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133「納会」2011,12,31

 今日は大晦日です。2011年も今日で終わります。いろいろありましたが無事にこの時を迎えることが出来たことは幸いです。そして明日が迎えられ、2012年1月1日を味わえることはまた格別かもしれません。
 心置きなく新年を迎える為に、この師走にあった盛りだくさんな行事の中で記しておきたいことをまとめてみます。

 12月18、19日に木内鶴彦さんが代表を務めますNGOグリーンガイヤ主催の会員研修会を、仙台テンメイのお世話で仙台で開催しました。仙台テンメイの会員も参加して総勢40数名でとても盛会で、内容も濃いものでした。
 1日目はあわの里天命舎で午前は私が仙台テンメイの活動紹介をしました。午後は木内さんが太古の水と農業用のたいちくんの活用方法、休憩をはさんで太陽エネルギーとその活用方法の内容です。
 テンメイの活動紹介も他のNGOの方にはとても参考になった様でした。東京から参加のNさんは、これまで木内さんの話を聞いて皆でやりたいと思っていることをほとんど皆やっていて凄いと思い、とても感動したとまで言ってくださいました。嬉しいことです。
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 木内さんの太古の水は不思議な能力を持っています。月が地球に彗星として近づいてきて地球はその水で大洪水になりました。今から15000年前のことです。洪水で大量の水で地球は海水面が2000m上がったようです。結果的に引力が変わり気圧が変化してしまい、多くの生物は大激変を遂げることになります。大洪水の前の生物のサーカディアンリズム、体内時計は1日が25時間で、人間も25時間ですが、今の地球は24時間で動いています。
 太古の水はその大洪水前の生命誕生の頃の内容にして作られています。体内の細胞から老廃物を運び出し、生体エネルギーの循環に大きく関与していて身体を健康にする能力を持っているようです。
 たいちくんは植物成長に大きな効果があり、残留農薬が検出されず、工業排水などの分解にも効果があります。今放射能汚染が大きな課題ですが除染にも効果が期待されており、土壌改良にも活用し始めています。
 太陽光を利用した発電、ごみ処理ももうすぐ実証実験できそうです。やがて地球環境改善を基本にエネルギー循環が出来、自給自足が出来る、未来づくりのテーマパークの様な村が実現する可能性も見えてきました。大いに期待したいものです。その第1号の実験村がみちのく宮城に出来たら素晴らしいことだなと夢膨らんだ世界でした。
宿泊懇親会も40名弱と大盛況で3次会まで盛り上がりました。私も今回は元気で午前様まで付き合いましたが最後までは無理で途中でお休みです。
 翌日は名取農場で太古の水を燃やす未来型ボイラーの燃焼実験でしたが見事に成功でした。午後からは名取農場の生態系生体システムプログラム農法の取り組み、農場見学会でしたが、皆さん圃場のエネルギーの違い、食味実験などで生体エネルギーを体感して頂きました。
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 最後に木内さんから総括的な近未来のお話がありましたが、これから起きるであろう大激変の様相の一端をお聞きできましたが今回の2日間の中で一番大事な内容を開陳して頂いたように思います。まずはそれぞれの立ち位置、能力を発揮する中でこの時期に生まれた役割を楽しく果たしていきたいものです。
 その後、参加者の皆さん自己紹介を兼ねて、感想を語っていただきシェアーしました。予定の16時半に、実り多き2日間の研修を有意義に終える事が出来ました。2012年は宮城から何か発信して形に出来て行ければ嬉しい限りです。そんな課題をテンメイは頂いたようです。

 24日は名取農場高柳亭の大掃除でした。私は午後から参加でしたが永くからの懸案がひとつ又解決できました。震災で障子がゆがんで、開け閉めが良くありません。障子の張り替えが綺麗に出来ました。二階の部屋の片づけが出来、階段を上がって手前の部屋は綺麗に使用可能になりました。カーテンも新しいものに付け替えてリニューアルです。隣室も残りの荷物をまとめていますが、やがて家主さんの意向でそちらもその処分方がはっきりしたら使用できそうです。いよいよ寝泊まりが可能な施設になります。どなたか住み込みで農業研修希望の方いませんでしょうか。窓も綺麗に磨かれ、部屋の掃除、バックヤードの片づけも出来てすっきりしました。

 翌25日は恒例のテンメイ餅つき会です。20名程の方の参加でした、2家族が初めての参加で、子供も6人もいて賑やかな楽しい集いでした。何しろドイツのフランクフルト在住のKさん親子が注目で、その経緯に目を見張りました。奥様はドイツで生まれ育った5才の男の子に日本の文化を体験させたいと思い、お子さんにいろいろ教えていたそうです。その中で餅つきをしてみたい1年前からお子様が希望していました。そこで日本に年に1度2週間帰省する間で餅つきを体験出来る機会をいろいろ検索し、それでテンメイがヒットしたようです。そこで農場長にドイツから電話を入れた次第でした。奥様の実家が仙台でお母様と同伴で参加でした。彼は念願かない餅つきが出来て、お供え餅も作り、美味しい搗き立て餅を食べて大喜びです。奥様も初めてで感動していました。
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 4臼搗いて各自の正月用のお供え餅を作り、後は搗き立ての餅をお雑煮、あんこ、納豆、辛み大根などで美味しく頂きました。食後の交流会は楽しいひと時です。笑いと暖かい嬉しい言葉が皆さんをさらに喜びに満たして行きます。
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 中締めの後は楽しい話に輪は広がっていましたが、そうだ豆ひろいをしようと提案して、残っていた7人で作業を始めました。四方山話をしながら3時間程でしょうか、全ての豆の選別が出来ました。農場長達は大喜びです。是で正月用の最後の野菜の出荷に黒豆を入れることが出来ます。
 夜もとっぷり暮れて冷え込んだ夜でしたが、お腹は満たされ、共に何かやり遂げた達成感で心温まる日でした。この日が名取農場での2011年イベントの最後でした。
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 暮れも押し迫った29日はあわの里天命舎の大納会です。16時から今年1年の感謝をこめてあわの歌を皆さんで39回、サンキュー歌いました。8人が四方に面して響きあいましたが、とても良い歌会でした。歌の響きには倍音、うなり音が現れて心地良い時間で、少しゆっくり、ゆったりしたペースで1時間50分を満喫して楽しめました。
 終わって18時からは納会の会食です。デパ地下の多種な惣菜が並び11名で和気藹々今年1年の思いを語りあいながら感謝の交流で、喜びを分かち合いました。震災後に京都に移り住んでいたMさんも里帰りで仙台に戻っていて11か月ぶりの再開です。元気に京都に根付いて活躍しているようです。
 今年はなんといっても3月11日の東日本大震災、福島原発事故が大きな事件でした。大きく各自の人生が変化させられましたが、前向きに生きて行くことを選択した方々は善き転機として活かせています。そして皆さんは一回りも二回りも人間が成長したようです。認め合い、讃えあうそんな時間でした。食べきれない御馳走は分かち合いで持ち帰り頂きましたが、ビールもワイン、お酒も大分進み、嬉し楽し幸せの大納会でした。
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 2011年は今日で終わります。今年1年ありがとうございました。

 中山さんから頂いた直近のお言葉です。
 「古きの多くの事々は、移り来る来るこの時に、皆々現れ消えて行くなり。この時の、この地は、大いに動きて、すさみ行く。そこにて明るき、嬉しきを表わし行くが、是よりの役目ぞ。大いに嬉しき響きを発せよ。」  12月21日
 「想いの大きなる力を 是より発して 参られませ。その為 貴方様のここにあることの 如何なるかを ご自分で定めて下され。そこに生まるる想いが 貴方様 ご自身でこのことを知らせて 集い来る方々と共々に。」  12月28日

 明日は2012年1月1日です。新年新たの気持ちで進んで行きたいと思います。これからも宜しくお願いします。
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132「開闢の旅2」2011,12,28

 次の目的地は大郷町の支倉常長メモリアルパークです。今日の初めに訪れた円福寺同様に、常長のお墓があります。駐車場から5分ほど散策路を登ります。陽が大分,西に傾き夕暮れ間近です。早速お墓を囲んであわ歌を歌いましたがその時のお言葉です。

 「この地の北にありたる大きなる宝は、この地をいきいき生き続け、大きなるこの宇宙と供なるなり。これ汚したる永き年月、これよりは皆々立ちて、その真を発し行くなり。伝えて知らせて、変えて行きて真へ参らせ。ふつなる身はお力添え申す。」
 その時に中山さんが書かれたものがあります。
 「十一人の行方は これよりの光で明らかにいたす。皆々に伝えられよこの光を。」
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 支倉常長メモリアルパークの大郷町のHPには以下のことが記されてあります。
 「支倉常長は慶長18年(1613年)伊達政宗の命をうけ、サン・ファン・ヴァウティスタ号という木造船にて、メキシコのアカプルコ経由でローマへと渡り、ローマ法皇に謁見しました。誰も成しえなかった太平洋・大西洋の二大洋を横断した男として、現代であれば希代のヒーローであろう支倉常長は、その過酷な7年の歳月を費やした旅から帰国した時、幕府の政策は鎖国そしてキリシタン禁教となっておりました。ましてや藩主伊達政宗の命は海外への軍事協力との説もあり、功臣ともいうべきこの支倉常長は事実上歴史から抹消されることになったのでした。
 現在、支倉常長の墓といわれるものは宮城県内に3ヵ所存在します。仙台市北山にある光明寺説。支倉常長の生まれ故郷とも言える川崎町支倉地区の円福寺説。そしてこの大郷町説の3つです。様々な憶測のもと、これらの歴史上の史実から大郷町の隠棲説が有力視されています。」

 常長の消息も帰国後、多くの資料は抹消されて定かでありませんでしたが、400年の封印が解ける時が来ているのかもしれません。
 常長が渡欧する2年前1611年12月2日に慶長の大地震、大津波があり伊達藩では数千名の死者があり甚大な被害を受けています。今年から丁度400年前です。その翌年1612年7月9日に通商交渉を目的に幕府の命を受けて浦賀から180名を伴いサン・セバスチャン号でスペイン、ローマを目指すも暴風雨で座礁して失敗します。しかし翌年1613年10月28日に石巻で半年で造船した、サンファン・バウテスタ号で石巻の月の浦から渡欧します。
 キリスト教との関係も含めて、震災被害も癒えぬ中で伊達正宗の意図したものは何だったのか。結果的に交渉はまとまらず、禁教令で隠棲させられた常長の無念さは果たしていかばかりであったのか。お言葉にあった「11人の行方」とは、多分、常長が同行した配下のものを欧州に残して帰ってきているのではないでしょうか。
 常長の居城のあった支倉には先に触れたように新羅の民も入植しており、文禄慶長の役では朝鮮出兵に従軍していた。既に景教も伝わっていたと思われ、宣教師の接触があったと言え何故にあれほどの使命を果たし得たのか・・。
円福寺のお墓には爬虫類の石碑が鎮座していましたが、どう見てもレプティリアンで、明らかにキリスト教との関係を伺わせるものです(107光りと闇2011,8,22参照下さい)。
 メモリアルパークを以前訪れた時にお墓に向かう道で珍しい生き物に遭遇しましたが、爬虫類、小さなトカゲが現れて逃げもせずに写真に納まっていました。えっ、なぜという感じでしたが、自分の存在を知らしめ、墓守をしているのかと思いました。常長はこの大郷の地で30年もの間隠棲し84歳で亡くなったようです。
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 お言葉の最後の「ふつなる身はお力添え申す」とありますが、ふつなる身とは布都御魂(ふつのみたま)、あるいは経津主神(ふつぬしのかみ)のことの様です。驚きです。

 「布都御霊は記紀神話に現れる霊剣で、建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。」とあります。
 「経津主神(ふつぬしのかみ)は神武東征において建御雷神が神武天皇に与えた刀である布都御魂(ふつのみたま)(または佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ))を神格化したものであるともいう。 逆に『先代旧事本紀』では、経津主神の神魂の刀が布都御魂であるとしている。
 『古事記』においては、建御雷之男神の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)であるとしており、葦原中国平定は建御雷之男神が中心となって行っているなど、建御雷之男神と経津主神が同じ神であるように書かれている。 布都御魂を祀る石上神宮が物部氏の武器庫であったと考えられていることから、経津主神も元々は物部氏の祭神であったと考えられる。後に中臣氏が擡頭するにつれて、その祭神である建御雷神にその神格が奪われたものと考えられている。
 経津主神は香取神宮で主祭神として祀られているが、香取神宮と利根川を挟んで相対するように、建御雷神を祀る鹿島神宮がある。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。 これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地であったため、両神社の祭神を勧請したものである。また、鹽竈神社でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られている。」

 伊達家は代々陸奥守護を務めており、伊達正宗の正室の愛姫は田村藩の一人娘で田村藩は坂上田村麻呂の子孫、正宗は幕府から得た外交権でスペインと通商交渉を結んで何を意図していたのでしょうか。支倉常長が秘めていたことは何だったのでしょうか。いよいよ大きな力が動き出すのかもしれません。
 
 夕暮れの中、最後の目的地、松島海岸の五大堂へ向かいましたが到着時にはとっぷり夕闇に包まれてしましました。結局、橋が閉鎖されていて五大堂に渡ることが出来ませんでしたので、海岸から柏手3回で失礼しました。後は急ぎ宿泊先の作並温泉へ向かいました。夜の交流会は密度の濃き世界でした。無事に1日目は終了できました。

 12日は快晴です。皆さん元気に定時に集合でき出発しました。目指すは宮城県南の丸森町の日本一の道祖神と言われる立石です。その高さ12.5m、周囲25mの大石で、その昔、安倍貞任(1050年ころ)が石上に立ったと言い伝えられ、周囲には弥生式土器も見つかっています。
 駐車場から山道に入ると、山は大伐採されていて、立石が山の中腹にすぐに見えます。登ること15分ほどでしょうか、その巨大さになぜここに鎮座しているのか不思議世界です。巨石に太陽が反射しています。あわ歌を歌いましたが石に反響する感じです。その時のお言葉です。

 「大きなことぞ 是よりは 大き身元の光を受け、この地に伝えて、気を大きく変え行きて、光を西へと発し行き 新しきを生み出す。(拍手)ずいずいずいと参ろうぞ。是より動く元と成られよ。(拍手)」

 「・・気を大きく変え行きて、光を西へ発し行き・・」とあります。北から西へ動くのでしょうか。昨日の石神山精神社でも「大いなる力となりて西に向かう。」とありました。
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 次なる目的地は駒場瀧不動尊公園ですが10分ほどです。「駒場瀧不動尊は約1100年前、天台座主の慈覚大師が奥州鎮護霊山寺を創建され、鬼門の守りとして浄地を選び、世の平和と人々の幸福を念じて激流岩をかこむ駒場ヶ瀧において自ら不動尊像を刻み滝上の岩窟の中に祀られました。」とありますが、霊山の鬼門の守りの地の様ですが奇岩、巨石が綺麗渓流の周りに沢山有ります。不動尊の対岸の巨石に面してあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

 「繋ぎて下され 大きなる光を、是より生み出す新しきへ向かう力と成し行く為に、此処より発して下されよ。そのゆうゆうゆうの光を。」
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 終わって美味しい昼食の弁当をベンチで取りました。長閑な時空間です。そして次なる目的地、霊山へ向かいます。山間の狭い道を進みます。県境を越えて福島県に入るとなぜか風景が少し変わります。あまり人の気配が無いのです。霊山子どもの国は除染作業中で閉鎖されていましたので、登山口駐車場に向かいました。雲に覆われた空は重く、寒々とした感じです。それを吹き飛ばすように霊山に向かってあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

 「皆々様には この山の発する大きなる力に触れて、それぞれの身をこの地としっかり繋ぎておかれませ。是より参る新しき時に大いに役立つ力なり。うつして参りて持ち行く時あり。心得なされ。」
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 次は南相馬市原町区へ向かいます。飯館村を通る道を進みましたが、無人の家がほとんどで、避難しているのでしょう、人の気配が全くありません。野良犬が数匹、野ざるが群れて目撃出来ました。何とも言えない風景です。しかし原町に近づくと自転車で下校する多くの中学生などが明るくいきいきしています。その違いの大きさに驚きです。放射能汚染に果たして自然界に境界を引くことが出来るのか疑問です。
 高倉文殊堂に到着し、本堂前であわ歌を歌いましたがその時のお言葉です。
 
 「是より この北の地は深き思いの長(おさ)と共に、小さき集まり、大きな繋がり持ち行きて、この国の中心より離れ行き、新しきを作らるる。皆々様 思いは新しきへ向かうなり。あわ歌 歌わるる方々ご用意成され。大きなる活躍を祈ります。ありがたき。」
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 凄いお言葉の内容に皆で目を見合わせました。もうこれで今回の旅は終了で善しです。少し予定より早いですが懇親会場のSさんのだいこんやさんに向かう事にしました。Sさんはありがたいことにも今回の旅にも同行して下さっています。車に乗って発車しようとタコメーターを見るとなんと39999です。サンキュウサンキュウで凄いと驚きです。私の車のナンバーは999で、サンキュウが3つで桁が変わりました。今回の旅を導いた存在からのメッセージの様です。
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 だいこんやさんでの懇親会は皆さんにこの旅の感想をお話頂きましたが、縁ある方々の集いはとてもありがたく、実り多きものでした。そして陸奥天地開闢が出来たようです。やがてそれが形になっていくことでしょう。次は新しい世界を形作る楽しみです。
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 今回は後もう一つの成果があります。霊山で頂いたお言葉に「この山の発する大きなる力に触れて、それぞれの身をこの地としっかり繋ぎておかれませ。是より参る新しき時に大いに役立つ力なり。うつして参りて持ち行く時あり。」とありました。あらかじめ4月末に木内さん中山さんのジョイントツアーを決めていましたが私の企画内容で良いか確認頂きましたが、お二人とも了解です。4月末に丸森でミーテイングして、星の観察をして、山開きの翌日に霊山に登ることになりました。ご縁の方々是非とも集ってください。

131「開闢の旅1」2011,12,25

 陸奥天地開闢(みちのくてんちかいびゃく)と大それた名の旅を思いつきましたが、12月10日の木内鶴彦さん中山博さんの座談会を聞いてこれはまさに時宜にかなった企画内容と想いました。講演会前に木内さんと打ち合わせを兼ねて食事をしましたが、最近の木内さんの動きの中で、みちのくが大きくクローズアップされていて、今回巡る予定の地とその意図をお伝えすると、驚きをもってまさにピッタリな内容とおっしゃっていました。木内さんは未来を見てきていますが、あるプロセスの部分が抜けているようです。
 
 過去は今に連なり今が未来に繋がる時間の中に生きる私達ですが、過去は未来を作り、今私たちが過去、未来を読み解く時、おのずと過去が蘇り、未来が拓けます。
 
 私には3,11東日本大震災の前後に支倉常長の存在を知らせるメッセージが何度かありました。どう読み解いたらと思案していましたが、まずは所縁の地を訪れる中で見えてくるものがあると思っていました。7月に仙台で講演して頂いた、はせくらみゆきさんも支倉常長所縁の方で、いろいろ伺い知ることができました。
 更にはかねてより興味の対象であったアラハバキ、スサノウ、坂上田村麻呂の存在を鍵に、みちのくの所縁の地を訪ね、秘められた事蹟を繋ぎ見る試みと、天地自然の中に立ち、人としての自覚、役割を体感すること、そしてその前提が整う事で開けることがある。そのような意図を持った旅です。
 稀有な能力をお持ちのお二人と巡る今回の旅は大きな意味と意義がありました。参加出来た方々はそれに同行できとても幸運なことでした。

 定時に仙台駅集合した20名の方々は3台の車に分乗して出発です。最初の目的地は川崎町ですが、途中、テンメイの里山の候補地になりそうなところをさっと見て頂きました。中山さん木内さんからも良さそうではないかと評価頂きましたが、果たして今後どのようになるか楽しみです。

 支倉常長の領地は宮城県川崎町支倉にあり、常長のお墓がある円福寺、その裏山は居城だった上楯城址です。まずはお墓をお参りして、城址へと山を登り、本丸跡の杉林の中で皆さんであわ歌を歌いました。その時のお言葉です。
「ゆらり ゆら ゆら ゆるりと参る。この響き、光を受けて参ろうぞ。 皆々ここに集い来て。(拍手) この地を離れ行かれませ、大いなる悲しみ苦しみを、ここより持ち行きて、参られよ、皆々引き受け申すなり。(拍手)本日ここに皆々と、ひとつと成り行き参ります。(拍手)喜びなり。(拍手)あーい。(拍手)」
 朝日を燦々と浴びて、更に光輝いたその地は、天へ向かってすくっと立ち並ぶ木立の中で、天地つなぎ過去の思いは晴れたようで、すっきりした風が吹きました。
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 上楯城址のある山を降りた西側に熊野神社が鎮座しています。
 熊野神社は家都御子神、速玉男命、熊野夫須美神を御祀りしており延暦十六年(七九七、平安)征夷大将軍坂上田村麿が創建したとあります。そこを参拝しましたが、中山さんから上楯城址と対になっているところで大事な神社だったようです。そこであわ歌を歌いましたが、頂いたお言葉です。
「皆々様の暖かき響きと光をありがとう。この地を再び大きなる地と成し行かんと、皆々はここ支えて、大きなる思いの倉 打ち立てん。共々働き力を添えて参るなり。」
 ここを支えて、大きなる思いの倉打ち立てん、とあります。この地の地名、支倉が歌われていますが、これからの大きな思いを打ち立てる幕開きの様です。
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 後で分かったのですがこの支倉の地には前九年の役に係る新羅の地であったようです。
 以下その内容を紹介します。
 ※東北地方における新羅神社(3)
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/110.htm
「新羅の郷」の説明文(川崎町教育委員会)
「現在支倉の字名がついているが、古くは長谷倉とか馳倉(はせくら)と呼んだ。それ以前は新羅であったという。永承六年(1051)安倍頼時が平泉によって反乱を起こして勢力を張ったので、朝廷は源頼義、義家父子に征討を命じた。前九年の役である。その折、源氏の武将新羅三郎義光が新羅(朝鮮)の帰化人三十七人を率いてきた。二十人は槻木の入間田に、十七人をこの地に住まわせた。支倉に住んだ新羅人は優れた技術を持っていたので、砂鉄を精錬して武器と農具を作って戦役の用に供した。それ以来新羅の郷と呼ぶようになった。それを証明するように、ここ沼の橇(そり)をはじめ、この森一帯に金屑が見られ、何時の頃からかこの森の奥に供養碑も建てられている。遠く故郷を望んで没した新羅の人々の冥福を祈ってやまない。昭和五十八年十二月」

 川崎町の隣町の村田町にある白鳥神社は10分ほどです。境内には樹齢約1000年といわれる巨木群が悠然とそびえ、特に藤の木は、大杉に巻き付く姿が大蛇のように見えることから、「奥州の蛇藤」と呼ばれています。又、白鳥神社の地は古来、日本武尊が東夷東征の際、陣を構えた地と言われ、創建は日本武尊を偲んで景行53年(123)に勧請したといわれています。空海もこの地を訪れ境内に定龍寺を開山し、前九年合戦の際には源頼義、義家が戦勝祈願し、康平5年(1062)に奉じた義家の寄進状が残っています。同時に義家には戦局が苦しくなった時、大蛇に姿を変えた境内の大藤(奥州の蛇藤)に助けられたという伝説も伝わっています。これらの伝承から文治5年(1189)には源頼朝が宝鏡と太刀を寄進し奥州藤原氏との戦いの戦勝祈願しています。
 白鳥神社本殿の裏の欅の巨木を囲んであわ歌を歌いました。その時のお言葉です。
「長きにわたりて この地を守り来りて この時大きな光を賜りた、ありがたき。皆々様には この地を供と成し行かれ、篩たる新しきへと参りましょうぞ。嬉しきなり。」
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 次の目的地は名取市にある雷神山古墳です。東北地方最大の規模を持つ前方後円墳で、4世紀末~5世紀初頭に造られ、広い地域を統括した、きわめて大きな権力をもった首長の墓と言われています。古墳の上であわ歌を歌いましたがその時のお言葉です。
「(拍手)讃えまする。この地 永きにわたりて、広く大きく嬉しきと成されておられたるは、真に嬉しきなり。これよりその時の思いに立ち返り、今より大きなる 新しき 嬉しきの地を作り行きます。大きなるご支援を生み出だされませ。共々参りましょうぞ。(拍手)ありがたきなり。」
 歌の途中から強風が吹き荒れましたが、何者かが呼応して起きたのかと思います。
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 昼食は10分ほどの処にあるテンメイ名取農場の高柳亭で美味しくお弁当を頂きました。休憩もそこそこに、一路北上して仙台市の通り抜けて、大和町の石神山精(いわがみやまずみ)神社に向かいました。
 神社拝殿の後方に杉の大木がありその陰に本殿があります。左手には、巨大な屏風岩があり、石と木の神を祀っています。明治以前は石神大明神と称していたようです。当社の由緒は不詳ですが、坂上田村麿の勧請との説もあり、本殿前の杉は、田村麿御手植だと伝えられているようです。しかし、続日本書紀に桓武天皇790年に陸奥ノ国黒川郡石神山精神社が官社に進められ、すでに大和朝廷の信仰厚く奉幣が行われたようです。
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 杉の巨木を囲んであわ歌を歌いました。その時のお言葉です。
「支えて参る、この大きなる身を 降り注ぐ大き身元の光を受けて、大きなる伝えを表し行かれよ。本日この時 伝えられよ。(拍手)お~お~ いただきには、この上無き光を持ちてある 新しき光をひとつと成すその時は大きなる動きあり、大いなる力となりて西に向かう。(拍手)お~承りたり、急がれよ。(拍手)」
 大いなる力となりて西に向かうとありますが果たしてどんな意味があるのでしょうか。
 神社を降りてきたら強烈な太陽が光を発していました。
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 石神山精神社から舟形山方向に少し進んだところにGさんの農場があります。今度テンメイで農地をお借り出来ることになり、その圃場を皆さんに見て頂くことになりました。
 農場は七つ森の山懐に囲まれたところで、東には皆神山の形にそっくりな山が見えます。太陽が暖かい光を送ってくれます。皆さんであわ歌を歌いましたが、その時のお言葉です。
「たゆまず、この地で働き行きて 大いなるこの地の気を発しなされ。光と共に皆々に 配られる日を迎えてまする。ありがとう。」
 テンメイ会員のGさんとは大きなるご縁を感じていましたがこの度、古の文化花開いた蝦夷所縁の地で大きな気を発して行くことになる様です。ありがたいことです。
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130「開闢」2011,12,22

 金正日総書記が12月17日に亡くなりました。後継者は三男の金正恩氏にきまったようですが、死後51時間半後の公表で、内部的には色々なことがあったようです。いずれにしろキーパーソンの退場で、また一つ次へと世の中は混沌としながら予定通り変化が進んできているようです。

 その日の丁度1週間前の12月10日に木内鶴彦さんと中山博さんの講演会を開催しました。中山さんは普通は講演はしませんので、私に今必要な事を尋ねてくださいという依頼があり、今回は私が司会をしてお二人に質問をする形で木内さんとのジョイント座談会が始まりました。その一部を紹介します。
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 生きている目的は何か。死は怖いことか、怖くないことか分かるのが死ぬ時。三途の川は恐怖心を取り払う為にあって、そこで意識が戻り生き返った人が臨死体験者。更に進むと死んだ感触を持っているがそれを感じている意識が存在している。意識と肉体は別のもので、基本的なものは意識。
 意識の世界は全てが満たされていて変化が無くつまらない。意識体の中で歪みを起こす。空間に歪を起し、元に戻すように回転が生じる。その回転運動が3次元の始まり。5次元空間は意識そのもの。3次元の空間の歪エネルギーの流れで元素、太陽、地球、アミノ酸、タンパク質、生物の誕生が起きている。
 太陽は鉄のガスの集まりで、飛ばされて鉄の回転が冷やされ、中がドロドロだが外は溶岩スラブの様になって地殻が出来ている。飛ばされた水は氷の塊として地球に達し、生命が誕生した。そこではエネルギー循環があり、子孫繁栄がなされてきた。

 人間の脳はパソコンのCPUで、記憶媒体は細胞内にあり、意識がミトコンドリアに入る。地球生命体が滅ぶまでバランスを取り、生活環境をもたらすことを役割としている。その難しさが楽しみで、暇な時は変化を求め、それを乗り越えるのが面白い。
 人間には生態系のバランスを取ることで各個に役割がある。この世の中に要らないものは存在しない。役割を見出すことを意識すること。世の中に役立ち、認められ、褒められることをするように、人間は創意工夫していく。人間は生き物の新参者で藻が一番偉いと言える。

 死亡体験の中でからくりを見せられる。自分の能力を引き出して初めて存在の意味がある。意識の中での輪廻転生は無く、全て膨大な意識に吸収される。肉体の制約がある個体の好き嫌いはあるが、亡くなると消えて一つになる。そして集合から個になり、誰それの生まれ変わりをベースにしてこの世に生まれ、この世に役立つことをしていく。
 これからどのような地球作りが必要か見えてくる。これまで人間の欲望でこの世界を作ってきた。お金が今の世界を支配している。かつて持っていたテレパシー能力を閉じ、自分の敵を作り、相手に心を読まれないようにした。食物の奪い合いがあり、言葉は偽りから始まった。情報交換をするが自分の能力を引き出せない。

 これからは1品持ち寄りで村作りをする。未来は色々な到達点があるが、気づいて用意すると良くなる。今は肉体を借りていて楽しんでいる。自分の能力あることを忘れている。相手を信頼できないことで、皆でどこまで共有できるか成し得ていなかった。
 今のお金の裏付けが無く、信頼性が無い。生きている目的は何か?豊かな生活?お金が全て?昔はお金なく生活していた人達がいた。今は損得があり、それをどう捨てられるか。今、学ぶ必要がある。

 場当たり的な対応ではだめ。どうしたらよいか、選択はどうするか。言い伝えや、封印や、伝達などして、未来を読んでそれらをしてきていた。  
膨大な意識にアクセスすることで今必要なことが分かる。あわの歌もその一つ。皆で学ぶ。モーゼ、空海、イサヤも書を書かないで学ばせた。今の人は学びがない。研究者おかしいし、計算式間違っている。本来の分析できていない。今は科学が衰退している。コンピューター越えられない。哲学が無い。
 これから世界は崩壊するが技術は必要。なぜ人類が必要なのか又考え直して、肉体の使い道を知り、役割を果たしていく。

 何事も体験しないと前に進まない。水を飲んで生きて行くことも体験。自分がやること、役に立つことを嬉しいと思う事がこの宇宙全体が進む元になる。人間の意識が最強で凄い能力。解かった人達で渦を作る。あわの歌を歌って解る人になってもらう。あわの歌の48音を出して、響き、光を受けて発することで自分の中の思いが変わる。

 身体の体温が低い人が周波数が同調すると高くなる。未来医学は波動医学になる。熱は化学反応で起きる。細胞が発電所でエネルギー循環されている。細胞固有の周波数があり、活性すると振動が大きくなり、病気になると波動が小さくなる。薬は体液に電位的に活動を起して働いている。食材にもその活性する波形がある。デジタル化したものは体に悪い。
 太陽の活動で地球は重力波でゆすられているが来年がピークになる。それに細胞波が同調する。

 あわの歌を皆さんで歌う、音の集まりの中にうなり音が起きて、そのファージーが良い。48音の完成体はとても気持ちが良い。身体のバランスが崩れている人は変化する。健康な人の細胞波を与えてその周波数を与えると元に戻っていく。台風などの気象変動でも起きているが、あわの歌で良い音域がそろうことで癒される。未来型医学だ。

 イスラエル、ユダヤの地は東西の交点で文明発祥の地。人間は神と契約を結び、生態系を守り作り上げるような村作りをし、砂漠の緑地化をする。1品持ち寄りで皆で協力して作る。
 そこでは法は無く、お互いの良心に任せる。教えを経験させることで、書に書き残してはダメ。書き残すと思いが入りやがてカリスマ性になる。それが広まってユダヤ教、キリスト教、ヒンズー教、仏教となり、やがて宗教は腐敗していく。イサヤ、キリストは預言者で救世主として現れたが、日本ではスガがその働きをした。
 皆既月食の時に神と約束した事の結果を報告し審判を受ける。その日は2014年4月20日。神からの制裁は無いが、果たせなかった事を情けないと思い、反省して約1年の猶予をもらい、2015年3月15日の皆既日食の時に再度契約をする。その事を畏れて慌てている人達もいる。
 基本として放射性物質、石炭、石油をエネルギーに使ってはダメで、使わない中で社会を作っていくことが人間の叡智だ。太陽エネルギーを使うことで可能。
 あわの歌は動植物も振動して活性化して、場が安定化する。

 前半最後に中山さんとあわ歌3回歌いその時のお言葉です。
「光を、その身のものとなし、発して行く方々を、是より100人の間に作り、この28か月に一大光の力と成して、闇との契約は新たなるものと成し行くなり。今、今あるを続けること成らず。又々、この間違いを為さぬように致すため、皆々光と成られませ。大きなる事なり。」
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 3,11の原発事故はシンドローム化している。それらが集まって臨界を超えると核分裂、爆発が起きる。地震学者もこれから大きな地震が起きると言っているので、起きる可能性が高い。それを意識しておいた方が良い。
 古くは東北には文明が発達していて、スサノウも東北から出て行き、出雲を治めた。それは東北が本社で関西支社を作ったようなもの。1500年前に今の天皇家が入ってきて、神話を作り変えた。
 日本から世界が変わり、これから世界維新になります。治める人が出てきて、これから世界の雛形を作る。それは東北から始まる。福島から北で、スサノウの御霊の所縁の処でアラハバキの世界です。今回の震災は大変だったがそれが大きなチャンスになる。
 100個くらいの家で1つの村を作り、自給自足し、エネルギー、ごみ処理も出来る完結型のテーマパークとして、そこに参加する人間は1品持ち寄りで、そこを経営する会社の従業員として働く。放射能のことを考えて農業もハウス栽培を基本にする。太陽光発電で、電線のなく、炭素電池で賄う。大手企業もこの構想に興味を示しています。
 放射性物質は2400度でばらけます。炉が開発されたので太陽光での処理も可能です。たいちくんで土地の放射能下がることも明らかになってきています。
 スサノウの考えは東北を治めていたもので、これからはそれを基に更に新しい村作りをしていく。

 今回の震災、津波はこれまで人間が流し、海に流れた諸々のもの、ヘドロを海の底からまるごと返したということ。人間だけの考え、世界では動かない。宇宙全体で動いていて、人間に反省を促している。これからは何も無で生きられることを覚ること。
 人間以上になる為に、光を取り込んだ人類になる。日本は八百万の神の国、今我々の世代が壊していることは全員が責任者で、その解決を試させられている。その苦労を試されている。先人がヒントを残している。その御霊、意識に残っている、そこを大切にしていく。その御霊に入っている物を思い出すこと。
 全てあわの歌が引き受け、消していく。あわの歌を歌う事で浄化しているし、再生しやすくなる。只々歌う事で行われる。

 最後に中山さんとあわ歌3回歌いその時のお言葉です。
「ありがたきなり、このあわ歌を是よりも歌いて、響きて、光の中へ参りて下され。この大きなる宇宙は、待ち望みております。」

 みちのくが開かれ、そこで取り組まれる物が新しい世界のひな形としてこれから進むようです。今回の講演会、そして11、12日の陸奥開闢(みちのくかいびゃく)の旅はまさにタイムリーな企画、内容と納得した座談会でした。
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128.「餅搗き」        2011年12月7日

 12月4日は低気圧の影響で風速30m程の強風が吹き荒れました。高速道路を運転しながら横風にあおられ、慎重運転を余儀なくされましたが、そういえば丁度1年前も大嵐だったと思い出しました。12月4日は低気圧で強風の特異日かもしれません。
 昨年2010年12月4日は東北新幹線が青森迄開通し、はやぶさがデビューした日でした。その時仙台で木内鶴彦さん中山博さん講演会を開催しましたが、新幹線が軒並み遅れてしまい、木内さんの到着が2時間以上遅れてしまいました。その時のあわ歌を100人ほどで歌い貴重な幕開けの第1歩でした。初めての木内・中山ジョイント講演会の貴重な記録をDVDに収録しましたが今でも口コミで購入いただいています。そして今年も12月10日にお二人のジョイント講演会を仙台で開催します。2011年12月11日、そして2011年12月12日はみちのく開闢の旅です。果たして如何成りますでしょうか楽しみです。
 DVD案内です。http://genkiup.net/library/2010.12.04kiuchi-nakayama.pdf 
 塾長ブログです。http://sendaitenmei.blog108.fc2.com/blog-date-20101209.html
 前日12月3日は朝から冷たい雨が降っていました。3日午後からはチャレンジPPK研修会&望念会を2日間にわたって開催しました。天命塾との共催ですが1日目研修会は「東日本大震災を経験して今を生きる」と題して皆さんで3月11日の体験を経て、9か月後の今を語っていただきました。
 濃厚な3時間半の時空間は改めて感動と新しい気づきを共有できました。参加者20数名の方々は、宮城、岩手、福島の天命塾メンバーだけでなく、全国各地で遭遇した体験の中で起きたいろいろなこと、生きていた思いが語られましたが、感涙有、唯々受け入れて、元気を分かち合い、自分の役割に生きる縁者を認め、支援し、讃えるそんな空気でした。
 近藤洋一代表からは、年初に書初めした「湧源」の言葉を紹介して頂きました。体からエネルギーが湧いていて、体に宿っていて活かしている神様がいなくなったら人は死んでしまう。今は宇宙のメッセージとして、人が神の領域に入ってきている時代とのことです。
 杉浦清始代表からは、ガンなどの治療から見放された人が克服して生きる時代になった。その方々に、人智の限界に来た時に、自分が魔法使いとして係る役割なので上手く使ってほしいとお言葉がありました。
 3月11日を境にエネルギーの大変換が起きて、既に波動が変わり、人の意識の変化、価値観が変わってきている。この時代に生きてある者は等しく役割を全うし、意識で己が人生を表現豊かにし、味わい、喜んで、ピンピンと光り輝いて元気に生きてあの世に還る、そんな生き方をしていくことの必要を再認識できた貴重な集いでした。
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 研修会が終わって望念会に向かう面々はあわの里天命舎を後にしました。仙台の師走の風物詩になった定禅寺通りの光のページェントで道路は渋滞しています。ページェントの点灯時間17時30分ジャストに私の車は交差点に入り、幸運にも点灯の瞬間を見ることが出来ました。道路には大勢の人達が点灯の瞬間を待っていましたので、点灯と同時に歓声が上がりました。渋滞の中、私も写真に収めることができました。今年は倉庫に保管していた電球60万個が津波で全部流失してしまい、開催が危ぶまれましたが、色々な支援、借用、借入金等主催者の努力でようやく開催にこぎつけたようです。例年より若干電球の数が少ない感じですが、復興の象徴として開催出来て良かったと思います。
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 作並温泉での望念会は楽しい交流の場でした。いつものように、座席はくじ引きで決めるのですが、今回もベストな場所に皆さん座った様で、隣人と話が弾みます。2次会、3次会と終わってみれば1時近くでした。私も最後まで元気にお付き合い出来ました。

 翌日は8時出発の予定でしたが、連絡が上手く付いておらず、結局は9時になってしましました。強者が二日酔いか、8時起床で入浴やらで致し方なしです。12月から高速道路の無料化が実施されていますので渋滞かと思ったのですが、強風にも関わらずに、すこぶる順調に石巻に着くことが出来ました。
 被災地は既に大方の片づけが済んできていますが、初めて被災地を訪れる方々は、瓦礫の山、車の山、土台だけの広大な宅地を目にすると驚きで、声を無くしています。日和山からの眺望もインパクトが強いようでした。佐藤造船所さんも訪問しましたが、佐藤さんが元気に色々お話して説明して下さいました。いつもながらの彼の熱き思いが皆さんに強い印象を与えていました。石巻を後にして、名取市の閖上に向かいました。閖上で被災したHさんも同行していましたが、日和山から眺める街は強風に吹き飛ばされて全て消えたようで跡形もなく只々地面をむき出しにして、ところどころのビルや家屋が寂しげにぽつねんと在るだけです。再建はまだまだな状態です。
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 テンメイ名取農場では朝からスタッフの皆さんが受け入れ準備に大忙しです。丁度、餅をついている時に到着しましたが、すぐに超豪華な昼食を頂きました。あんこ餅、納豆餅、お雑煮、黄粉餅、その他農場野菜をふんだんに使った料理が次々と出され、デザートは柿、リンゴです。皆さん、大満足、大満腹です。腹ごしらえした後は、餅つきを体験して頂きました。先についていた市販のもち米の餅より、昨年テンメイ農場で収穫したもち米の餅は明らかに美味しいのです。やはり農場のエネルギーは凄いなと思いました。
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 後は、農場の見学で、農場長から説明した頂き、いつもの特別区での食味体験です。お茶やジュースを特別区の土の上に置いたものと、置いていないもので飲み比べると明らかに置いた方が美味しいのです。皆さん特別区の上に立つと、足の裏からエネルギーが感じられ、暖かいと暫し佇んで味わっています。

 最後の交流会では皆さん2日間の感想を伺いました。とても充実した内容で喜んでいただき、参加して良かったというお言葉を沢山頂きました。野菜も買い求め頂きましたが、定期購入も希望して下さる方もいて嬉しいことです。
 その席で両代表から伺ったお話を紹介します。
 杉浦宇宙僧からは
「今回の3,11大震災は人間の傲慢さ、歪に地球が怒って、岩盤がずれて津波が起きた。それは人間の固い思い込み、意識を粉砕することと思える。人間が自分だけ良くなろうという目標の生き方の結果で、地球も生き物でそこに生かされていることを改めて気づく為の教えを頂いた。しっかり地球再生への意識へ切り替える必要がある。」
 近藤代表からは
「今回震災がなぜ東北で起きたのか、そしてなぜ自分が仙台のここにいるのか。これは日本の原点が東北にあることを思いださせた。文明が発展した国で、右脳と左脳を統合できる国は日本しかなく、その日本の原点を見出すことが大事だ。今日、名取農場高柳亭で頂いた食事は、昔からの日本食で懐かしいもので、東北が持っているものを色濃く残している。佐藤造船所では新たなる思いで次のステップへ向かう粘り強さを感じた。大久保先生のご縁で来ているが、なぜ東北にいるのか良く分からない。しかし、バンクシアフィットネスが根付いていることの確認もある。これからは東北の時代になるような感じがする。」
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 実は杉浦先生は9月末頃から眼底出血していて視力が落ちていて、霞がかかったような感じでしか見えていない状態でした。以前からこの世は幻だとお話になっていますから、ご自分でも実際、幻にしか見えなくなったと、これもまたありがたい事と、こともなげにお話になります。以前は1週間ほどで引けたそうですが今回は長引いてしまいました。数日前に受診して、新年早々に入院して手術を受けられることを決められたそうです。その為、天命塾新年恒例の小山の杉浦先生の根本道場での信念会・イキイキセミナーは残念ながら中止になりました。1月末にはつぶらな瞳に復活して再会できそうです。

 餅はハレの日(神の祭りなど非日常の日)の食べ物で稲作農耕の食文化の一つです。稲霊信仰によるもので、餅を食べることで神の霊力を体内に迎え、生命力の再生と補強を願ったといいます。お蔭様で今回、皆さんで餅をついて、沢山いただいたことで生命の再生ができ、晴れて今年1年を望念し、2012年に向けてエネルギーチャージ出来ました。
 交流会の時に、西に沈んだ太陽が強烈な光、エネルギーを届けてくれました。しっかり天と繋がっていたようです。
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127.「お天道様」      2011年11月30日

 11月18日から座禅断食会開催しました。震災後、参加者も20名程でゆったり開催でしたが、今回は総勢33名と、久しぶりの大勢で震災前の様な断食会でした。座禅会場が一杯な感じで些か圧迫感もありましたが、皆さん満願成就出来て、笑顔で明るく終える事が出来ました。
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 毎回終了時に思うのは、宿便出しは当然のこととして、生体エネルギー機器等の活用で、空間装置化、物語装置化が毎回高まり、良好な時空間を提供できて良かったなということです。何しろ断食期間中の心身の反応が軽くなってきていて、宿便出しの時間も速まり、かなり良い感じです。指導する私が楽に出来ますし、今回の1番先に排便をしたのも私で、食事開始後15分でした。ほとんどの方が30から40分で排便が始まり、遅い方でも1時間後には出るという好調な状態でした。如何に人間、生き物は環境の影響が大きいか今更ながら実感しました。
 更に今回はスタッフのTさんが漬けてくれた梅漬けがすこぶる好評でした。今年は和歌山、紀州の生体エネルギーを活用して栽培している仲間から素晴らしい南高梅を入手でき、生体エネルギーの塩や諸々の環境などもしっかり設定して完成したものを食べて頂きました。次は生体エネルギーを活用して作った手前味噌も賞味いただければと思っています。
 毎回、プラス1が出来ていて、複数回参加のリピーターの方々にも好評です。次回は来年3月開催予定ですが、定員を25名にして参加費も値上げさせていただき、もう少しゆったりと、一段と内容、環境条件を向上して参加して頂くように変更します。

 最終日の明け食、会場の片づけも終わってすっきりして、最後のミーテイングでの皆さんの感想等をお聞きしました。いろいろなお話の中で、自分で自分の身体を通した体験を得て、健康への強い動機づけ、気づきと、これから予後を大事に過ごして更なる健康へステップアップして、身体の宿便出しから、心の宿便出しの必要性を感じて頂けるまでに変わって行く様子が伺えるのです。指導者としては役割を果たせていただいた充実感があります。今回は今までにない1時間半にわたる長時間のミーテイングでしたが、それだけ皆さんの感想や、思いを濃厚に語っていただけたようです。
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 散会前に皆さんで記念写真を撮ろうと外にでたらなんと綺麗な大きな虹が出ているではありませんか。皆さん断食会の満願成就の感動を天が祝福してくれたようだと、更なる感動で大喜びです。
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 虹は二重に出ていて、空の色がベールを被ったように明らかに違うのです。暫し皆さん虹に見とれ写真撮りに興じていました。宿を後にして、虹に向かって車を進めると遠刈田温泉街に入る手前の川岸から虹が立ち上がっています。橋を通り抜けてレインボーゲイトを通過できました。2011年11月20日に断食で宿便出しをして身体浄化して、異次元へのゲイトを通った感じです。貴重な体験が出来ました。
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 実は断食会初日、18日に蔵王に向かう高速道路で、仙台南インターを過ぎたあたりから怪しげな雲を見つけました。明らかにUFO雲です。何故か、村田インターチェンジで高速道路を下りて一般道路を蔵王に向かって走っている夕暮れの空にも追いかけるように付いてくるのです。いったい何なんでしょうか?これまた貴重な遭遇体験でした。
 UFOに導かれて3日間、心身調整、リセットして異次元時空で過ごして、晴れてレインボウゲイトを取って現実界に戻ってきた、浦島太郎かも?
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 27日は石巻の佐藤造船所さんの片づけ支援の予定でしたが、急遽、緊急な船の修理が入ったという事で中止になりました。予定変更で名取農場の農作業等になりました。都合の付いた方々7名でしたが、楽しい1日を過ごしました。幸運にも11月末とは思えない暖かい好天に恵まれました。
 初めて農場に来ていただいたHご夫妻はありがたいお手伝いを頂きました。ご主人が日ごろ自宅の庭木の剪定をご自分でしておられるとのこと、さっそく三脚に上がって腕の見せ所です。松やら沢山の木々を綺麗サッパリして頂きました。
 我々は種まき、苗の植え付け、ごぼう掘り、里芋堀り、黒豆などの豆たたき、最後は近くのお宅の竹やぶから竹を切り出して15本ほど肩に担いで運びました。予定していた生体エネルギー資材の散布は時間が無くてできませんでしたがいろいろのことが出来、十分に楽しめました。おばけ?巨大白菜の収穫をしましたが、上手く結球しないものですが食べるには何ら支障ありません。収穫したごぼう、里芋、白菜等の品々がお昼ご飯の食卓に、名料理長のTさんの創作料理に変身して沢山並びました。談笑の中で美味しく、楽しく満腹の優雅な午餐会でした。
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 昼食後作業再開しましたが、雲が出てきました。丁度農場の真上で南は雲で覆われて、北、仙台方面は青空なのです。太平洋から蔵王の山々に向かって雲が1直線にその境界を明確に分けています。気圧の違いで、低気圧が雲を生んだのでしょう。
 「秋の空、北は晴れたり、日高見は、千代に八千代に、見事なりけり。」
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 やがて夕暮れの頃には雲が切れて、夕焼けが西の空に綺麗に見えました。作業を終えてお茶を飲みながら四方山話に暫し時を忘れて、気心知る仲間と心暖まるひと時を過ごしました。
 お蔭様で、雲に導かれ、虹に祝福され、夕日に感謝の、嬉し、楽し、幸せの満ち足りた日日です。お天道様(おてんとうさま)いつもありがとうございます。
プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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