獅子などがいますがこんなところでこれほどの見事な龍が、と思うものでした。社殿奥にはケヤキとエゾエノキが一体となった夫婦ご神木と言われる巨木があり、そこに夫婦神社の社が祀られていました。光が木々を通して柔らかな心地良い風を誘い、身心が喜びを感じてくる世界です。ご神木を前にあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

「これより参る新しき時は、皆々様の真の想いの契りなり。光と共に現れ出でる真を、互いに知りれば、繋がり行きて嬉しきとなれる。今、今のことに囚われず新しきへ参りませ。」

 契りとは、契約のことでしょうか。キリスト教的な感じがすると中山さんが話されましたが、ここから数キロ先、十和田湖より、新郷村にキリストの墓と言われる場所があります。そんな影響もあるのかもしれません。
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 五戸の町の方に戻り、五戸高校の後ろにある根岸八幡宮が次なる目的地です。誉田別命をお祀りしていますが、ここの神社も素晴らしい龍の彫り物に目を奪われます。どこもかしこも龍だらけで、よほどの彫り物師と依頼主の思いがあるのでしょう。そしてご神木の樹齢470年のイチイの巨木は素晴らしい枝振りです。イチイの木の中で円陣を組んであわ歌を歌いました。

「明日への大きな力となされ。皆々が歌いて、響きて送りたるこの光を持ちて、遥かな時へつつがなく参られませ。この地と共々にこれまでありがとう、これよりもありがとう。」
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 五戸の次は六戸です。六戸の町を抜けると熊野神社の鳥居に向かって道路はまっすぐに進みます。少し身体が重い感じで参道の階段を上って行きます。この神社の御祭神はイザナギ命とイザナミ命で熊野三社とは関係が無いようです。神社の由緒書きには以下のように記されています。
『本神社は、坂上田村麻呂が蝦夷平定の勅命を奉じ、陸奥の地へ下向、此の地に滞在の際、延暦23年、住民をして一の堂宇を建立せしめ雌雄の鷹の羽にて作りし拝領の矢二本をイザナギ・イザナミ二神の御霊代として鎮祭し、熊野大明神と称え奉り崇敬の古社なりしも、明治5年神仏仕分の際、手続きの不備の為、明治6年5月廃社となり、明治13年復社願し、同年8月9日無格社として聞き届けられ、昭和6年村社に列せられる。』
 本殿前であわ歌を歌わせていただきました。その時のお言葉です。

「歌の響きは大きく拡がりて、ここに光は参り来て、皆々様へと下り来たりたり。(拍手)嬉しきなり。」

 歌の響きと下りた光に素直に喜んで受け入れて頂けたようです。帰りの階段は足取りも軽く、光を楽しみながらの帰路でした。
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 六戸の次は七戸です。七戸町の郊外には東北新幹線七戸十和田駅が2年ほど前に新設されかなりの賑わいを見せています。七戸城は南北朝時代に南朝側の軍事的拠点として築城され、統一後は七戸南部氏の居城として栄えましたが、前日に訪れた一戸町九戸城での九戸政実の九戸の乱に、七戸氏は九戸方として参戦して敗北してしまいます。そして斬首され九戸南部氏は滅亡し、廃城されています。やがて南部藩の北の守り、津軽氏への抑えとして重要視され、盛岡藩から七戸藩として分置され、戊辰戦争では奥州越列藩同盟に参加しますが再び敗れます。明治維新後は七戸藩庁もおかれました。

 予定では七戸城跡を先に訪れる予定でしたが、何故か城址のすぐ近くの丘の上にある天王(てんのう)神社に先に行きました。急な自動車道を登り本殿近くまで車を乗り入れました。既にその時に1組のご夫婦が参拝していて、奥様が暫く電話していました。ご主人は6台もの車で乗りいれた我々を興味深そうに見ていました。全員そろって歌を歌おうとした時に、その奥様が私達の同行の仲間のOさんに近寄り、まじまじと顔を見ながら彼女に「・・ちゃんでない?」と名前を呼びかけるではありませんか。Oさんは始めきょとんとしていましたが、相手が誰か気付いたのか驚きの声を上げて抱き合うではありませんか。その方は学生時代の同級生で20数年振りに偶然?逢う事になりました。奥様は八戸に住んでいて、その日の朝に急に思い立って七戸に観光に来たそうです。彼女は岐阜在住のOさんがなぜ、些か怪しげなグループの一員でこの地に来ているのか、なぜ?なぜ?と矢継ぎ早に出逢いの驚きに声を発しています。
 これは果たして偶然の事なのでしょうか。この天王神社での出逢いや、2日続けてのジャストインタイムでの合流といい、この地を治める大きなる存在からすると、予測できない、計り知れない事を起こすのは何ら難しいことではないという事、人智を超える驚きの事が、常に必要な役割を果たす人には、次元を超えてその現象化が当たり前に起きることを改めて教えて下さったようでした。

 天王神社は牛頭天王(素盞嗚尊)が勧請されていますが、七戸城から見て北東の方角の鬼門鎮護の守護神だったとも考えられます。明治の神仏分離令時に須賀神社となり、のちに改めて天王神社となっています。てんのう神社という、天皇でなく天王と表記される本殿前であわ歌を歌わせて頂きました。その時のお言葉です。

「持ち来る光は響きと共に輝き行くなり。これよりそれぞれその身を持ちて、響きて輝きなされよ。」
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 光が南西の方向にある七戸城跡に降り注いでいます。さながらその地へ早く参る様に誘われているようです。城跡は柏葉公園として整備され、神明宮があり神社奥には樹齢八百年?の巨大な御神木、樅の木と杉の木の二本あります。光が燦々と降り注ぎすこぶる気持ちが良い場です。公園奥の円錐形の綺麗な丘に自然に足が引き寄せられます。全員その丘に上がってあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

「明らかなる大きなる光を、是よりこの地に現す時は迫り来たり。本日の是よりも合わせ、皆々様の響きをお待ち申す。」
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 皆さん晴やいで輝きが増したようです。丘に上がることを何故か拒否していたTさんも様変わりで綺麗に吹っ切れたようです。この城には蛇の伝説がありここから北に祀る千曳神社との繋がりが深いようです。千曳神社には前回の今年3月10日の陸奥開闢の旅の最後に訪れたところです。七戸城で予定の戸の付く個所は終わりです。

 昼食は十和田市を抜けて十和田湖へ向かう途中にある道の駅奥入瀬のビール館です。優雅な昼食を頂き、十和田神社をめざします。奥入瀬渓流は渓流の水の勢いと清冽な流のコントラスト、青々として樹木の発するエネルギーは凄く心地良い世界です。車中、中山さんとお話していて急遽、石ヶ戸で停車することになりました。実はここが秘められた最後の戸の場所でした。
 石ヶ戸はかつらの巨木と10m程の巨石が作る岩屋で「鬼神のお松」伝説があります。ここで中山さんがTさんとOさんの二人の女性を指名して儀式がなされました。お二人は七戸で些か変化があった方々です。そこでのお言葉は以下でした。

「立なされよ。この地の巫女よ、夢は是より開き行く。(拍手)あいの大き水、三度召されよ。」
 二人は清流の天意(あい)の大きい水を手ですくうようにして3度召しました。このことにより、ふたりはこの陸奥の地の神の巫女としてのお役目を果たすことになったようです。果たして如何になりますでしょうか。
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 十和田湖畔休屋のホテル、旅館の多くが閉鎖されかつての面影がありません。十和田神社を参拝し、奥山にある青龍神社を訪れました。お宮の扉を開けると卵が2個あります。OさんとTさんは共に酉年生まれで、龍の卵ならぬ卵が2個お供えされてあるとは、少し出来過ぎです。お二人の巫女を前にしてあわ歌を歌いました。そこでのお言葉です。

「開きたる扉は、是より今までの全てを出だす。(拍手)これ皆々、この身は承りおく。(拍手)その後、光を送るは新しきへ進む皆々様なり。その事、是よりお知らせ致すは、こちらの二人。しっかり受けられて、一杯の力を頼みます。(拍手)みーいーやーうー」
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 しっかりと扉は開かれ、今までの全ては出され、新しきへ進む方には光が送られる。その事を伝える役目を二人が果たされることが明らかになったようです。めでたきことです。
 戸開きは完了しました。最後の目的地、秋田県鹿野市の大湯環状列石へ向かいました。
 丁度陽が傾き夕暮れ前の心地良い風がその地を吹き、光がキラキラ輝いていました。環状列石の中であわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

「さあさあ、皆々様にて手拍子を、3つを3度、その後5つ、最後に7つお願い申す。(手拍子)あーいー、響きたり、ありがとう。」

 縄文の頃の響きが3,3,3,5,7と拡がりました。天と地と人が結ばれたような感じです。三、五、七の響きの中で「みこなる」と開き結ばれたのでしょう。みこなる、巫女なる。石ヶ戸で巫女の儀式がなされ、3次元、5次元、7次元を繋ぐ柱、扉開きを祝うエンディングには大湯環状列石が用意されていたようです。そして鹿角市から参加していたSさんの存在も大きかったようで、すべては丁度良いようです。そして次なる旅への序章の幕を目出度く降ろされました。
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 以下は余談で、関係があるか分かりませんが他からの引用です。
 3,5,7は奇数で「陽数」といって縁起のいい数という考え方があります。神道系のある説によると、今の世の天地律そのものが「七五三」の律動で、「三五七」が「正律」で、七五三は「逆律」で本来の天地のリズムとは真逆なのだと言います。ですから本来の根本律が真逆で世が進めば進むほど、それに準拠しているこの世のすべてにおいて混迷を深め行き詰まるのは理の当然。これを根本から正すに、本来の「三五七」のリズムに戻さなければならない。そのため我が国では幕末、明治から、そのための「立て替え」「立て直し」が徐々に進行してきた。そして近未来「世の大峠」を迎えることにより、逆律から正律への切り替えが為され、天地のリズムは三五七になるだろうと言うことです。

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161「戸開き2」2012,7,20

 古代最北の仏教文化の中心であった天台寺は大きなお寺です。なぜにこれほどの寺を700年代初めに、蝦夷の辺境のまつろわぬこの地に建立する必要があったのか。聖武天皇が行基に命じて開山させ、やがて天台寺と天台宗のそのものの名を頂き、南北朝時代の南朝の98代の天皇の慶長天皇陵もあります。やがて南部氏の保護を受け室町時代には糠部三十三観音の一番札所と隆盛を極めたようです。今回の陸奥開闢の旅で本州最北の地へ足を入れ、戸開きを開始するにはこの地からがふさわしかったと思います。
 お言葉にも「これよりこの地の力、北の大きなる星の力合わせて、元なる地へ」とあります。北の大きなる星とは北極星でしょうか。そしてそれにまつわる北斗七星です。

 次なる目的地は一戸町にある御所野縄文遺跡です。縄文中期の広大な遺跡で、駐車場から施設に入る入口はユニークです。谷を越える「ききき(木奇喜)のつり橋」は名前そのままで喜びながら橋を渡って行きますが、さながらタイムスリップするトンネルです。
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そして渡りきると広大な緑の安らぎの世界が拡がり、その解放感に皆大喜びです。太陽が喜びの光を降り注ぎ、心がワクワク響きます。自然豊かなこんな世界で過ごしていたかつての遺伝子が蘇ります。竪穴住居の中であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「古き時には、大きな身ここにありて、共々にこの地を楽しみたり。皆々申すは、合って、打つ打つ、響き、打つ、あって、あって、祈りて参りて過ごしたり。ここに集うは皆々、遥けきへの旅の友ぞ、ありがたき。」

 音あり、響きあり、光あり、身体が歓喜の動きが起きてきます。かつて遙か古の時を共にした仲間が今、此処に集って、この地のエネルギーに触発されたようです。皆さんで頂くお弁当もとても美味しいものでした。山形のNさん差し入れの桐箱いりのさくらんぼが殊の外美味しく、全てに満たされた至福の時を楽しめました。
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 午後1番の目的地は同じ一戸町で程近い鳥越観音です。国道に巨大な鳥居がありますがかなり細い山道を登って駐車場にたどり着きます。そこから数分更に山道を登ると仁王門があり大きな岩山の岸壁に階段があり、岸壁の途中のくぼみに岩屋、祠があります。平安前期に慈覚大師が開いたと言われ、慈覚大師作の観音像をお祀りしています。戸を開けて拝殿に入り灯明を灯してあわ歌を頂きました。そこでのお言葉です。

「訪ねたるこの山、この地は二つなる身を持ちて過ごし来たり。一つは、この地に降り来る大きなる光、地へと繋ぎる古き岩ぞ。一つは、この岩の中にある新しき力なり。この地に新しき教えと共に、探し来るものに使われて大事なる光を闇へと吸われてきた。今よりここへも光を送りて、北の大きなる星と繋がんといたす。何卒響きて光を頼みたし。歌に乗り来るは大きなり。(拍手)生まれ出で来る古き身が待ちております。(拍手)届く光を永き時待ちたり。(拍手)荒みてあるこの地を遙かなる大きな元へと帰すなり。(拍手)旅は始まりこれよりぞ。共々、共々参ろうぞ。」

 意味深い内容が語られました。北の大きなる星と繋ぐ地です。大変な穴場でした。
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 引き続き訪れたのは二戸市にある九戸城跡です。南部藩九戸政実の居城で九戸の乱の地です。南部藩の世継ぎ問題が発端でしたが豊臣秀吉の奥州仕置に反発した戦でした。豊臣方軍勢6万に九戸勢5千での戦は偽りの和睦で敗れ、九戸一族は悉く殺され、九戸城は多くの屍の山と成ったようです。中世史終演の場であった九戸城は当時の面影も無く、ひっそりとしていて、今は綺麗に整備されていました。
 アテルイと坂上田村麻呂、政実と秀吉と、北の豊かな地と民は中央の支配下に置かれていきます。城の入り口には九曜紋の登り旗がたなびき、城の案内表紙には城跡に煌々と輝く満月があり印象的でした。九戸城本丸跡で九曜紋所縁の4人を中に囲んで、あわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。

「うつしたるこの響きと光を持ちて皆々、差別も区別も無しと致して参り来れよ。届きたるや光は。(拍手)生みたるこの地のこの中にある皆々、それぞれ果たしたるそれぞれの分を持ちておる。一つとなるは膿を取りたればなり。(拍手)あーいー、どうぞこの身を使われて参られよ。あーいー、ふるふるふる。(拍手)尽きせぬ思いも共に参られ。」

 一つと成るには膿を取りださなければならないようです。果たして如何に成りましょうか。お城の草むらの中からTさんが四葉のクロ-バーを見つけました。ありがたきお知らせかもしれません。
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 九戸村にある九戸神社は842年創建で九戸地方の総鎮守、九戸家代々が大切にした神社です。この神社は天之御中主神を御祭神とし、社紋も九曜紋ですが中の丸が三日月なのです。参道を進む足は些か重い感じです。拝殿前で皆さんで響かせました。そこでのお言葉です。

「出でませこの地の大きなる身、開きませこの扉、大いなる時巡り来たりた。只今、是よりなり。さあさあ、この地の全てをここに現しなされ。響き光を受け取りたる方々、参られませ、皆々光へ。」
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 三戸南部氏は南部宗家で、三戸町にある三戸城は南部藩が盛岡に移るまでの本拠地で小高い山の上にあります。家紋は向い鶴に九曜紋です。桜の名所の城跡にある糠部神社の脇の心地良き場であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「これよりこの地の扉をことごとく開き行けば、古きは出でて光と共に消え行きたる。その後に暖かき、優しき出でまして、大きなるこの北の地は元へ帰る。楽しみなり。」

「大きなる北の地は元に帰る。楽しみなり。」将にその通りです。

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 八戸市は青森県南部の拠点都市で八戸南部藩のあったところです。三戸から八戸に向かい、市街地に入る手前に櫛引八幡宮があります。南部藩総鎮守で創記には以下のようにあります。
「櫛引八幡宮は南部家初代光行公の草創と伝えられる。
南部家文書(八戸根城南部家・『八戸家系』、『八戸家傳記』)によると、 文治5年平泉合戦(1189年)に戦功をたてた光行公は源頼朝から糠部郡(ぬかのぶのこおり、 岩手県北部・青森県東部の広大な地域)を拝領し建久2年(1191年)に入部、 後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持せしめ、霊地をトして櫛引村に 宮社を造営し武運長久を祈ったという。」
 境内の杉の巨木を囲んであわ歌を響かせました。
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「響きに乗り来る光は皆々様へ降る降る降るなり、降り来るなり。続きて響きてその身に光を、大きなる身となり行きなされませ。」

 八戸市内中心部の長者山にある新羅神社にたどり着いたころは日も暮れかかっていました。祭神は素佐鳴尊と新羅三郎源義光です。社殿奥の林の中であわ歌を響かせましたが、柏手を打つと同時にカラスの大群が飛び立ち、やぶ蚊の襲来を受ける中の響き合いでした。
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 そこでのお言葉です。

「届いて久しきこの地の元は、これより降り来る光を持ちて新たなる扉開き行く。皆々立ちて参りましょうぞ。大きなり、この地、この海。」

 「新たなる扉開きて行く」ことが出来そうです。ありがたきことです。これにて今日の訪問地を無事に巡ることが出来ました。ホテルに入り楽しき宴で英気を養い明日からの戸開きへと進みます。

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160「戸開き1」2012,7,14

 九州地方には経験したことのない大雨が降り注ぎ、甚大な被害が出ています。7月11日には小沢一郎氏が新党を立ち上げ、政界の再編へと渾沌を増しています。全てが予定通りの変化真っ只中です。全ては経験したことが無い変化が起きる時を迎えたようです。

 7月6日はあわ歌会、あわ歌50回の集いでした。しかし、私は朝から長野へ出かけていました。というのは生体システム実践研究会の本部勉強会が午後からあり、宮城支部が今月の当番で、勉強会の中で実践報告をすることを私が指名されていました。宮城支部長として受けざるを得ず、急遽出かけることになりました。1日目勉強会の佐藤政二先生講義の後に、私の発表がありましたが40分間のお話を無事に終える事が出来ました。引き続きあった、佐藤政二先生の講義を聞きたいのは山々でしたが、すぐに帰ってきました。
 天命舎に7時半頃に着くと皆さん円形に座りあわ歌熱唱中でした。中山さんと一人ずつ向きあい座り2回ずつ歌を歌い交代していました。私も20回程歌えましたが、最後に私が向き合い座って終了です。あわ歌50回で頂いたお言葉は以下です。

「遙かかなたより 遙かな時を越えてこの宇宙へ飛び来る、今にここに在る光の子、ここにて大事なる事となりました。
 光の子は多くの小さな子と共々一つとなることと成りました。そのため、光の子は沢山の光の子が必要です。
 皆々を集めるためには、このあわ歌の響きを宇宙に響かせないと集められません。この地の人々が響きを発することが必要です。
 この地が出来ることです。どうぞ響かせて下さい。そうすれば光の子は集まって小さな子に結びついて、一つと成って皆々を光となし、輝かせます。
 この宇宙が輝きて明るき時なりゆけば、はるけき旅を続けて嬉しきと成り行き、全き新しきへと参ります。
 それこそ皆々様の楽しき、嬉しきなり。皆々様が共々に光へ参る時と成り行く、どうぞ是よりその身が響きて下されませ。」

 この様な物語的なお言葉は初めてでした。絵を描いて挿絵を加えたら絵本が出来そうです。「皆々を集めるためには、このあわ歌の響きを宇宙に響かせないと集められません。この地の人々が響きを発することが必要です。」とあります。そうすることで楽しき嬉しきの新しき世界へ向かえる。あわ歌に縁した人が響かせることで、人だけでなくその地、そのものの存在も含めて光と成って輝いていくのでしょう。翌日からの陸奥開闢の旅もこの思いで臨むことを伝えて頂いたようです。
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 懇親会へ向かうころはかなり強い雨でしたが楽しく皆さんで多くの事を分かち合う事が出来ました。翌日7日は七夕、いよいよ陸奥開闢の旅です。朝も雨模様でしたが7時過ぎには仙台駅に皆さん集合して3台の車に分乗して出発です。

 今回の旅の始まり、きっかけは3月9日からの陸奥開闢の旅の時に青森県の「日本中央の碑」で頂いた言葉でした。 

「晴れてここに伝えます。遠き時を過ごし来て、再びこの北の地に真を現し、全てを、全てを大き身元の光と共に致すなり。嬉しきなり、ありがたき。(拍手)離れし皆々再びこの地を一つと成れり。(拍手)多くの先人、皆々戻れや、ここに生まるるはその時の想いなり。(拍手)開きましょうぞ、この周りの扉、皆々開けよう。(拍手)うおーい、うおーい、うおーい。(拍手)ふつなるはここにあり。送るは新しき気なり。(拍手)あーい。(拍手)」

「この周りの扉、皆々開けよう」とあり、扉は戸でもありますので戸を開くことでしょうと理解しました。日本中央の碑は七戸町にありましたが、このあたりには「戸」の付く地名が沢山あります。それらの戸を開くことが北からのエネルギーを中心に送る為に必要なことの様です。中山さんと相談して今度はその旅をすることにしましょうということになりました。
 青森県南部と岩手県北部にはかつて南部藩の領地で糠部(ぬかのぶ)と言われ、この地に「戸」のつく地名が現在も一戸から九戸まで残っています。ただし四戸だけは無いのですが、その由来については平安時代の東北制圧の前線基地に起源を求める考え方や、鎌倉時代の牧場制に関連させる考え方があるようです。
http://www.geocities.jp/jinysd02/he.html
糠部郡の図
 この糠部の九戸と四門の地図を見ると、一戸から七戸は直線的に北に向かっています。その間隔は一日の移動距離に設置していますが、どう見ても西方を防ぐ砦のように思えます。西にあるのは津軽です。その地は最後まで大和朝廷に「まつろわぬ」地であった蝦夷、アラハバキの地です。そのアラハバキの神、鬼神を封じる意味があったように思えます。
 七戸の北の先は陸奥湾で下北半島です。そこの中心に恐山がありますが、下北半島は斧の形で西に刃先が向いたような地形です。
 さらに津軽には、そこを封じる為に坂上田村麻呂が張ったと言われる結界があります。それは北辰妙見信仰による7社が北斗七星のように配置されているのです。
 これらの事は次回の陸奥開闢の旅no4(2012年10月6日から8日開催)に反映することになりますが、今回の陸奥開闢の旅はこの一戸から九戸を巡り、最後は十の字の十和田湖にある十和田神社、そして古の縄文時代の我らが先祖の栄えた遺跡の大湯ストーンサークルで終了の旅です。今回も北極星を中心に北斗信仰、北辰妙見信仰の地が沢山ありました。そこには九曜紋は配されています。

 車は一路、八戸自動車道の浄法寺インターを目指します。雨も上がり晴れ間も現れ、北の地は我々の旅を心良く受け入れてくれたようです。
 最初の目的地は二戸市の天台宗の八葉山天台寺です。天台寺は瀬戸内寂静氏が一時期住職をしていたことでも有名な古刹です。天台寺の駐車場に着くと何と、途中参加の秋田からのSさんの車が丁度すぐ後ろにいるではありませんか。寸分たがわぬ合流に驚きです。インター出口で我々に気付いていたとか。全ては順調で、これからの旅を暗示する善きスタートと言えます。
 天台寺の紹介に以下がありました。
「はるか奈良時代の神亀5年(728年)、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が8つの峰と8つの谷を併せ「八葉山」と名づけ、山中の桂(カツラ)の大木を刻んで本尊の聖観音像(桂泉観世音)を奉り開山したと伝えられる八葉山天台寺。何ゆえにこの僻北の地にかくも大きな寺があり、永年に渡って信仰心に支えられてきたのか、深い謎と神秘に包まれています。」

 本堂裏の林の中であわ歌を皆さんで頂きましたが、最初に私から今回の旅の目的、概要をお話させて頂きました。
 今回は中山さん含め17名の参加です。参加者の住所は東京、埼玉、千葉、栃木、茨城、そして東北6県で東日本の方々がそろっているのです。そして家紋として九曜紋を持つ方が4名です。そこでのお言葉です。
「大いなるこの地に立ちて思う事、清らかにしてそのままで、ただただ嬉しく、それぞれが真を過ごした大きなる地、これよりこの地の力、北の大きなる星の力合わせて、元なる地へと皆々で参りましょうぞ。御頼み申す。」
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 それに先立つ車中で中山さんから頂いたお言葉がこれからの旅の流を理解するに必要かと思いますので附しておきます。
「××家にまつわりておる方々、きっときっと今に大きなる事です。しばらくはその手が続けられますが永くは無理。そこに生れたるは、北の大きな星の力を頂きて、民の力を助すくためなるが、真に非ざるは無しと致す。本日参りたところで北の星と繋ぎ行く。その力を後日発しなされ。」

159「法蔵地蔵2」2012,7,5

 午後は法蔵さんがリクエストしていた「でんでら野」です。かつて老人を捨てたという伝説があり、遠野物語にも登場するところで、村外れにあるところです。私達が訪れた時、炎天下のさなか隣の草原は野焼きをしていました。当時を再現したような茅葺の円形の小屋があります。
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 でんでら野の紹介です。
「遠野では60才になった老人をデンデラ野に捨てたのだが、老人たちはすぐさまここで死を迎えたのではない。老人たちはデンデラ野で身を寄せ合って暮らし、日中は里に下りて農作業を手伝い、わずかな報酬を得てデンデラ野に帰り、日々を送りながら本当の別離を待ったのだという。かつての山村の悲しい習いをうかがわせます。」
姥捨てでしょうが信州のものとは少し違うようです。
 お二人ともこの地もそれなりにお気に召したようです。もう沢山の地を巡りエネルギー的には満腹状態です。予定していた他の個所は全てなしでもう十分とのことです。それではと、帰り道の途中で私のお勧めの場所に最後に案内することにしました。

 その地は北上市にある丘陵地で北上川を見下ろし、焼山連峰を眺める縄文の樺山遺跡です。この地もお二人とも大喜びです。一日いても良いというほどに気に入っていただけました。
 法蔵さんんは身体を動かし、倒立したりして満喫しています。身体がこの地のエネルギーに強烈に感応していてすこぶる楽しそうです。丁度我々が寛いでいる天上にはイーグルが一羽飛んでいたようです。「イーグルに訊け」は天外さんの著書ですが、イーグルが天上を舞ってくれたことは、この地、このツアーはインディアンの叡智でいくと「良し」と最後にお認めを頂いたことのようです。そして青森方面に向かう法蔵さん達を水沢江刺駅で降ろし、予定通り仙台駅に到着して無事にツアーは終了しました。
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 この旅で天外さんとバスは同席でいろいろお話出来ました。訪れた各地が殊の外、気に入った様でなんでこんなところ知っているのと言われてしましました。改めて又の機会にじっくり味わいたいようです。宮沢賢治の世界でもありいずれ又楽しめるチャンスがあることでしょう。法蔵さんにも「今度の旅、大変良かったです」とお言葉を頂けました。私も天外さんと法蔵さんの旅は居心地が良く楽しい気づきの連続です。またお越しいただきたいものです。
 この陸奥の地は皆さんにとって自然に、日本の古き時代のエネルギー、文化が感じられる世界なのでしょう。それは「自分の物語を生きる」為に心の深層に持っている郷愁、日本人の自然と向き合う原点があるのかもしれません。天外さんが持つというインディアンの価値観と共通するものかもしれません。樺山遺跡でイーグルが現れたということは、「自分の物語を生きる」ためには、将に「イーグルに訊け」ということかと思いました。ちょっと長いですが寄り道して天外さんの「イーグルに訊け」の本の中で述べているインデイアンの叡智、そのエッセンスを紹介しましょう。

「イーグルに訊け」
■インディアンに学ぶ八つの世界観
1.他力
「もっと大きな力に身をゆだねる」という生き方を説く言葉。インディアンは、この世のありとあらゆるものに創造主ワカンタンカがかかわっていると信じている。ワカンタンカは今も世界を創造し続け、人間もその移りゆく世界の一部であり、一人一人は「創造主の子ども」。自分の頭で「何をしたい」「何をしなければ」と考えるのは浅はかで、エゴを手放してワカンタンカの意志にゆだねて生きることが大切。
2.感謝
創造主ワカンタンカに始まり、スピリット、先祖、太陽、月、大地、石、水、そして地球に存在するすべての生き物に感謝することが、インディアンの主な祈りです。彼らにはたくさんのセレモニーがあり、そこで心身や人間関係を癒したり、大地とのつながりを回復したりしている。
3.受容
自分の身の回りにあるものや、自分の身に起きることすべては創造主からのプレゼントと見なし、全部を受け入れていこうという思想。外側に働きかけるというよりは、自分自身の内面を深く追求するという姿勢。不平不満を抱きにくく、心は常に平安に満たされる。
4.平等観
インディアンは、この世に存在するすべては創造主の子どもであると考え、人間だけではなく、動物、植物、鉱物、水、火といった存在するものすべてが、私たちの親戚であり、兄弟で、
すべての生命が同格であり、つながっている。
5.尊重
インディアンは人の立場を尊重するということを大切に考えている。年齢や性別や身分で差別することが一切なく、すべての人を尊重する。
6.ギブアウェイ精神
自分の持ち物を人々に分かち与える風習。インディアンの村では、とても貧しい人でも、何かあるたびに他人に惜しみなく贈り物をする。
 分かちあえば分かちあうほど 神はわしらに分かちあうためのものを 与えてくれる
 わしらは他人と分かちあうとき 本当は神と分かちあっているんだ(ノーブル・レッド・マン)
7.平和
インディアンは心の平和のことを大切に考えている。宇宙の中心は、宇宙のいたるところに同時に存在しているということ。私たち一人一人の身体の中にも宇宙の中心があって、ワカンタンカとつながって、住まっているということ。各人が自分の中のワカンタンカとつながることが、真の平和であるということ。この教えは、般若心経の教えやあらゆる宗教や永遠の哲学と同じ。
8.循環
自然とは本来、全体のバランスの中で息づいているもの。動物の死体は土壌で分解され、それをもとに植物が成長し、その植物を草食動物が食べ、それを肉食動物が食べ、そして再び動物が土に還る。それが自然の仕組みであり、インディアンはそういった全体の循環のようなものを、強く意識していて、彼らは生き方そのものがまさに自然と一体になっている。
■ 世界とのつながりを取り戻す
インディアンが儀式の中で、母なる地球とのつながりを強調する。自分を超えた大いなる何かとつながっていたい、そして自分が大いなる存在に守られていること、母なる自然に生かされていることに気づければ、心の安定が得られる。
■ 自然は語りかけてくれる
自然の一部として生れた私たちは、それだけで存在価値があり、自然はそのことを教えてくれる。
そのことに気づければ、私たちは本来、決して一人ではないことがわかるはず。
■ 奇跡は自分の中にある
インディアンは「いま生きていることは奇跡なのだ」という考えがしっかり残っているので、自然に宿る神をとても強く意識して、いつも感謝の祈りを捧げている。朝起きると、まず生きていることの奇跡をグレート・スピリットに感謝して一日を始め、朝から晩まで感謝の祈りを捧げ続ける。そもそも生活そのものが、感謝を捧げる儀式。
■ 感謝する生き方
今日も太陽が地平線から昇る奇跡。仲間がいる奇跡。仕事がある奇跡。今日も生きぬいた奇跡。
私たちは、まさに奇跡のただ中で生きているといえる。
今の私たちは、お金をだしたらある程度欲しいものが手に入るのが当たり前。それがうまくいかないと、そのマイナスにばかり焦点を当て、「なぜうまくいかないんだ」と腹を立てている。
すべてが当たり前だと思っている私たちと「ない」というところから出発し、いま生きていることはかけがえのないプレゼントだと考えている彼らと、人生の味わいの深さが違う。
■ 幸せになる能力とは
「幸せになる能力」とは、どんな扱いをうけても、どんな環境にあっても、その中でそこそこ楽しめること。成功や自己実現というのは、足りない中で足りていると気づくこと。そもそも、外側の条件は状況が変われば簡単に失ってしまうもの。
■ 人間も自然の一部
私たちは物事を進めるとき、計画を立てることを当たり前と考えて、自分の自由意志ですべてをコントロールできると考えている。果たしてそれは本当のことか、錯覚にすぎないのではないか。
目に見えないレベルでは、人間の浅知恵を超えたはるかに遠大な計画があり、大きな流れがあり、
その流れにうまく乗っているときは、幸運なハプニングの連続で物事がうまく進む。これを実践している人はまるで「運を味方につけている」ように見える。これはまさに、仏教の説く「他力」と共通する。
■ 生きにくい世の中を生きるためのヒント
日本人のルーツにもインディアン的なところがある。木や石にもスピリットが宿っていて、その中で人間は調和を保って暮らしていた。自分の国のスピリットを掘り下げ、それぞれの生活の中にある幸せを見つける「達人」になることが大切。そういう人たちが増えてきたら、社会は変わり、競争は減る。画一的な教育から、それぞれの個性を尊重し、それを伸ばす文化に変わっていくはず。そのときに重要な役割を担うのは、情報手段。雑多な情報の中から、一人一人が自分のハートに響くものを自分らしく取り入れるようになれば、個人のレベルから社会は変わっていく。
■ 幸福はすぐ隣にある
インディアンから、たくさんのことを学ぶことができる。単純なことに興味を持つこと。歩くこと。笑うこと。生きていることに感謝すること。幸福は私たちに発見されるのを待っているこということ。特別な何かがなくても、幸福は私たちのすぐ隣にある。

158「法蔵地蔵1」2012,7,5

 天外伺郎さんと野口法蔵さんの講演会後の質問も沢山頂きましたが、参加の皆さんにとってタイムリーな善きテーマのお話を頂けました。きっと腑に落ちたことでしょう。作並温泉での宿泊懇親会も濃厚な集いでした。
 そして今回のスペシャルイベントは講演会でも紹介された岩手県大槌町に震災後、法蔵さんが寄贈したお地蔵様を訪ねる旅です。
 24日は素晴らしい好天に恵まれ、宿を8時半の定時にバスは出発しました。大槌までの道のりはかなりあります。途中昼食の弁当をバスで頂き現地に到着は13時過ぎでした。
法蔵さんは昨年10月12日に50体の地蔵様を贈呈していましたが、その時の記事が以下です。(http://www.asahi.com/special/10005/TKY201110140260.html)
(http://guruttootsuchi.blog.fc2.com/blog-entry-4.html)

 現地のNPOのスタッフの方々のお迎えを受けて、3か所の仮設住宅を訪れて法蔵地蔵に御参りしました。それぞれの地蔵はいろいろな衣装で着飾られ花を供えられて大切にされています。仮設住宅の中での無形の心の支えとなる中心的存在として皆さんに大切にお祈りされている姿がありました。住民の方々の大歓迎を受け、お茶やお手製の団子をごちそうになり、お土産迄頂きました。
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 私達はそれぞれのお地蔵様の前で般若心経を上げさせていただきました。法蔵さんがお話になる様にお地蔵様の顔がそれぞれ違うのです。沢山お参りされ、お祈りされている地蔵さまは穏やかな和らぎの姿です。不思議な世界です。全ては己を映し出す鏡。向き合ういのちの想念がエネルギーとして石に変化をもたらしているのです。写真でその様子をご覧ください。
 津波で被災した入居者の方のお話を聞き、励ましと感謝の言葉です。そして仮設の中でわかめを販売している方から購入し、仮設商店街でいろいろ買い物をして少しでもの支援です。予定の時間を大幅に超過して夕方、皆さんに見送られて大槌を後にしました。
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 今日の旅まで参加の方を新幹線新花巻駅に降ろして、宿泊先の花巻市の健考館に19時頃の到着と成りました。健考館は医療施設の付属施設でホリステックな統合医療を目指していて、天外さんのホロトロピック医療施設としても共通するものがあります。ヨガ等の色々な健康指導を行い、宿泊しての断食も指導しています。食事もマクロビの菜食で、美肌のぬるぬるの温泉があり、なかなかな素晴らしいものでした。院長先生等施設の幹部の方々も会食を共にしてくださり、いろいろ情報交換できました。和気藹々2次会まで楽しく交流をしました。
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 25日は花巻、遠野の聖地、エネルギースポット巡りです。予定の行程は取りあえずで、法蔵さんと当日相談して決定です。まずは法蔵さんが訪れたことがある成島毘沙門堂はキャンセルです。終わってみれば結局は全ての訪問地は法蔵さん天外さんも初めての場所になったツアーです。全て臨機応変に私のナビゲーターでバスは進みます。
 最初の訪問地は冠山蝙蝠岩弘法大師霊場です。バスを降りて鳥居から先の様子を見た瞬間に天外さんは良いところだと言葉を発し、法蔵さんも気に入ったようです。
 朝日が木の葉に響き合って輝いています。お堂への参道も緑の絨毯が敷き詰められて何とも言えない風情があり、とてもエネルギーが高い、気の充溢を感じます。大師堂の裏の大きな磐座の奥には大日如来、不動明王、弘法大師が安置されています。そこで皆さん般若心経、観音経を唱えました。
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 次なる訪問地は直ぐ近くの私のお気に入りの丹内山神社です。ここは予定にありませんでしたがトイレ休憩を兼ねて訪れました。広い境内を奥に進み、本殿奥のアラハバキ神を祀る巨石を拝し、皆さん胎内くぐりをしてそのエネルギーを味わいました。法蔵さんはあまり神社を好まれないようですが、奥様の方は大好きで、どんどん目当ての処に進んで行きます。この場所は法蔵さんも天外さんも良い印象のようでした。
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 丹内山神社とアラハバキについては以下のような記述がありますので紹介しておきます。
「この丹内山神社は、高橋克彦の『火怨―北の燿星アテルイ』で、蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為が、アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)神の御神体の前で、巫女により祝詞をうけ、21年後の坂上田村麻呂との決戦を予見するシーンの舞台となっている。想起される方も多いのでは。
 小説では、東和の里が物部氏の本拠地となっている。蘇我氏との戦いに敗れ都を追われた物部は、物部の聖地であるこの地に潜み、金を採掘し、蝦夷を経済面でサポートする。アラハバキとは物部を繁栄に導く、鉄の山を支配する神だとされている。
 アラハバキという耳慣れない神の名を一躍有名にしたのが『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』という奇怪な古代文書だ。昭和22年、青森県の和田喜八郎氏の自宅改装中に天井裏から発見されるや、本物説偽作説が入り乱れ大論争となった。現在、判定は偽作説にほぼ固まっているが、そこに描かれた古代津軽の荒吐(あらははぎ)族と大和朝廷の抗争の歴史は、真贋を超えた面白さがある。
 そもそもアラハバキは荒い脛巾(はばき)で、ハバキはすねに巻きつける脛巾(きゃはん)のこと。すなわち足にまつわる神に由来し、旅の神とか道中安全の神というあたりになる。しかし、実態となるとまったく正体不明。あの柳田國男でさえ「神名・由来ともに不明である」(『石神問答』)と言わしめた謎の神だ。その起源等については、高橋氏の『火怨』説を含めて様々な説がある。
 アラハバキの名称は荒脛巾に由来するが、その実体は蝦夷の神であった。蝦夷の神をもって外敵である蝦夷を撃退させようとした。それは異族である隼人に宮門を守らせ、朝廷のために吠声をさせるのとおなじ心理であった。アラハバキももともと名前をもたない蝦夷の神であったのが、やがて門客人神として体裁をととのえられ、アマト朝廷の神杜の中に摂社または末社として組み入れられていったのである。
 物部の神をアラハバキとみることも、あながち見当外れとは言えまい。丹内山神社に見られる磐座(いわくら)信仰は、神籬(ひもろぎ)信仰とともに神社の原始形態と言われている。アミニズムでは、石にはいろいろな神や霊が宿ると考えられていた。縄文期には死者の霊の宿ると考えていたが、しだいに「物」が宿ると拡大され「八百万の神」となって神道が形作られていく。
「物の中に神が宿る」とする思想こそ、物部氏(モノとは武器、または物の怪) 的発想であり、磐座信仰は物部氏抜きには考えられない。」

 バスは花巻から遠野に向かい、不思議な巨石のモニュメントの続石を目指します。快晴の中、駐車場から10分ほど山を登ります。ここも法蔵さん、天外さんともに大いに気に入り喜んで頂きました。月曜日で私達以外の見学者はいませんので、何の気兼ねなくしばしその巨石の前でくつろぎタイムを楽しみました。法蔵さんは続石のすぐそばの巨石の上に坐って坐禅を始めてしまいました。皆さん大満足です。
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 続石の案内には以下のように記されています。
「小高い杉林のなかに、古代巨石文化がのこしたものといわれている大きな石があります。二つならんだ石の一方の上に、幅7メートル、奥行5メートル、厚さ2メートルほどの巨石が笠石としてのっています。
 弁慶がそばの石に笠石をのせたら、位の高い石なのに大石の下になるとは残念と嘆いたので、いまの石の上におきかえたという話を、『遠野物語拾遺』第11話が伝えています。」
 予定のないバスの旅ですが全ては順調に進みます。丁度お昼時です。午前の巡りを終えて昼食会場の遠野ふるさと村に向かいます。

157「自分物語2」2012,7,4

 講演会の会場では木村農園さんが製造したおこげ煎餅を販売しましたがとても好評です。あっという間に完売です。嬉しいことです。さて休憩の後は、天外伺郎さんのお話です。

「自分の物語を生きる」のテーマですが講演会案内のメッセージには以下が語られていました。
「3.11の後、日本社会は大きく転換した。 予定調和の世界が崩れた混乱の中で、人々は「自分の物語」 を探し始めた。首尾よく見つかれば、どんな状況の中でもしぶとく生きていける。それはまた、「他人の物語」を尊重することにつながる。」

 3,11以降、人は皆、自分の物語を探さざるおえない。これまでは街中の道を歩いていたがその枠組みが今回の災害で崩壊した。今色々な物語が起きていて今までの景色が変わった。自分で自らの道を探し歩く必要が出来てきた。歩ける人は草原でもどこでも大丈夫。自分で物語を生きられる人は周りがどうでも生きて行ける。どんな状況でも楽しみを見つけ、食糧を見つけ、作れる。しかし自分の物語を持っているが、それを生きていない人がほとんどだ。なぜなら社会や世間の物語を生きないと除け者にされてしまう。でも世間様に顔向けが出来ないという生き方は何か起きた時に破綻する。それは都会の人がアフリカのサバンナの草原に置かれたようなもの。今は自分の物語を押し殺しているのがほとんどで、自分の物語を他人に染めないと心地良くない。それは自分と同じ価値観の人といると良いが違う人といるとダメな人だ。
 女は化粧しない方が良い。化粧すると情動が隠されてしまうのでスッピンが良い。と私は思っている。私にはネイティブインディアンの価値観が入っている。インディアンは人の頭の皮を剥ぐが、植物の葉を取るときにお祈りをする。日本人は何故と思ってしまうがマインドセットが基本的に違う。いろいろな価値観を持っている人達と心地良く生きられるのが自分の物語を持っている人。自分の価値観に合う人だけというのは生きにくい。

 言葉の力、マントラを唱える時に働き、その力を使いこなす。放射能が怖くて逃げている人がいるが、逃げたければ逃げれば良い。何ともないと思って生きて行けば大丈夫で免疫力が高まる。今はここから安全という線引きは無い。自分をデドックススすること。放射能の濃度で心配しているが農薬汚染などの方がはるかに危険が高い。免疫力には精神力が大きく影響する。不安になったら逃げたら良い。不安でなければ居たらよい。各自が各自の物語を生きれば良い。しかし現実はそうなっていない。共存できていない。2者に分かれてしまい両極端でどちらも自分の物語を生きていない。どうしても自分の価値観に相手を染めないと生きられない。
 後期自我を獲得できることで自分の物語を生きることが出来る。自己顕示欲が少なく人間として進化した姿だ。戦って相手を粉砕するような生き方はもう通用しない。公民権運動などでみられるものとガンジーやダライラマのあり様は違う。自分の物語をしっかり生きること。戦って相手を粉砕するような反対運動と違うやり方がある。
 マインドセットは各自にある。インディアンにはモニュメント作る文化がないので人間が生きていた痕跡を残さない。名声が残っても良いが物理的に残ってはダメ。ダムも原発もだめ。だからと言って戦っていく時代ではない。単にそういう想いを持つだけでいい。GDP(国民総生産)からGNH(国民総幸福量)の時代だ。この世の中の変化で「善きことはカタツムリの速度」とはガンジーの言葉で、全ての変化を自分が生きている内に観ようというのはエゴだ。
 天外塾では意識の変容、問題改善の瞑想、感謝の瞑想をおこなっているがエゴの実現は祈らない。そこから離れることを目指す。ビジョンクエストを先日体験した。山の中で3日間断食をする。寝袋と傘の持参はOK。そこで何があっても創造主の意志として受け入れる。霊や動物が入らないように結界を張るが、もし破られたとしてもそれは創造主の意志として受け入れる。全てお任せする。サレンダー(動詞で譲り渡す、降伏する、放棄する、名詞で降伏、降参、自首などの意味を持つ)する。それは神に明け渡す事。キリストに帰依し、阿弥陀仏信仰などであらゆる局面でエゴを出さない。全て自然に出来ることがベスト。委ねきった時の強さがある。それは天に対する無条件の信頼で、もし従業員へも出来たら会社は変わる。条件付き信頼では無理。エゴの祈りをしないことと、天に全てを委ねることは同じ。我々は如何にエゴの生き物か。相手を自分の価値観に染めようとする。そんな自分のエゴに気付いて直すことを目指す。そして自分の生き方、自分の物語を生きること。

 天外さんの講演会の中で話された内容を補足する記事が天外さんのブログに記されていましたので一部引用紹介します。

天外さんのブログから引用
 23日(土)の仙台ホロトロピック・ワールドでの私の講演は「自分の物語を生きる」。ほとんどの人が、それが出来ていない。
 いま私たちは、標識と信号がある整備された道なら何の不都合もなく歩いていける。でも、突然砂漠の真ん中か、アフリカのサバンナに放り出されて地図もなかったら途方に暮れるだろう。「自分の物語」が見えていれば、そんな時でも行くべき方向が見え、食料や水も調達でき、しっかり歩いて行ける。
 3.11は、多くの人をそういう状況に追い込んだ。1年3か月が過ぎて、ある人は自分の人生をしっかり歩み、ある人はいまだにさまよっている。
 じつは、あらゆる人が「自分の物語」を心の底には持っているが、見えていない。何故見えないかと言うと、自分独自の価値観を押し殺して「世間様」の価値観に無理矢理合わせているから・・・。何故そうするかと言うと、世の中全体がひとつの価値観で統一されていないと気持ちが悪いから・・
 自分の物語を生きるということは
1、自分独自の価値観を心の底から発掘して、しっかり接地する。
2、他人に自分の価値観を押し付けない
3、自分と全く違う価値体系を否定せず、違和感を感じない
4、自分と違う価値観を持った人達と仲良く共存できる・・など
 たとえば、私自身は女性はスッピンの方がお化粧したりした時より綺麗だと思うが、それは私独自の美意識であり、世間一般とはずれている。もちろん、良かれと思ってお化粧している女性の美意識は尊重する。世の中とは違う美意識とは接地しているが、他人に同じ美意識を持つこように働きかけはない、ということだ。
 この例だと「当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、原発やTPPを巡る議論を見ていると、お互い相手を認めずに粉砕することばかり主張しており、いっこうにかみ合っていない。こういう議論している人達は、いきなり砂漠の真ん中に置かれたら、立ち往生してしまうだろう。

「自分の物語を生きる」という記事に大きな反響をいただいた(6月27日)。じつはこれと同様の内容は、表現が違うが多くの人が説いている。たとえば、アウシュヴィッツの経験を『夜と霧』に書いて有名なV.フランクルは「実存的危機」といった。これは、社会的に成功して安定した生活を営んでいる人が、ある日突然「自分は何のために生きているのだろう?」「人生の本当の意味は何だろう?」などと悩み始める事を言う。
 私の文脈では、「実存的危機」というのは「世間様の物語」から「自分の物語」へシフトしようともがいている事だ。社会的成功という「世間様の物語」に甘んじているうちは、人生の深みはわからない。
 ユングは「実存的変容」という言葉を使ったが、これも「世間様の物語」から「自分の物語」への変容と考えてよい。「意識の変容」というと、人はすぐ聖人に向かって成長する「いいことだ」と見なすが、「いい/悪い」の判断が入ると判断を間違える。
 たえば、長年良妻賢母で知られた女性が、突然若い男と恋愛に狂う、というのも「実存的変容」だ。世間的には非難されるだろうが、「良妻賢母」が「世間様」の価値観であり、それで自を縛っていた枠を壊す事なのだ。社会に迎合している間は、なかなか「自分の物語」を生きることは難しい。
 自分の魂が純粋になっていないと、「自分の物語」を目指したつもりが、単なるエゴのごり押しや犯罪行為になる危険性もある。

 以上引用でした。講演会の内容を更に良く理解できます。自分の物語を生きることが大きな課題です。
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156「自分物語1」2012,6,30

 お蔭様で忙しいというより慌ただしい毎日が続いています。医院での歯科医師としての仕事も6月は10日位で後は元気に動き回っています。お蔭でブログを書く時間も無い状態です。久しぶりに2日間続けて仙台にいて懸案事項をこなしています。そして一段落ついて書きはじめています。
 6月23日からは2年ぶりに天外伺郎さんが代表を務めるホロトロピックネットワークと共催の恒例仙台講演会とバスの旅を開催しました。今回のテーマは「自分の物語を生きる」です。昨年の東日本大震災の復興に向けてチャリティーで講演会参加費は無料での開催でした。ゲストスピーカーは天外伺郎さんと野口法蔵さんで、ボランティアでお越し頂きました。ホロトロの事務局の皆さんも含めてご尽力、協力頂きました。ありがとうございました。お蔭様で楽しく内容濃い時間を過ごす事が出来ました。かいつまんで内容をご紹介します。

 野口法蔵さんは座禅断食の私の師でこれまで数知れない行、業を積んで来られた臨済宗のお坊様です。今回のお話のテーマは「起死回生 災いなして福となす」です。
 セミナー案内では「古来、良寛禅師や弘法大師は災難をして人間が天より授かった修行だと言っている。そして、災いを災いでなくすのはひどい現実の上でも心次第としている。それは災難ばかりではなく個人に関わる問題でも同じでありどうやって心を保つかを経験から探ってみたい。」と投げかけられました。以下が講演の要旨です。

 死して死者としての魂は残り、又生まれて生へ回る。全ての生き物は生まれ変わる。インドで死と逢い、身を投じた経験があるので自分では対応できる。
 災害に逢い各自がそれを受けてどう変わるのか。変わらないとしたらそれは大したことでないもの。変わらざるおえない経験に逢ったらやれることはやる。
 自分は坊さんになって変わった。得度とは仏教徒になったこと。それは慎ましく暮らすことで特別なことではない。カメラマンとして戦地で、又インドで死んでいく人を沢山観た。人間はどうなって行くのか。それがはっきりしたら自分の人生がはっきりすると思った。インドに行ったのは自分が変わりたかったから。そこでマザーテレサの生き方に出逢った。そしてラダックで修行して坊さんになり、日本に帰ってきた。そして断食を始めた。そこで得られるものを食べられない人達の為に役立てたいと思った。

 北朝鮮の飢餓の子供救済に行った。六道輪廻の餓鬼道の世界がこの世にあった。それを見たが救う方法は無い。食べさせながら懐で死なせることでしかなかった。しかし亡くなるがこの子は再生すると思っていた。キリスト教で救済活動していたところがあった。北朝鮮から中国に逃げる人達を保護して、食べさせて復活させていた。そこではフェアーでないやり方をしていた。お祈りをしないと食べ物を与えない。お祈りに応じた量を与え、感謝させながらゆっくり食べさせ、助かるとクリシチャンになって行く。
 自分の物語を生きる為に北朝鮮に行った。それは国境なき医師団のアプローチだった。その時スパイ容疑で拘束された。拘束は二度目で、最初はラダックで中国スパイ容疑だった。チベットの坊さんになり立てだった。諦め、背負っているものを取り払い独りになって坐っていた。その時自分だけになるととても物事が上手く進むことが良く分かった。相手は坊さんだということで信用してくれた。逆境で自分が心地良いことを相手が言ってくれた。シンプルに身を置いておくのが人生で一番良い方法だと思う。

 日本に帰ってきて、その事を忘れない為に五体投地礼を続けている。しかし、慣れがでると忘れることが多い。美味しいものを食べるのが当たり前になってしまうので、地道に百姓をし、馬を飼った。最近、落馬して頭を打って一部記憶をなくしてしまった。
 全てを白紙に戻れたら良いが、五体投地もゼロに出来ない。小さなことで感動があるのが良い。外に求めない中で、この世で自分の動きを考えるのが理想だった。滝行をしているが、体に厳しさを呼び戻させるし、メッセージをもらう。最初は感動したがだんだんその感動が薄れてきている。只々畏敬の念でしている。最近は滝の周りのものに気を遣ってやっている。コケ類を踏まない、剥がさない。牧野富太郎や南方熊楠など植物学の先人の教えがある。霊性に触れるには独りですること、午前2時から3時の1時間が良い。
 
 昨年の地震津波で被災地に来た。仏教の世界で空海は「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し」の言葉を残している。3度繰り返すのは無限の事を表すが、何度生まれ、死んでも同じことをしているがそこに果たして進歩はあるのか。
 又「メメントモリ(死を忘れるな)」という言葉がある。自分が死すべきものである、と無常を表している。(キリスト教では聖書イザヤ書にあり「食べ、飲もう。我々は明日死ぬのだから」とある。今を楽しめという趣旨でも使われる。)
 キリスト教における断食ではベネディクト派修道院で7日間行われる。ビジョンクエストはネイティブアメリカンの手法だ。朝昼晩祈りを欠かさずに、健康法としての断食をし、妙好人(みょうこうじん)として信仰が深くなれるが、今何故か自分は仏教でなくカソリックに求めているものがある。
 空海の先ほどの言葉が起死回生となる。自分が前より良くなって生きて行くことの繰り返し。それを各自の方法で独りになって考える。灯明を見ながら静かに坐っていると自分にあったものが出てくる。じっと静かにしているだけで気づく。それに気付いて、それでもジタバタする。そこまで人間は苦しむ。

 地蔵菩薩を大槌町に送った。昨年花巻に宮沢賢治の会があり来る機会があり、その時に知り合いの国連職員が大槌町の復興支援のスタッフとして赴任していて、彼女に会いに町に行った。そこで自分が持っていた地蔵菩薩を寄贈することになった。仮設住宅で他に希望するところがあり51体の同じ姿の地蔵菩薩を送った。そして復興の1つとして根付いて1年が経った。明日それを見に行く。
 地蔵菩薩は最初はただの石なのに拝んでいくうちにだんだん石でなくなる。どれくらい拝んだかで変わってくる。偶像はある意味で素晴らしい。周りの影響を受ける。優しい言葉をかけておくと良い。嫌な人にも良い言葉を口に出しておくと、相手が害さなくなる。相手の健康長寿を願って上げることが祈祷の基本で、相手が早く亡くなってくれる。健康を祈願することで相手が変わる。これは普通の人には伝授しない。災害に逢い、敵が出来れば出来るほど相手にとって良いことを言ってあげるとこちらに良いこととなる。

 自殺者の葬儀、供養を頼まれた。そう簡単には浮かばれない。肉親が49日間お経をあげることで変わって行く。1週間ごとに遺影の写真が変わって行く。相が変わって行くが、それを見ることで今どこにいるのか、どのレベルか分かる。
 以前に弟子をとったことがあった。何もない堂の中に仏像を置き、行をさせたが仏像がどんどん貧相になった。身体は出来てきたが、冬があけ暖かくなると色々な事が頭に浮かぶがその時、仏様は助力しなかった。結局弟子は逃げ出して居なくなった。仏様は怖い。気に入らない者はダメ。
 大槌の51体の仏像は顔が変わっているだろう。地蔵菩薩は子供のようなもので、これは日本だけで鎌倉時代からそうなった。平安時代では地獄の仏で観音菩薩様の方に行くか、閻魔様の方に行くか決める役目だった。やがて念仏信仰が出て地蔵はなくなったが足利時代でまた変わり、地獄から救済する働きでお坊様の姿、恰好に変わった。難しい死に方をした人を救済したいという存在だ。
 地蔵十輪経にはハッとする文言がある。地蔵が上手くやってくれる。地蔵菩薩本願経には28種利益が説かれている。水難や火災を免れる。女性から男性になれる。先祖が苦しみから解放される。夜は夢が楽しめる。諸々の理不尽なことが消滅していく。幸福になる運命の人生を授かる。等。どれくらい自分が空っぽになり、信仰心が高まったかということを人生の修行としている。

 自分の物語を生きる。日々考え直して坐禅をしている。滝行をして、2時間坐禅をしているが、心地良く何も無くなってすっきりする。坐禅には深いものがある。坐禅、されど坐禅。坐禅は信仰を高めないと言われてきたがそうではないと思う。20分の坐禅で後頭部、背中を水で濡らして座ると変わる。いろいろ工夫すると良い。坐禅は自律神経でしている。20分の滝行をすると憑き物が抜ける。
 菜食をするといのちの展開変わる。お経を唱えること。般若心経は頭を空にする。観音経は困難を逃れることが出来る。これらの坐禅、菜食、お経の3つを行う事で人間は変われる。何をしても良いが、修行するか、修行を放棄するか、してもしなくても人生で色々な事が起きる。首が曲がると体調が崩れる前兆。鬱の人の曲がりなど独特な失調がある。意図的に伸ばす。

 各自が各自の物語を生きるしかない。自分の生き方を自分で探す。他者に聞くものではない。各自の生き方が顔に背中に出ている。その人の物語がにじみ出す。
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プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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