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50.「奇跡」    2010年10月26日

 山元加津子(かっこちゃん)さんは魔女です。彼女は石川県で特別支援学校の教諭(旧養護教員)をしていますが、子供の頃に自分は魔女に成りたいと思っていました。そして、彼女は魔女だなと私は思います。山元さんとのご縁は仙台天命塾で11年程前に初めて山元さんと立花大敬さんのジョイント講演会を開催しましたが、それ以来です。親しくさせていただいていますがとても素晴らしい方です。

 山元さんは障害を持ったお子さんの教育を通して数々の感動の世界を引き出し、伝えていて、いのちの奇跡を見つめ続けている方です。沢山の著書があり、映画もあります。仕事に支障のない週末に月4回程のペースで全国に講演に出かけられますが、講演予約が1年先をお願いするのも大変な人気です。

 山元さんの付き人をしているKさんとは平成8年頃から黒澤吾耶さんの勉強会で御一緒していましたが、平成9年頃?に彼から山元さんの講演録を頂き、初めて彼女の存在を知りました。兎に角、彼が熱心に勧めてくれました。

 公認会計士の彼は彼女の存在に感激して、講演会を開催し、講演録を作成して最初は無料で皆さんに配布していました。そんな時に友人の金沢のYさんが講演会を開催されることになり、初めて山元さんに金沢でお会いして直接お話を伺い、とても感動しました。

 Kさんも確か、金沢においででしたが既に付き人をしていました。彼は山元さんの役に立ちたい、サポートをしたい、それが自分の役目と覚悟されて、以来ひたすら多方面にわたってお世話をしています。山元さんは方向音痴で、電車、飛行機等の移動が一人で出来ない方で、忘れ物をしたり、駐車場に車を止めて探せなくなったり、ガス欠で車が止まったり、・・・彼女のエピソードは数知れずあります。

 そんなご縁で仙台講演会を開催しましたが大成功でした。仙台ではそれ以来何度か山元さんの講演会を開催させていただいていますが、彼女のファンが沢山いて、私も大好きな方です。彼女はとても不思議世界、宇宙を生きていますが、素晴らしい存在、能力を持っています。昨年8月には「宇宙の約束」の映画上映と講演会開催でしたが感動の世界でした。

 その時に山元さんの学校の同僚で彼女の良き理解者で仲間の冨田俊也(宮ぷー)さんが病に倒れたことを伺いました。彼の病気は脳幹出血で、患者の8割が亡くなり残りのほとんどが意識不明、意識が回復するのが4%といわれ、回復しても植物人間といいます。彼の病の状況を彼女は主治医から聞かされましたが「先生、でも大丈夫です」となぜか答えたそうです。そして病院のスタッフや皆さんのお陰で回復していきましたが、意識が戻ることはないと言われていました。しかし、彼女は彼に意識があり、回復することを信じて疑うことがありませんでした。そして彼女は「宮ぷーこころの架け橋プロジェクト」をスタートさせて皆さんの支援を頂ける活動を始めました。それは彼女が綴る宮ぷー日記で、メルマガです。私も参加協力をお願いされましたので快諾しました。

プロジェクトのページ(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信しています。宮ぷーの願いはこの日記を出版すること。その願いの実現に近づくようにこのメルマガを広めることにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いします。詳しいことは、こちらのページをお読みください。
 10月16日に大阪でトータルヘルスデザイン主催の山元さんの宇宙の約束の映画上映と講演会が開催されましたが、参加してきました。会場は400人程でしょうか、一杯です。皆さんお話に聞き入り、感動しています。講演の最後に宮ぷーのことが話されました。

 彼女は彼が回復することを信じて、毎日のように見舞い、話しかけ、色々のコミュニケーション手段を考案し、ついに意識が戻りました。そして寝たきりの不随の体が動かせるようになりました。講演会では最近の彼の様子を写した動画が上映されましたが、そこには自力で初めて首を起こすことが出来た姿が映し出されていました。今は立ちあがる事もリハビリで始めたようです。

 思いと、努力と、強い意志力で新たな真実が明らかにされ、それはまさに不治の病が回復していく、まさに奇跡が起きています。山元さんの魔女としての能力を感じるのは私だけではないようです。医者もこの事実を驚きで受け入れているそうです。また、彼女はいろいろな工夫をして彼の回復に役立つ努力をしています。内容はこちらをご覧ください。
 そして以下は講演会後のブログの記事です。
宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし 2010-10-18 22:36:29
 僕のうしろに道はできる 
~昨日の講演会でお会いした方のお話をしていました。
「昨日もお医者さんが、宮ぷーはとっても大きい出血で、こんな大きな出血で、こうして気持ちを伝えたりしている人を僕は知らないとおっしゃっていたよ」と言うと、宮ぷーは「がんばるね」と言いました。そして「ぼくのうしろにみちはできる」と言いました。宮ぷーが言いたかったのは、僕ががんばることで、重い脳出血をされた方も、こうして回復していった人がいるんだと知ったら、希望を持ってくれるだろうかということだったようです。「そうだよ。みんな宮ぷーがどんどん元気になるたびに、きっと希望を持たれるよ」と私もそんな宮ぷーの言葉がとてもうれしかったです。~

 講演の後、主催のTHDの近藤会長と山元さんを囲んで食事会に参加しました。大阪で活躍している「夢を叶える学校」(夢かな)の面々と総勢20名で、夢かなのホームグランドに伺ってアットホーム食事会で、とても美味しい手料理を頂きました。

 夢かなの方々はこれまで山元さんの講演会や映画上映会のサポートをしている方々で、本やCDのイラストを描いている方もいます。夢かなは驚きの思いの実現を数々達成していて、いつも笑いが渦巻いています。皆さんイキワク、嬉しい楽しい幸せで活躍しています。アイリッシュハープの演奏あり、お話は弾みます。山元さんから是非とも介護で必要な介護法を伝授頂いたり盛りだくさんで、遅くまで交流出来ました。
山元さんは「病気や障害がとても大切なこと。みんなが素晴らしい役割をもってうまれていること。それが科学的に証明されること。すべての人が宇宙から必要とされていること。そんなことを世界中の人が当たり前に知っている世の中に、かっこちゃんがしてほしい」という教え子の雪絵ちゃんとの約束を胸にお話をしています。

 今度仙台では2011年2月11日天命塾で講演会開催します。皆さん是非、楽しみに参加下さい。
2009かっこちゃんと
(かっこちゃんと魔法にかかった?筆者。昨年仙台講演会終了後に撮影)
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49.「未知拓く3」  2010年10月22日

 みちのく、未知を拓く旅の3日目はとても素晴らしい天気に恵まれました。皆さん元気にバスに乗り込み8時少し過ぎて出発しました。最初の目的地は縄文樺山遺跡です。
あわ歌サロンは待っていましたとばかりに直ぐに開店です。サロンでの最初のお言葉は以下です。
「皆々で守り来る この山川は 
 これよりも大きなり この地を踏まれて
 その大きなる力 頂き 新しきへと参りませ」
2010.10.11バスサロンアワ歌

 樺山遺跡は北上市の桜の名所、展勝地のすぐ近くで北上川の東側の高台にあります。西に開けて北上川と奥羽山脈を遠望できる最高の場所で、草が綺麗に刈りこまれ、そこに縄文の家屋が点在し、下方にはストーンサークルもあります。朝の太陽が輝き、光がきらきら舞い、風が心地良く、心身が喜ぶ感じが嬉しいです。皆さん大きくエネルギーを頂き身体を伸び伸びさせて寛喜が溢れています。自然の恵み、人間はそれに生かされている事が実感できます。そこで円を作り大きな声で歌いましたが、その時のお言葉です。

「嬉しきなるぞ 嬉しきなり 
 このあわ歌が 響き渡りて 皆々喜び
 この地がいきいき 皆々楽しき 嬉しきとなる
 ありがたき ありがたき。」
樺山遺跡 2010.10.11.8:45


 中山さんの拍手が古しえのリズムを奏で、お言葉の一言一言の間に打ち鳴らされます。きっと縄文の当時はそのように神仏然と交信していたのでしょう。名残惜しい氣を振り払いバスは出発です。車中でのお言葉です。
「夢みたる この時を越えて 皆々参られよ 面白きに出逢う」

 素晴らしい、嬉しい言葉です。この先には夢に見た、時を越え、面白きに出逢い、巡り合いが待っています。次の目的地は源休館跡です。

 源休館跡は源義経が平泉から北行して蝦夷地に逃れたとされる義経北行伝説の縁の場所でもあります。小学校の裏手の林の中に3つの巨石に囲まれた中に祠があります。バスから先に降りた一人の女性が、こらえきれずに花摘みに岩屋の奥に走り消えましたが、すっきりさっぱりして笑顔で戻ってきました。その地は南に開けていますが、太陽が眩しく輝いていて、そちらを向いて皆さんとあわ歌を唱和しました。頂いたお言葉です。

「遠き昔に この地にありし方々 ここにて天地結び
 嬉しき世を 作らんと 夢みたり
 大きなる仕組み 違いて 今に至りしなる
 是よりあわ歌 大きなる響きと成りて 新しきを成す
 此処にそのこと申す。」
源休館跡
源休館跡

 かつてこの地にて成された仕組み違いを、これから新たに成すとのこと。果たして如何にこれから進むのでしょうか?心に何かを残しながら、バスは出発し、程なく車中で頂いたお言葉です。
「大きなるぞ この地は 光降り来る 天地の地なり
 響きて 皆々 それぞれ 繋ぎて 出されませ」

 次なる目的地は種山高原です。この地は宮沢賢治の創作の原点、視点、感を伺える、原風景です。馬の放牧地として利用された、なだらかな高原の中にはキャンプ場やロッジが点在し、物見山頂上近くにあるモナドノックス(残丘)へは駐車場から500m程昇ります。
2010.10.11.10:59

 風になびいたような二つの巨岩や波打つ段違いの巨石がモナドノックスです。「この高原の残丘(モナドノックス)、此処こそ、その種山の尖端だ」と賢治が描いた世界です。初めて見た時に、ここから銀河鉄道が出発したのだと直感しました。岩の上から天空は間近に感じられ、360度の眺望は心を豊かに、満たされた幸せな気分になります。きっとこの地が、先ほどバスで頂いたお言葉の、光降る天地結ぶ地なのです。さぞや満天の星を頂く夜は、想像が創造して何か貴重なものが生み出されていくことでしょう。この地を賢治は幾度となく訪れて、「牧歌」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など種山が原を舞台にした作品を多く残しています。

 全員がモナドノックスの上に上がってあわ歌を天空に響きわたらせました。歌と共に太陽が雲間から現われ光を降り注いできます。天地人が供応し結ばれた一体感です。その時のお言葉です。

「只今のただの響き 大きく成りて届き行く
 皆々様はこの事忘れず 続けて 繋ぎて 参らせませ。」
モナドノックス 種山高原での空と太陽

 有志が物見山頂上まで登りそこでも頂きました。
「この天の全てはあいぞ 皆々様へ 配る光 あいなり」

 種山は原は高山植物の宝庫です。思い思いに花を愛で、高原の空気を満喫して下山しました。昼食会場はバスで山を数分程下りた種山遊林ランドです。予定時間から大分遅くなり問い合わせの留守電が2度も入っていましたが、モナドノックスは近くて遠い世界で、圏外で音信不通でした。カレーライスを食べて急いで次なる地を目指して出発です。車中でのお言葉です。
「続けて続けた この地の 元々 皆々変わりて 新しきへ参る
 知らぬ事々 起こり来る 
 そのみの思いを やわらかきとなさりて 受けなされ」
 
 大東町の続石は国道の道路沿い、中学校に隣接してあります。「続石山大原寺跡・続石」が正式名称で民家の庭に大原神社(古峰神社碑)があり、その周りに巨石が沢山ありますが、なぜ誰が、こんな処に集められたのか??です。太陽が頂点から傾き始めた頃合いで、強烈な光が降り注がれる中、あわ歌を歌いました。その時のお言葉です。

「響きと光 持ち来たりたるぞ
 この大き岩より発して 繋げて結びて
 大き地へ続けて 伝えて参るなり
 これよりこの地の役目を成すなり。」
大東町の続石 大東町の続石

 次は室根神社です。今日は3日間の中でも盛りだくさんでかなりの強行軍ですがこれまでのところ順調な走りです。室根山への登り道も狭いので迂回しなければと心配したのですが、名ドライバーが難無く切り抜けてくれます。ありがたいことです。
 室根神社は室根山の8号目に鎮座し、瀬織津姫に縁がありますが今はそのことが消されていて本宮の御祭神は伊弉册命です。由来には、西暦718年に鎮守府将軍・大野東人(あずまんど)が蝦夷を降伏させるための祈願所として、和歌山県の紀州熊野大社より霊を迎えて建立されたとのこと。蝦夷討伐が終った後、室根山周辺の集落の鎮守として崇められ、坂上田村麻呂や源義経も祈願したことがあると言われている神社です。新宮も後年、紀州熊野速玉大社より霊を迎えて建立したとのことです。
室根神社鳥居
 
 本宮には大きな金の鈴、新宮には銀の鈴がありますが二社が並んで配置されています。何処で歌うかと尋ねますと、二社の間の山裾の林が良いことになりました。気になる木が光輝いてその地を知らしめています。私もそう感じていましたので、皆でその方向を目指して歌いました。その時のお言葉です。

「集いて頂きありがたき この地に響きは大きなり (拍手)
 出でませこの地の皆々様よ
 その扉開きて 皆々様方 新しきへの道へ 参りませ (拍手)
 この時なり 光と共に参られよ (拍手)」
室根神社1 室根神社アワ歌 室根神社2

 参拝後は室根山山頂展望台に行きその地を一望しました。東には太平洋、気仙沼市街が見えます。山頂には、神社の静寂とは違い、沢山の観光客の方々がひしめき合っています。
室根山展望台からの眺望

 皆さんすっきりさっぱりしてバスは出発です。来た道を引き返し目指すは水沢の黒石寺です。最前列でナビゲーターをしていた私も、運転手さんに同じ道を戻って云々とその旨お話して、ちょっと隣席の方と光の写真を見たり、お話をしていました。ふと前を見ると道を間違えています。北に下るのに南の方向に下っているではないですか。時すでに遅しです。止む負えず国道を山裾を半周する形で遠回りすることに成りました。運転手さんは何処で道を間違えたのか怪訝そうに首をひねっています。車中はそんな事も意に介せず、サロン組と睡眠組と思い思いに楽しんでおります。そんな車中のお言葉です。
「更なる伝えぞ
 この時に この地にありて いまだしなる 多くの方々
 この時御用意なされませ 光と響きを届けましょうぞ」
「止まりておれば これよりは大きなる
 ひらきとなりてまいる 進みなされよ
 この響きと光と 共に嬉しきなる道なり
 せまりて来るぞ その時は」

 黒石寺は正月の裸参りで有名な蘇民祭が開催される古寺です。729年、奈良法相宗(ほっそうしゅう)薬師寺五代行基和尚が東奥に行化(ぎょうげ)し、この地に至り渓山の幽秀を喜び、一堂宇を造り、薬師如来像を一刀三礼のもとに手刻安置し、次年に寺を建立し、東光山薬師寺と号して開山した、とあります。古の頃、この地は蝦夷が住む肥沃な地で、阿弖流為(あてるい)や母礼(もれ)を族長として栄えていた。しかし、やがて坂上田村麻呂の制圧を受け支配下に収められ、黒石寺は神宮寺的な存在として灯明を灯し続けてきています。今回のみちのくを巡る旅で唯一のお寺ですが、この地に此処は欠かせないかなという気持ちがありました。本殿の裏山の不動尊の館であわ歌を歌わせていただきました。その時のお言葉です。

「訪ねて参り来たり このあわ歌の 響き持ちて届けたり
 この響きを聴きたるや この響き 
 これよりこの地 この宇宙に響き 満ち満ちて
 全ては変わり行く時ぞ
 この響きと光と ひとつに成られたれば 元に帰る
 その時に出でませ 参りませ 進み行きませ
 多くの皆々進みておるなり 参りませ お待ち申す
 永きにわたり御苦労でした ありがとう (拍手)」
黒石寺 黒石寺 黒石寺での空と太陽
 

 場は非常に重く、淀んだ感じです。本来は住職はじめお坊様のお役目なのでしょうが、多くの御霊にあわ歌響かせ、非常に長く問い聞かせて決意、行動を促すお言葉です。中山さんによるとこの寺を訪れることを出来るだけ遅らせようという動きがあった様で、それが道を間違えさせられたことの真相のようです。

 バス車中で頂いたお言葉です。
「終わりたる時 全ては無しとなさりませ
 なお残る思いあれば 喜びとして そのみに受けられ
 ひたすら歌いて ひとつと成られませ お願い申す これよりも」

 水沢市内の駒形神社を目指しますが、既に16時半を過ぎています。途中バスの給油があり又時間が過ぎています。果たして夕暮れまでに愛宕神社まで辿り着けるかぎりぎりです。

 駒形神社は陸中一の宮で、水沢市内にあります。本殿を参拝しましたが、光が差し込まれていて納まりが良い感じです。ここでは歌を歌わずに失礼しましたが、中山さんは最後の予定地の愛宕神社に必ず伺うと約束をされているようでそちらに急ぐことにしました。参拝済んで駐車場に向かう時、空には鳳凰と垂直に昇る龍が現れました。これはこの旅での巡りへの目出度き、大きなサインを頂いたようです。皆凄いと感動です。
駒形神社奥宮の遥拝の宮 龍と鳳凰
 
 目指す愛宕神社まで30分程ですが日の沈みがどんどん早まります。既に暮れてしまった17時15分を過ぎに到着です。神社は高さ15mの巨石を積み上げた超巨石・祭壇石の岩山の頂上にあります。足元が暗くて、歩くのもおぼつかないのですが3人が昇り、上下に分かれてあわ歌を唱和しました。この歌が今回の旅の最後の歌です。その時のお言葉です。

「あいと 共なる 響きと光をありがたき
 皆々様よ ありがとう 共々 参りましょうぞ。」
日暮後の愛宕神社

 全ては、あい、響き、光、感謝です。全てを終えて帰路につきましたが、遠方の方々は水沢江刺から新幹線で帰りますので、その時間に間に合うようにバスは駅を目指します。車中お別れの言葉を皆さんから頂きましたが、とても皆さん満たされ、充実した時空間を体験できたと嬉しい言葉が沢山です。駅ではハグ、握手で皆さんとお別れです。そして仙台まで帰る私達はサロンで交流会を密度濃くできました。仙台には20時半到着し、有志は更に食事会です。

 超ハードなスケジュールのみちのくの未知を拓く3日間の旅も全て終わりました。しかし皆さん元気で、笑顔で、喜び一杯です。みちのくの新たなる道を開き、己の未知を拓いた時空間は、当たり前に次なる世界、宇宙の扉開きだったようです。果たして次元上昇でしょうか?同じで違う、あい深き、道行き、これからもますます楽しみです。

48.「未知拓く2」  2010年10月18日

 みちのくの未知を拓く2日目は天気予報がはずれ良い天気に恵まれました。バスは予定の8時丁度の出発です。皆さん何かがつき揃って、今日の巡りに向かう意識がぴったりとカミ合った感じです。最初の目的地は遠野の続石ですが、10時に儀式をすることが決まっていますので果たしてその時間までに到着できるかどうかが問題です。走り出してあわ歌サロンは直ぐに開店ですが、途中のトイレ休憩もそこそこにバスは高速道路を快調に走ります。そんな中、車中で今日もお言葉を頂きました。

「皆々様へ 本日は
 このみを通して お渡し致す 光は大きな進みなり
 しっかり捉えて 頂きたし。」

「古き時より この日高見の地の 
 大きなる岩は ゆかり深き場なり
 皆々 それぞれ 繋がりて 
 この大きなる宇宙の思いを 下ろし伝える場なり
 よくよく感じて 確かめ 覚えて下され。」

 今日の頂きはとても大事なものと受け取れます。

 バスは高速を下りて一般道を走りますが、田舎道はのんびり走行の車が多く時間はどんどん過ぎていきます。続石に10時到着は明らかに難しい状況です。もし着いたとしても岩に辿り着くには山を登らなければなりませんので岩での儀式は無理です。中山さんにお話して、どこか降りれるところがあればそこで儀式をする、無ければバスの中でということになりました。
2010.10.10ルート396

 私は最前席で目を凝らして、これはという処を探しますが見つかりません。大迫の町を過ぎて時間がどんどん10時に迫ってきます。すると道沿い左手に小さな鳥居が目に入りました。運転手さんに急ブレーキをかけて頂き、どうにか格好の場所を10時3分ほど前にお与えいただきました。八幡様をお祀りした小さな社ですが木立に囲まれ、皆さんが集まって円を作れる程良い場があり、願ったり叶ったりです。改めて此処を最初かお与えの神計らいだったと思いました。
2010.10.10.10儀式の小さな社

 そこでは皆で円を組んであわ歌を歌いましたが、素晴らしい響き合いで天に抜ける感じです。中山さんは中央で皆さんに光を送る様に私達に手をかざして周ります。光が降り注がれて空気がすっきりして気が高まった様で、身体が軽く清々しさを感じます。その時のお言葉です。

「ありがとうございます
 ここに皆々様へ 光をお渡し出来ました
 これより それぞれの御霊と共に この光進み行きます
 これよりも 響きと光とあい深き
 続けて 続けて 参られませ。」
 
 皆さんにはこの場に集えた喜びが溢れていて、幸運を素直に頂き、これからの道を新たな確信を持って進めそうです。
2010.10.10.10アワの歌 2010.10.10.10儀式後集合写真
 
 続石は駐車場から400m程昇った山の中腹にありますが他の観光客もいました。ここでは儀式は難しかったことを改めて皆さん確認できたようです。全てはみんな丁度良いようです。初めて訪れた方々はその石組の有り様に感嘆しています。他の方が居なくなった時を見計らい岩を囲んであわ歌を歌いました。しかし、その後に来た新たな見物者は我々に遠慮して遠巻きに眺めています。申し訳ありませんでした。そこで頂いたお言葉です。

「只今の 響き賜りたり
 これよりこの響きにて 繋がり行きます
 響きを続けて 光を続けて 繋がりて参る。」

続石案内図 続石 続石にてアワ歌

 次の羽黒岩は程なく到着です。こちらは私達だけで他の観光客はいません。400m程山を登り、羽黒神社の後ろにある巨石と遭遇、圧巻です。岩を囲み、ゆっくりと大きな光とエネルギーを頂き、響き合いました。Sさん始め沢山の方がミラクルな光を写真に撮られました。そこでのお言葉です。

「響きを発して 響きを響かせたれば
 この大宇宙の多くが参りて 力となり行く
 歌いて響きて 下されませ。」
羽黒岩 羽黒岩にてアワ歌

 昼食は遠野ふるさと村ですが、沢山の方々で賑わっていました。私達は特別に曲がり屋の古い民家で岩魚かで飯という郷土料理を頂きましたが程良い味付けで、すいとんも格別です。皆さん美味しいとすこぶる好評でした。良い天気に恵まれ、良き場でありがたい食を素晴らしい仲間と一緒に頂けて大満足の笑顔でした。
遠野ふるさと村、曲がり家 岩魚かで飯

 昼食後の目的地は早池峰山麓の早池峰山神社で、御祭神は瀬織津姫です。
早池峰山神社
 
 古来、遠野には閉伊族という蝦夷がいてその首領の岩武の伝説があります。蝦夷征伐の坂上田村麻呂が綾織町寒風の羽黒堂(羽黒岩にある羽黒神社)に隠れ住んでいた岩武を発見して弓で射殺したという。その真偽は別として818年に閉伊族の反乱があり蝦夷最後の抵抗戦争があった様です。最後まで大和朝廷にまつろわぬ者が遠野に住んでいたことは確かのようです。田村麻呂は蝦夷への勝利を毘沙門天の加護と信じ、平泉の達谷窟や水沢の黒石寺など各地に毘沙門堂を建立し蝦夷地を鎮護し、蝦夷の怨霊をも調伏し鎮めようとしたようです。

 東北地方、岩手は大和朝廷のある京都からは東北、鬼門の地にあたりますが、田村麻呂がもたらした毘沙門天像とは別に瀬織律姫という謎の女神が運ばれていたようです。それは鬼門の地に住む蝦夷を恐れて、鬼門を押さえる強い意思があった現われです。

 瀬織津姫は天照大神の荒神であり、穢れ祓いの神であるとともに水と桜を司る神です。水の流れや瀧そのものが瀬織津姫ですが、そこに不動明王も祀られているため不動明王の影に隠れてしまって知られていません。瀬織津姫のなす穢れを祓うシステムは、まず瀬織津姫が罪や穢れを川から大海へ流し運び、速秋津姫を経由して根の国に住む速佐須良姫がそれを呑み込むというものです。その穢れ祓いの三女神は遠野に光臨していて、遠野三山に祀られています。早池峰山に瀬織津姫、六角石山に速秋津姫、石上山に速佐須良姫がいて、その遠野三山で三角形を形成し浄化システムを成しているようです。

 遠野を流れる早瀬川は桜並木が連なる名所です。桜には直接的な水の流れと間接的に人の罪と穢れを溜め込んで川の流れに戻す役割があるようです。桜は人の病気や怪我だけでなく罪や穢れ、呪いや魂まで吸い取り浄化していると言います。ですから桜には死者への鎮魂の意味もあり、瀬織津姫には生と死の狭間に揺れ動く魂の平定の役割もあった様です。

 また遠野盆地はエネルギーの流れ、龍脈があります。エネルギーが流れ始める太祖山(早池峰山を中心とする三山)から気のエネルギーが龍穴に流れ、そこには沢山の水源があります。鶏頭山と呼ばれ水源を有する薬師岳は早池峰山と並んでありますが、太陽信仰の早池峰山と共に、薬師岳は水、瀧、桜の神格化した水信仰の霊山です。その地は太陽と水という命の源の信仰が深い処なのです。水場には龍が無数に発生すると言われますが、多くの水源を有していて、龍穴の沢山ある遠野盆地はまさにエネルギーの発生源、風水的な地形に於いては絶好の力の源といえます。

 記紀以前の古書ホツマツタエによると、男神としての天照大神の后神として瀬織津姫が登場します。それがいつの間にか天照大神が女神とされて瀬織津姫が消えてしまいます。

 丑寅の鬼門に位置する遠野は蝦夷の力の源と考えた大和朝廷は、瀬織津姫を山龍、水龍、龍穴を押さえるために早池峰山の麓に早池峰神社として鎮座させ天照大神と共に祀り、早池峰山を中心に広がる水龍を朝廷側にとって穢れ祓いの為に祀り、鬼門中の鬼門を押さえようとしたのでしょう。蝦夷がおり馬産地で金、銀の産地であるこの地を治めるために施した二重、三重の呪法システムでした。

 早池峰神社では映画の撮影がされていて社殿前では郷土の獅子舞が演じられていました。
早池峰神社社殿下 早池峰神社社殿前獅子舞
早々に我々はお参りだけさせて頂き、神社山門近くの小高い丘にある末社で集うことにしました。社殿の左手に天の鉾のように木が折れて2mほどそそり立っています。そこをみんなで囲んであわ歌を歌わせて頂きました。その時のお言葉です。

「よくよくこの地へ参られた
 この時あるを お待ちいたしたり
 皆々様 そのうち揃い 響きて頂きありがとう
 これよりは この地共々参ります
 歌は響きて 大きなる天に繋がり行きました。」
早池峰神社末社にてアワの歌

 次の目的地は山崎コンセイ様ですが、途中バス車中で頂いたお言葉です。
「たゆみなき思いを 続けて この地をこれまで守り来たり
 これより 新たなる地は 皆々の新しき思いによるなり
 皆々嬉しきへと成られませ。」

 コンセイ様への道は木の枝が迫り出していてバスが通れなく途中から歩きました。天気に恵まれ爽やかな空気と精気を沢山頂きました。コンセイ様は性器、男根形の石神を崇めてお祀っていますが、御神徳は子宝の神、婦女子の病気平癒、馬の息災を願うと言われています。男女の二体の性器の石が並ぶ処で歌わせて頂きました。その時のお言葉です。

「只今 大きなる響きを ありがとうございます
 この地にありし 地の大きなる気を 皆々様に注ぎたり
 是よりも 共々ひとつと成りて
 大きなる道へ 進みましょうぞ ありがたき」

山崎コンセイ様 山崎コンセイサマ境内の陰陽石

 バスは花巻方面に進みますが、あわ歌サロンは快調です。バスに揺られて心地良く昼寝をする方もいますが皆さんそれぞれで全てが順調です。車中でのお言葉です。
「この日高見に 響き渡り行く あわ歌にて
 皆々是より 目覚め行き
 新しき嬉しき地と 成り行くなり 嬉しきなり。」

「遥かに望む この大きなる地に
 精一杯の響きを発せられませ。」

 丹内山神社に到着の頃には夜の帳が下りてきました。急いで社殿奥の御神体のアラハバキ大神の巨石、丹内石を皆で囲みあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「永きにわたり 広き地守り
 この時迎えるは 大きなる喜び
 是よりも この大きなる地守りて
 共々参り 真の地を拓き行かん 共々参ろうぞ。」
丹内山神社案内板 胎内石にてアワ歌 丹内石案内板

 歌い終わると陽は沈み、足元がはっきりしない程ですが、元気に下りてきてバスは出発です。次に予定していた冠山蝙蝠岩はキャンセルです。今回はどうやら必要なかったようです。一路花巻の渡り温泉を目指しますが、途中、新花巻駅からKさんが帰るので皆さんとお別れです。皆さんからあわ歌を歌って頂き、中山さんからKさんが頂いたお言葉です。
「あい深きを 持ちて 天地結び 家族ともども ひとつとなりて
 その やわらかき ますます 喜びの地と なされませ」

 宿では懇親会、二次会と楽しい輪が深まります。中山さんの誕生日が10月15日ですので一足早い誕生祝いも出来ました。深夜の露天風呂ではあわ歌合唱でしたがうるさいとお叱りを受けてしまいました。

 お陰様で今日もあわ歌歌い、響かせて楽しい1日を過ごしました。そして、大きな光を頂き、新たな真の未知を拓く力を頂きました。身も心も魂も嬉し楽し幸せです。

※引き続き、参加者S氏のブログもご覧下さい。こちらから

47.「未知拓く」  2010年10月15日

 10月9日からの中山博氏と巡るみちのく、未知を拓く旅は28名の参加でした。男性9名、女性19名です。9は次の次元を迎える最後の数で、19はその次の次元を迎える最後の数です。バスには運転手さん含めて29名、今回の旅はその次の30からの次元を拓く、プラス1、ひとつとなる銀河鉄道999の旅でもありました。

 陰陽の陽の男性(父性)性次元から、陰の女性(母性)性次元へ、更に融合して陰陽を一つにする次元へ移行する、そんなイメージでしょうか。千賀一生さんのガイヤの法則ではシュメールから800年ごとに陰陽のバランスが交替し、かつ緯度が22,5度づつ東西に移動するといいます。1995年から135度の日本に移り、融合性のエネルギーラインにより近付いてきているようです。そして現在の地球の文明のスタートは日本から始まり、シュメールに移り、そこから拡がった。つまりは日本列島がふるさとと言います。

 同じ地、日本の中で時間経過の中においても陰陽のバランスが起きるとしたら、これからの800年の母性性の前提の型は1600年前から800年前の800年間に、更には3200年前から2400年前に訪ねることが出来そうです。紀元前1200年から紀元前400年、紀元400年から1200年の間は果たして日本は如何なる文化が花開いていたのでしょうか。記紀神話以前、以後の世界を訪ね、みちのくの地の時空間を堪能し、あわ歌で光と響きを響かせ、己の中の遺伝子に眠る情報を呼び戻し、スイッチを入れるとともに新たな想造を担う、そのきっかけ、気づきの旅とも言えそうです。それぞれの必然性を受け入れながら和する、新たな歩みでした。

 7時に仙台駅を出発し秋田の唐松神社が最初の目的地です。バスの後部座席はサロン風に設定してあり、いつもそこが歓談の場ですが、今回は初の試みでそこが車中のあわ歌を唱和する会場、あわ歌サロンになりました。Aさんがリーダーシップをとって皆さんに働きかけ、前方席にいた中山さんがそちらに移動して9時頃から歌会が始まりました。私は最初だけそちらに伺いましたが、後は終始、運転手さんのナビゲーターです。何しろ、今回の訪問地のほとんどが運転手も初めてのところが多く、私の案内が欠かせない状況でした。 

 今回は目的地で皆さんと散策し、あわ歌を歌い中山さんからのお言葉を頂きましたが、車中のあわ歌の後にも貴重なメッセージを沢山頂きました。

 最初に車中で頂いたお言葉は以下です。
「戦い済みて なお残る 大きな思いは数知れず
 この時訪ねて 歌いて歌い
 皆々 友と成り行かん 頼みます。」

「あい深きの思い持ちて 響きて響きて
 ひとつと成らせませ。」
アワ歌バスサロン

 これから訪れる地、唐松神社は物部氏縁の地に在り、かつては唐松山にあったものが佐竹藩主の怒りを受けて現在地に移されたようです。この地では前九年の役をはじめ幾度となく戦がなされていたようで、そのことからお言葉に現われたのでしょう。唐松神社の松並木を通り本殿を参拝しましたが、古来から安産、子授けの神様として女性の参拝が多いようです。
唐松神社 唐松神社本殿

 唐松神社天日宮は円形の池に囲まれ、中央に石組みで浮島のように社殿が配置された珍しい作りです。女性が社殿を囲みあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。
「皆々様方 共に 手を繋ぎ
 思いを結び合いて わと成りて
 この響きと 光とひとつと成り行き(拍手)
 共々参ろう 新しきへ (拍手)
 あい あい あいのみもとへ (拍手)
 御苦労でした ありがたきなり 共々参る
 (拍手)参る (拍手)」
唐松神社天日宮 唐松神社天日宮にてアワの歌

 次の目的地、能代市二ツ井の高岩神社に向かう車中に頂いたお言葉です。
「かんなみのみ力 随所に現れ 皆々様へと
 光を与う 嬉しかり おさめなされ。」

「この度 この北の地にて 響き行くは
 これよりの新しき 大きなる地として
 生み出だすことなり
 残されし 多くの大きなる御霊に そのこと伝え行く
 あわ歌の 響きと光なり。」

高岩神社
 高岩神社はバスが入れない山の中にあります。かつて偶然に見つけて訪れましたが、巨石の中に鎮座する神の存在に畏敬し、感嘆しました。その時にいつか中山さん達をお連れしてここであわ歌を歌いたいと思ったのでした。ですから条件が悪いのですが、今回のツアーの中で是非ともと思い、地元のKさん達に乗用車3台を出して頂き、実現出来ました。バスから乗り換えて、片道10分程の悪路ですがピストン輸送していただき、お陰様で皆さんにそのエネルギーの高さに感動していただきました。先に到着した私達は後続の皆さんの到着の間に、Sさんの為に中山さんから歌とお言葉を頂きました。
「あなた様へ申す
 その地にありし 大き岩は
 皆々 待ちておらるるぞ
 ひらきて 知らせて 力をたまわりませ」
高岩神社Sさんアワ歌拝受

 Sさんは福島県の方ですが地元のひもろぎの遺蹟に皆さんをお連れすることがお役目として頂いたようです。以前からその山の巨石の存在は伺っていましたが、いよいよその時期が来たようです。年内には皆さんと花塚山へ訪問することに成りそうです。

 後続組も到着し高床の社殿で全員揃っていただきました。その時のお言葉です。
「皆々様より 頂きたる この響きは 誠にありがたき
 大きなる響きと ひとつとなりて 共に参りませ
 この大きなる宇宙を 新しきといたしましょうぞ
 ありがとうございます。」

 中々に心強く、これからの新しき世へ向かう覚悟が明るく響きます。
高岩神社の高床本殿 高岩神社にてアワ歌

 今回のツアー直前に中山さんから重要な岩盤(いわくら)として4か所あり、それぞれがネットワークして働くというお話があった様です。その4か所は、那須のうるうの宮、秋田二ツ井の高岩神社、岩手遠野の続石、福島の花塚山です。今回そのことがより明確になったようです。(4箇所の地図はこちらをクリック)

 次は米代川を渡り、銀杏山神社です。本殿の奥には大きな銀杏の木が3本あり、奥に2本が繋がり鎮座していますが、そこを女性が囲みあわ歌を歌いました。その時の言葉です。
「この地に大きなる御霊ありて 広き大きなる地を作りしが
 ある時この御霊 大きく壊れ 離れ行きて 沈められし
 その御霊の思い ここに現わし この姿にしたり (拍手)
 大きなるあわ歌響きて 嬉しきなり ありがたき
 これより共々参ろうぞ。(拍手)」
銀杏山神社 銀杏山神社大銀杏
大銀杏にてアワ歌

 このお言葉には驚きました。御霊が壊れ離れ行き沈められとあります。しかしあわ歌で喜びを頂いた、浮かばれたようです。

 七座山は七つの山が連なる山で、縄文の原生林が残っているといい、米代川が大きく蛇行するところに突き出た感じにあります。七座神社は米代川を挟んで七座山を遥拝するところにあります。米代川の河原で山に向かいあわ歌を頂きました。
「そろいて共々 この響き 届きたり
 これよりも この山 川守り行きて
 永き過ごしを なしましょうぞ ありがたき。」
七座山と米代川

 歌っていると曇りにも拘わらずに山の上に七本の白い雲の筋が天に昇る様に現われました。しっかり届いている御印を頂いたようです。
七座山上空、七筋の雲写真提供S氏

 二ツ井を後にして大湯ストーンサークルに向かいます。車中に頂いたお言葉です。
「この度 この北に地にて響きゆくは
 これよりの新しき大きなる地として
 生み出だすことなり
 残されし多くの大きなる御霊に そのこと伝え行く
 あわ歌の 響きと 光なり 」

「伝えます うるうの宮はこれより ますます働きて
 光と力は いや増し行くなり
 集いて 歌いて 喜びを」

 大湯に着くころはすっかり陽が沈みかけてしまいました。ストーンサークル近くに集まってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「この地に眠れし 多くの方々
 この時 新しきと成られ行き
 大きな広き宇宙へ 旅立たれませ
 皆々共々 ひとつ成り
 あいのみもとへ 参ろうぞ。」
大湯ストーンサークル 大湯ストーンサークルにてアワ歌

 唐松では池の社殿、二ツ井の3か所では岩山、木、川、山、大湯では平原のストーンサークルで歌いましたが程良いバランスの各地で響き合いました。そして貴重なお言葉を頂きました。車中の歌の響き合いは参加者全員を強烈に調整したようです。我々の命を預かる運転手さんも、最初は得体のしれない集団と映っていた様ですが段々になじみ、良好、好調なドライブで進みました。

 湯瀬温泉に宿泊し、懇親会、二次会と大いに交流を深めることが出来ました。私も久々にお酒を頂き少しはしゃいだようです。2次会の最後に頂いたお言葉です。
「皆々様の 真の みを これより いずるなり
 その皆様の 生み出だす 気が 動かし行くなり
 構えて 御用意なされませ
 来る日を 楽しみに」

 1日目の予定の全てを達成し、皆様深い眠りを頂きました。

※ご参加いただいたS氏によるブログ記事はこちらをクリックして下さい。

46.「わの道」  2010年10月13日

 今年の最大のイベントが終わりました。それは中山博氏と巡るみちのく、未知を拓く旅です。10月9日から2泊3 日の秋田、岩手の聖地を巡り、各地であわ歌を響かせ、みちのくの地で、各地でその地のふるきを訪ね、清め、未知を拓き、参加した各自の未知をも拓くことを目指した集いですが、相当に密度の濃い内容でした。

 何事も意図があり思いがあり、事を共有出来る縁者の出逢い、培いが不可欠ですが、その前提には大いなる存在の計らいが欠かせないようです。私は中山さんとの出逢いがあわ歌とのご縁の始まりですが、思い返してみるとまだ2年3カ月程しかたっていないのですが、かなり古いご縁を頂いている感じがします。また、自分であわ歌を歌い始めてまだ1年足らずです。これまで既に宮城の地を巡り、岩手県の南部、青森県を巡る旅を終えていましたが、そこを繋ぎ結ぶエリアが今回の目的地です。

 旅の前日8日にはあわ歌会を開催しましたがそこで私が頂いたお言葉の中でキーワードがありました。
「この日より 3日の後に 共々 皆々にて 成すことあり ~アワ歌~
 放ちたり この光 その身まいりて これより働きます。」 「大光力」

2010.10.08大光力

 これは10月10日の10時に儀式をすることを指しているようです。中山さんからツアーの中でそれにふさわしい場所で、皆さんで出来たらいいですねとの言葉を頂きました。私が企画した行程の中で、皆さんとしっかり光を頂ける神計らいを頂いたようです。そして「大光力」を私が受けたのでしょうか。

 今回の旅を迎えるにあたり、この3週間程に頂いたお言葉に、これから起こるであろうことが伝えられていたようです。

9月17日
「本当の その身の想いは この大宇宙に繋がりて
 一切は無しとなりぬものぞ
 これよりの 進む大きなる道は この大宇宙のものなり
 知りて 伝えて 嬉しきへ。」
9月22日
「これより映すは 皆々この地ある 多くの諸々 はっきりと
 真を現わすためなり よくよく見られて 生み出だす
 真をご覧なされ 光の中にて 篩て参る。」
9月29日
「隠れし 多くの事々は 光の中に 浮かび来て 現われいずる
 真と成りて 消え去り行きて 新しきと成りまする
 光をしっかり発して下され。」
10月6日
「新しきを 始めるにあたり 生まれ出で来る その事を
 しっかりと捉えて その身の中へおさめて下され
 そのこととは 全く白き 何も無しの 大きな事なり
 来る日にお渡し申す。」

 実はあわ歌会の前日7日に山形で千賀一生さんの「わの舞」があり参加してきました。私は千賀さんの著書の「タオコード」「ガイアの法則」を読んでいてその内容に興味を持っていましたので、いつか直接お話を伺いたいと思っていました。又、1年ほど前から「わの舞」の活動を始めていたことも知っていましたので日程を調整して出かけてきました。

「遠い遠い昔、わたしたちは誰もが踊っていました。自然の中で、みんなで、しあわせな感覚につつまれて・・・ 
 現代のわたしたたちはわすれてしまったけれども、わたしたちの中には、その記憶が眠っています。言葉や理屈を超えて、ただいるだけで通じ会え、一つになれる世界・・・
 「わの舞」はそんな時代の踊りのあり方を新しい形で再現します。踊りを通して幸せな感覚にいきることを、あなたもきっと体験するでしょう。
 もう一度、あの懐かしい世界にもどってみませんか?そう、今も先住民の人たちの文化の中に潜むあの豊かなこころの世界へ・・・・」

 わの舞は不思議な世界でした。事前の体のほぐしの体操を入念にしてから始まりましたが、身体が喜んでいるようで素直にできました。嬉し、楽しい、幸せの世界です。

 千賀さんのお話は共感できる、未体験、未知の道、かつて歩んでいた道のようです。
 宇宙のリズムに合わせて生活することが大事です。四季の節目ごとに変化があり、それは死と再生の時で、それは我々にも起きている事です。それに乗るためには、引きずって来たものを捨てる、捨てされることです。人によって内容やタイミングが違いますが、死に関する事をすべき時は、いろいろ失い、手放した方が、リズムが整う様です。個人の節目は誕生日で、インスピレーションが降りやすいようです。体では中心軸がアンテナの役目をしています。良い悪いでなくそのリズムに乗っているかどうかが大事で、種まきの時です。掃除も死に象徴されることで、節目を迎える1週間前には掃除をして準備を完成させておくこと、そして節目の中では静かに過ごすのが良いです。人と議論すると狂ってしまいます。

 フォークダンスのマイムマイム(舞い無舞い夢?)はイスラエルの踊りで水をたたえるものですが、わの舞に共通するものがあります。それは一体感に入りやすい踊りで、古代ユダヤの踊りを受け継いでいます。日本では巫女舞いです。

 地球には宇宙のスピンが決めたガイヤの法則があります。文明の勃興や推移に800年周期で陰陽の変化があり、これから東洋の流れに成ります。そのスタートの時に新しい踊りの運動が起きています。800年前には西洋でユダヤ神秘主義が起きて、踊りでシンボリズムを作り上げていました。シュメールからの叡智の流れがユダヤからヨーロッパに伝わり、クラシックバレーが生まれましたが、それは見せるための踊りでした。もうひとつの流れは日本へ伝わっていました。

 これからの新しい世界を迎え、日本を変え、体感的な世界を舞踊で作る為にわの舞を作りました。わの舞の内容は直感でビジョンが降りて生まれましたが、これからは言語伝達から象徴伝達に、論理思考から感性思考へ移行していくと思いますし、かつて日本文化にはそれがあり維持されていました。手を合わせるだけの形、合掌するシンボリズムを通して伝えられる情報は深いものがあります。茶道、華道など一つの型を大事にしてそれを越えることを目指す、道の文化、タオの世界です。短歌に象徴されるように一番洗練、熟練されているのは日本です。

 円形で形成される潜在意識には共感感覚が形成され、直線で形成される潜在意識では並列、競争対立が生まれます。宇宙の成り立ちはスピンからです、円形では中心には神、祖先神が来てスピリットと交流しながら踊ります。巫女舞でも古代に成るほどスピンが多いです。スピンは左右ありますが左は精神界次元、右は現象界次元を形成します。踊りは左足から始めます。

 音霊、言霊は陰陽の音感から形成されています。ま音は母性音、ら音は父性音で大和言葉はま音がかなり多く、ら音は殆どなく、た音に変換して使用しています。日本は極端に母性性を持つ文明です。

 これまでの800年の時代は男性性の時代でこれからの800年は母性性に変わり、文明の中心が135度のエリアに移ります。そして日本は東経135度があり、そのエネルギーラインにある国には融合的な力があります。

 135度は兵庫県明石があり日本の標準時間を決めていますが、新しい周期の開始の時が1995年でした。そしてその年の1月17日にその明石で阪神淡路大震災が起きて新たな幕開けが始まっていました。1995年から始まる800年ですが、最初の72年間はもっと大きな周期とも結びついて多大な波紋をもたらすようです。そして1995年からの18年間がポイントのようです。

 ガイヤの法則は千賀さんが得られた聖なるリズム、宇宙スピンの法則ですが興味深いものです。そしてわの舞で体感することでこれから真の本質に、宇宙の意識に繋がり共鳴できる可能性がありそうです。

 今回、ガイヤの法則を知り、気付いたことがあります。なんと、中山博さんが宮を借り定めて、初めてあわ歌を本格的に始められたのが1995年1月17日からなのです。驚きと同時に大きな存在から動かされ、役割を頂いていた、大きな神計らいがあり、初めから脚本がある様な感じがします。これからのあわ歌とわの舞とガイヤの法則は果たして如何に成ることでしょうか。未知を拓く道です。楽しみたいものです。

45.「稲刈り」   2010年10月4日

 今日の地元地方紙朝刊1面見出しに以下の内容が記されていました。
「出来秋 実らぬ汗」概算金下落 猛暑で品質・収量低下 東北コメ農家落胆 農政転換

 我が仙台テンメイ名取農場のもち米の26日の稲刈りに続いて、2日うるち米、ササニシキの稲刈りでした。いもち病に侵され、背丈も伸びずにまばらな身入りの穂が目立つ中、1日がかりで刈り上げて傘立てして天日干し迄出来ました。天気に恵まれ、額に汗しながら8名で作業をしましたが、田の土も乾き、軽い稲を刈り上げるのは楽ですが、実のり薄いことを実感するのは寂しいものです。果たして脱穀、籾すりして如何程の収量を得ることが出来るか、色々の条件が重なり致し方ないことです。

 昼食は高柳亭でおにぎり弁当と農場収穫の野菜で具沢山の美味しい味噌汁を頂きました。稲刈り初体験者が4人ですが、ゆっくりと休息して、美味しい枝豆やおやつを頂きながら四方山談義で花開きました。ほとんどの方が9月の座禅断食会に参加した方々で、予後の変化や、体調の快調なことなど、楽しく密度濃く交流出来ました。採れたて野菜もお買い求め頂き、楽しい体験が出来たと喜んで頂きました。

 その日は、稲刈り終了後、居残りの元気な面々で、畑の収穫の終わったトマト、きゅうりの撤去作業もしましたが、秋まき作業の準備です。畑では今も枝豆の収穫が続いていますが美味しくてとても、濃厚な深みのある味でなかなか評判が良いのです。今週末の中山博さんと巡るみちのく、未知を拓く旅のおやつに大量に持ち込む予定でいます。参加の方は楽しみにしていて下さい。
2010.09もち米杭掛け 2010.10.02名取農場ササニシキ稲刈り

 翌3日は石巻の木村農園の稲刈りです。昨年から1反歩をお借りしてササニシキを栽培していますが、こちらも稲刈り予定が大幅に早まり急遽の実施でした。曇り空でしたが程良い気温です、10時から総勢11名でスタートしました。田はかなりぬかるんでいて足が取られます。足運びに難儀ですが、裸足や長靴で、倒伏しているところと畦沿いの端の稲を刈りました。今日中では全部刈りあげられませんので後は機械で刈り取ってもらう予定で、機械が入りやすい状態にまでを目標に黙々と作業します。前日の名取と違ってたわわに首を垂れた稲穂は重くずっしりとしています。今日はその道のプロのSさんにお見え頂いていて、稲刈りの仕方をしっかり指導頂きました。

 昼食は名取農場の野菜を持参して味噌汁を作り、今日も美味しいおにぎり弁当とお手製の漬物です。昼食の休憩時にSさんから自給自足、開墾、サバイバルの道など興味深いお話を伺いました。Sさんは自然農の福岡正信さんの教えを生かして多方面に活躍し、海外からの研修生をも受け入れ、多くの方々を指導されています。これからSさんとのご縁を活かすことが出来れば、益々面白い展開になりそうです。どうにか16時過ぎまでに予定の場所を刈り上げて棒杭に笠懸も終わりました。
2010.10.03木村農園稲刈り 木村農園稲刈り2 木村農園稲刈り集合写真

 終了後、元気な面々は東松島農場に行って、まだ収穫出来ていなかった残りのじゃがいも掘りをしました。3畝から掘り出された芋はあまりにも小粒ですが1籠程収穫できました。丁度、陽も沈みかけてきて程良い加減で終えることができました。後は東松島農場ははさつまいもと里芋を残すだけになりました。
2010.10.03東松島農場じゃがいも

 早々に片づけて皆さんと一緒に近くの温泉に入りに行き、今日一日の汚れを落として、身体を綺麗にし、疲れを癒しました。その後は木村さん一家も合流して、一緒に夕食を頂きながら楽しいい語らいです。奥さんも皆との語らい、交流が楽しみな様子で久々のビールが美味しく、杯が進みます。

 木村さんの田んぼも今年は異常気象の影響か、例年にない経験が沢山の様です。ヒエの大量発生や、イネツト虫に葉を根こそぎ食べられて茎に穂だけが垂れている姿を初めて見たとか。今年は生体エネルギー資材を入れているところ、長年の無農薬農法のところ、最近管理を始めたところなど、田んぼのそれぞれの場によって、今年の異常気象ではたしてどのような作柄、どのようなお米になるのか興味深いということでした。
 
 冒頭の新聞等では今年のお米は収量が落ち、品質の劣化が見られ、収入減は免れない様な状況です。食料自給の必要性、国土保全、就労者増など多くの問題が山積していますが、やがて訪れるであろう食料危機をしっかり見据えて準備が必要です。今回、木村さんのお知り合いで、大学院で農学を学んでいるIさんが稲刈りからフルコースで参加していました。いつも座学で実体験は初めてということでしたが楽しそうで、これからも名取のテンメイ農場にも来ていただくようにお誘いしましたのできっと仲間になることでしょう。

 Sさんは自然農法だけでなく、古代遺跡や古い文化等にも造詣が深く、広い観点で活動していますので、これからの人材確保、教育、若者の就農、生産への意欲などの喚起に留まらず、食料保存法、簡便な住居の建設方法、就農方法等を深め広めていくには是非、その智慧と技術をお教えいただきたいものです。これからもう少しお話を伺いながら彼のネットワークに加えて頂こうかと思います。

 私は2日間の稲刈りで些か筋肉痛を頂き、今日は終日ぎこちない動作で過ごしていました。それもまたありがたいことです。

44.「太陽の国」 2010年10月1日

 10月1日、今日は見事な秋晴れ、太陽が輝き、すっきりさっぱりした青空はありがたいものです。実り多き秋、収穫の真っ盛りです。

 15年以上に亘り、生体エネルギー理論、実践を共に学んできた良き先達であり仲間のT氏が冥府に旅立ち、早いもので百か日が過ぎた先日、御遺族から祖供養の品をお送り頂きました。

 彼は直感鋭く、真理を探究し、縁する多くの仲間を善導すべく活躍していましたが、その中でミュージシャンのAさんは心底、彼を信頼していましたし、彼の助言、指導を活かして多くの画期的な結果も残しています。頂いた品の中にはAさんのCDがありました。
CD「太陽の国」
 
 そのCDは昨年11月12日に天皇陛下御在20年の祭典で奉呈されたもので、少なからずT氏が多方面に亘り生体エネルギーを高める為に尽力した思いの曲でもありました。
 奉祝曲、組曲「太陽の国」の第3部太陽の花の歌詞を紹介します。

「この道を歩きながら 名も知れぬ花に見とれ 立ち止まる私でありたい
 この道を歩きながら 移りゆく空の色を 見逃さぬ私でありたい
 しあわせはまわりに溢れている しあわせは今いる場所で気づくもの
 太陽は変わることなく輝いて そよ風に微笑みながら 
 一人一人を おだやかに見守っている

 この道を振り返り 誰かの頬の涙を 思い出す私でありたい
 悲しみも時には巡るけれど 悲しみもそのうち晴れる通り雨
 太陽は変わることなく輝いて 青い空 両手を広げ
 そのぬくもりを 平等に与えてくれる
 光の花 降り注ぐ 生まれた国 いつまでも忘れない
 太陽は変わることなく輝いて そよ風に微笑みながら 
 一人一人を おだやかに見守っている

 太陽は変わることなく輝いて 美しい夕暮れの時
 また日が昇る しあわせを教えてくれる
 太陽は(太陽は) 永遠に(永遠に)」

 この詩では、太陽はある意味、この国を治める象徴的働きをする天皇陛下を指しているのでしょうか?陽いずる国、日本人として、太陽の存在に感謝し、自然の巡り、恵、配剤を頂く中で、心優しい、穏やかな生き方を伝えているのでしょう。

 しかし、現在は既成の多くの仕組みのほころびが出ていて、人間社会は大きな修正、変革が必要とされています。パラダイムシフトの言葉を聞いてかなり時間は立ちますが、未だ明確なビジョンや理論、技術を実践出来ていないように思います。その中に在って佐藤政二先生が創始し提唱される生体エネルギー理論は新たな可能性と具体的な方法論を着実に具現化している様に思います。

 4年ほど前にAさんもT氏とのご縁で生体エネルギーを知り、佐藤先生と御縁してからは大きく変化を遂げられました。新たな視点でこれまで以上に自分の天職に取り組み始めた様です。3年ほど前には私の医院にも訪れて生体エネルギーの処置を受けていました。

 素晴らしい感性の持ち主のAさんは生体エネルギー技術活用機器の効果を確実に実感していて、日常生活でも多方面に活用していて必需品となっています。コンサートやレコーディング、練習会場でも生体エネルギーの沢山の機器を使用しています。そして今、新しい次元を機能させ、更に超次元、超能力をも使いこなせる技術がオープンにされていて、日進月歩に新たな取り組みが始まりつつあります。

 Aさんのコンサートでは多くの方々が感動で涙すると聞きます。そんな彼が天皇陛下の祝祭の場に歌う役割を頂き、選ばれたことは素晴らしいことです。T氏はAさんが選ばれた決定を聞いた時、大きな喜びを語っていました。ここ数年、数々の賞を総なめする様な活躍を得ていましたが、今回の奉祝曲の奏上はある意味、名誉ある最高の評価を頂いたということでしょう。そして、直接、天皇陛下にも情報伝達がなされたということです。

 そんなAさんを通して歌われ、表現され、伝えられる音、響きの中には、感動を呼び起こし、人間の本来の能力、本心、良心を喚起して行き、これからの時代を担う人間として大事なものが培われていく情報が遍く拡がって行くことと思います。ある意味で、無形の装置化でしょうか。そして人類自然に必要とされる人間になること、そんな世の中になることは亡くなったT氏の念願でもあるように思います。

 あらゆることに生体エネルギーを前面に出して真摯に取り組み、活躍してきた彼はある意味、完全燃焼して、やりつくした様でした。しかし彼の人柄、人間性から多くの方々に惜しまれたのは当然です。そして、彼の遺志をしっかり継承する流れが出来たようです。彼も存在を無形の位置に変えて、きっと平行宇宙から我々に色々と支援のエネルギー、情報を送っていることでしょう。
プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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