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43.「彼岸明け」  2010年9月28日

 9月26日は秋彼岸明け日でした。20日の入り日からの1週間は彼岸こもりをし、自法開宗(じほうかいしゅう)をしっかりと願う期間と頂きます。

 26日、仙台テンメイ名取農場では急遽、もち米の稲刈りをしました。今年、畑を田んぼに変えてもち米を植え付けたのですが、天候不順、高温続きで予測を越えて生育が進み、強風、雨で倒伏してしまい、雨続きで早い稲刈りが必要になりました。当初は10月31日でしたが10月2日に早めましたが、更に早めての実施でした。前日まで雨のぐずついた天気でしたが当日は1日晴れてくれました。そして翌日から又雨続きです。幸運にも奇跡的に刈り取りが出来たと言えそうです。
2010.09.26もち米稲刈り 201009もち米稲刈り天日干し

 私は参加出来ませんでしたが、急遽2日前の稲刈り日の変更に関わらず20名弱の皆さんがお集まり頂き感謝です。手刈りで笠懸して天日干しして後は程良いころを見計らって脱穀です。12月には餅つきが楽しみです。O農場長の苦心の計画、ため池作り、田んぼの整備から始まった稲作はどうにか収穫にこぎつけることが出来、悲願を達成できた様です。

 これから後、10月2日には名取農場の些か病気になったササニシキの刈り取り、翌日3日は石巻の木村農場の稲刈りの予定と続きます。
 
 同じく26日には大相撲で白鵬が4場所連続の全勝優勝を達成し、連勝記録も62に伸ばしました。白鵬は14歳で日本に3カ月の相撲研修、相撲部屋への入門を目指して来日したそうです。大阪のある会社の相撲道場でお世話になりますが、モンゴルから来日した7名の中で一番ひ弱で、もやしとあだ名され、結局帰国しなければいけない前日まで入門先が決まりません。必死に相撲、相撲と片言の日本語で相撲を続けたいと泣きながら訴え、叫ぶ彼を見て、彼の相撲に対する熱意に感じた社長が、方々の知り合いの親方にお願いしてやっと入門先が決まったそうです。それからの彼の努力が今、相撲界を支える中心、大黒柱にまで成長、大成し、押しも押されぬ平成の名横綱になりました。不滅の双葉山の69連勝の更新も視野に入り、実現可能性が出てきました。彼は優勝後のコメントで以下の事を話していました。新聞の記事を紹介します。

 [悲願の賜杯を手にし、「わたしは決して力が強い人間ではない。運がある」としみじみ。ただ「運は努力した人間にしかついてこない。精進したことで神様がくださったと思う」と日々のけいこを誇った。指導する熊ケ谷親方(元幕内竹葉山)は、「先場所を乗り越えたことで責任感と自覚が芽生えた」と、弟子の成長に目を細めた。次の目標を問われると、「まずは一番近い江戸時代の谷風関。それから昭和の大横綱、双葉山関を目指したい」ときっぱり。谷風の63連勝は九州場所の初日に、双葉山の69連勝は7日目に並ぶ。精進の心を忘れない限り、神様は白鵬にほほ笑むだろう。]

 又、 26日はソフトバンクが7年振りにパリーグ征覇を最終戦で決めました。劇的な球史に残る奇跡の逆転優勝で、秋山監督は就任2年目での悲願達成です。以下が新聞の記事です。

 [「奇跡」が「現実」になった。何度も死にかけた“不死鳥の鷹”が最後に大きく羽ばたいた。いたずら好きな野球の神様が、最後に軍配を上げたのはソフトバンクだ。球史に残る“大まくり”。残り6試合、3・5差からの大逆転劇。秋山監督は感無量の思いで6度、杜の都の宙に舞った。]

 そして24日にはイチローがアメリカプロ野球史上前人未踏の10年連続200本安打を達成しました。これは本当に凄いことと思います。彼の存在は私の中ではとてもありがたく、日本人として誇りに思えます。彼のバッティングの姿、技術は剣号宮本武蔵の剣の姿と同じと評されます。26日夜に彼の今シーズンの200本の安打の全てをテレビで放送していましたが、たまたまそのチャンネルにあたり、最初から全ての安打を見ることが出来ました。彼の仕事は神業なのでしょう。来年は11年連続200本安打を達成しピートローズを抜いて単独最多の記録を目指すと宣言しています。長きにわたり、日頃の体調管理、そして精神力、克己心等尋常でない努力、精進無くしては実現不可能なことです。

 彼岸明けの日も含めて彼岸中に数々の悲願達成がなされました。それは各々、次のステージに移ったということでしょうか。界を越え、限界が一つ取り払われる。生きるということは多くの界命をいきること。真如実相を生き、無形無相で万物を包括する世界を極めることを目指す。彼岸と此岸(しがん)が一つになった姿、ある意味即身成仏のようなそんな瞬間を経たのでしょう。

 しかし全てに共通するものは謙虚さ、日頃の精進、努力、継続を可能ならしめる精神力、そして最後は神が認めてくれること、運力なのでしょう。彼らの様に役割を頂き、演じきる生き様は人間の能力の可能性を知らしめてくれます。先に紹介した白鵬の言葉の中にとても印象深いものがあります。

 「運は努力した人間にしかついてこない。精進したことで神様がくださったと思う」
 かく言う私は彼岸明けの日に、父の縁のかの地に在って自法開宗を頂いていました。「私はどこから来て、どこに至るのか。何のために生まれ、生きているのか」。経典は胸典で、経を読むとは胸を読むこと。己の胸の中の心を見つめ、今日の心を清め正すこととあります。その後、下関に初めて中山神社を訪れ、末社ではあわ歌を頂いてきました。強い光とエネルギーを頭頂から頂き、身体は熱く活性しました。全てこれで良し、だったようです。次に明治維新の志士を祀る我が国最初の招魂社、桜山神社を訪れ吉田松陰、高杉晋作等を偲びました。
20100926
 
 24日に秋田で開催されたあわ歌100回の会で頂いたお言葉の中に以下がありました。
「永きにわたりて こえきたりたるこの道は いよいよの時と なりゆくなり
この時 あわ歌ひびかせて まいりきたれば それぞれは ご自分の道なり
しっかりその身の まことえらんで まいりませ」   (9月24日 8回目)

 このお言葉は悲願達成の時期が近いことを伝え頂いています。しかしその誓願悲願への慈悲の道は一人ひとり異なり、同じ道はなさそうです。それゆえに、他を羨んだり妬んだり、自身を嘆いたり呪ったりすることはできません。ただただ達成できると確信を持って日々の行を、真を選び行うことが求められているようです。これからが楽しみです。

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42.「彼岸断食」  2010年9月23日

 昨日22日は中秋の名月、23日は満月が頂ける日です。仙台は生憎、秋雨で見えませんでしたがエネルギーは頂けます。常にエネルギーは満ち、欠けて繰り返しますが同じようで同じはありません。日々の生活の毎日が変化に富、豊かな人生の営みを頂けます。

 よく私は、原点、視点、感の言葉が浮かびます。最近、秋彼岸を前にして親族のことを想い、己の原点を振り返っていました。私の前提条件は何か?私のシナリオを作った己のスタートは?その目的は?兎に角、三次元的原点は両親かと思います。

 私の両親は既に四半世紀以上前に冥府に旅立ちましたが、常にありがたい存在です。明治生まれの父は還暦を過ぎて、地元の出版社から自伝を出していましたが、秋彼岸を機に久しぶりに読み返しました。40年前の本には、改めてそうだったのかということが沢山あり、それは今の私の視点で読み込む箇所が違うのでしょう。些かの遺伝子的継承を感じたり、又、役割の違いの大きさを頂きましたが、生かされた時代の差を思わざるを得ません。貫き通した男としての生き様の原点は、何故か早く亡くした実母への愛だったのかという気がします。自伝を書き終えて後、10数年の活躍した晩年は真理を極めたようにして大往生を頂きました。母は父の1年前に先立ちましたが苦労が絶えない中に、己が人生の救済、寛喜を晩年夫婦で頂き、本望だったように末っ子の私には思えます。

 先祖の徳分を子孫が頂き、己が人生の今があることに感謝です。無形の導きを頂きながら心を軽く、今に生きたいものです。

 この秋彼岸を前に、この時期初めて座禅断食会を開催しました。断食会は既に仙台で6年目を迎えていますがこれまで年3回3,7,11月の開催でしたが、参加希望者が多く9月も開催させて頂きました。今回も定員一杯の36名の参加で皆さん満願成就頂き、嬉しい旅立ちで終えることが出来ました。

 今回初めて気付きましたが、父も旧制高校の頃から座禅や断食をしていたようです。彼は座禅の無の境地を会得し、好んで、剣の道と共に遊んでいたようです。又、破天荒な中に未来を見据えて大学は九州へ進み、そして昭和初期の大恐慌の時代に昭和維新を画策し、中国に渡ったり日本各地で活動したようです。28歳の時には己の死に場所をと願ったようですが、結果的に父の死や、徴兵など諸々の事情で免れ、又、満州の戦地でも生き残りました。そして生死の狭間を生き抜き、多くの覚悟を得、生き残った者の使命を感じ戦後の復興に挺身したようです。

 私は断食会の中で座禅も指導させて頂いていますが我が師、野口法蔵師の様な指導は到底出来ませんし、己が無の境地にも遥かに遠い凡夫です。しかし、断食期間中の姿勢を保持し、呼吸に集中することにより、座禅的な深化はさておき身体的反応は良い方向に進むことは確実です。参加者の姿勢、呼吸を見させて頂き、その集中度、具合は分かります。初心者と10回に迫る経験者はおのずと座禅断食会の目的は変わってきます。初心者はやはり、身体の健康を主に宿便出し、ダイエット等を考えますが、回を重ねるに従い、断食期間中の反応も理解し余裕を得てくると、心の宿便出し、精神的改善を目指すようです。今回も初心者が16名ですが4回以上の方は10名で丁度良いバランスでした。

 毎朝の10分の読経は腹式呼吸で発声し、座禅に入る導入には欠かせません。2日目の昼過ぎの20分間の合掌行(正座して頭上で合掌し、般若心経を10回唱える)は自律神経のバランスを調整し、身体の活力を高め、癒しの放射線を出すという神の手を作ると言われます。座禅は多数でする方が座りやすく、呼吸も入りやすく情報を共有出来て、具合の悪い人を防ぎ効果も上がります。座禅と瞑想の違いもポイントです。目をつぶり空を作る瞑想では、イメージを見ると眼球が動きエネルギーは使われ、宿便の出が悪くなると法蔵さんは言います。半眼で背筋を伸ばして数息で呼吸する座禅は無を目指します。瞑想に慣れている人ほど座禅になりにくいようです。

 場の中心を定めその場を如何に作るか苦心します。毎回参加者の様相で変化がありますが3日目になるとかなり空気が整ってきます。法蔵さんが確立した20分の座禅を15回繰り返すやり方が中々効果的なようです。昨年から生体エネルギーの電気機器を場づくりに活用していからは皆さんの反応はすこぶる良好です。3日間と予後の1週間を通じて如何に心身の清浄化、正常化、自分の能力への気付きを得て、健康的な生き方への改良が出来たら嬉しいことです。

 今回も明けの食を食べ始めてから20分弱で私も含めて数名の方が排便を頂きましたが、次々と宿便出しにトイレに入り込む皆さんは感動した喜びの笑顔で戻ってきます。1時間を過ぎて最後の3名が排便を頂き、今回も全員か満願成就出来ました。終了後のミーテイングでは皆さんが感想を述べ合い、私にとっての楽しみな時間であり、御褒美です。何人かの感想文を紹介させていただきます。

「3日間にわたるご指導ありがとうございました。日頃の食生活のあり方を考え直す大変良い機会になりました。丁寧なご指導のお陰で不安なく参加させていただきました。経験者の先輩方も大変親切で的確なアドバイスをいただきながら進めることができました。一人では決して達成することが出来ないと思いますので感謝の気持ちでいっぱいです。断食明けの大根汁の美味しさ、食べ物をありがたく頂戴することが出来たことを忘れずに、日々健康的な生活にあらためたいと思います。2回目も是非参加させていただきたいと思います。とても良い環境の中で気持ち良く座禅断食を行うことができました。引き続きこの場所で開催して頂ければ嬉しいです。」(初参加者)

「お陰さまで大久保先生の御説明の通りの経過をたどることができ、自分のカラダにびっくり致しました。坐禅もほとんど経験がなかったので、どうなることかと心配しておりましたが、場を整えていただいたお陰か心地よく坐ることができました。何よりも恐らく何十年分かと思われる毒が出た瞬間は感動致しました。今後のカラダの経過が楽しみです。ありがとうございました。」(初参加者)

「7月に続き2回目の参加でした。7月は予後1週間目の体重を維持したままで今回を迎え、体調だけでなく、自分の人生の大事な節目の決断をできたのは断食のお陰だと感謝です。その気分のまま今回に入りましたので穏やかで優しい3日間でした。それは周りの方達との新しい出逢いのお陰です。前回は最後から2番目だった宿便取りも今回は20分!後はゆっくり久しぶりの食事を味わえました。11月は地元の友達と一緒に参加する予定です。それ迄心身を整えて参加します。有難うございました。大久保先生はじめスタッフの皆さんのこまやかな気配りに感謝します。」(2回目参加者)

「毎回違う体験をする楽しさと緊張感に魅せられています。人間の根源のところに関わっている事柄のせいでしょうか。食べることと消化して出すこと。日常生活でとかくないがしろにされてしまう部分のように思われます。今回は1階の座禅した場がとても良い感じでリラックスでき、休み時間にすっかり熟睡し、はじめての体験でした。色々な方々とのお話もまた楽しいものとなりました。座禅の姿勢がなかなか整わず苦労しています。もう少し交流の時間が取れたら良いと思いますが時間的になかなかむずかしいですね。」(5回目参加者)

 彼岸の入り日の20日に終わった断食会ですが、全てが凝縮しコンパクトにまとまった落ち着きを感じていました。読みかけの自伝も読み終えて、いのちの仕組み宇宙のあり様に新たな畏敬と感謝を感じています。次回11月の座禅断食会は既に30名を越える参加申込を頂いていますがありがたいことです。

20100918座禅断食 20100919座禅断食1 20100919座禅断食2 20100919座禅断食3

41.「進展」     2010年9月16日

 9月14日は民主党代表選挙が行われました。現職続投の結果ですが果たして今後、如何様な進展がみられるのか、まだまだ出口の見えない渾沌とした状況が続き、益々加速度がついてクライマックスに進む様な予感がします。
 
 各自が持つ宇宙は自作自演、如何様にも書き換えが可能といわれますが、心の置きどころ、日日の過ごし方、そしていよいよ想造力の見せどころです。

 12日に仙台で初めて、あわの歌100回歌う集いを名取農場、高柳亭で開催しました。18名が10時前に揃ったのですが、間際になって電話で仕事に戻らなければいけない方が出て17名で10時丁度に始まりました。その方は前日初めてあわ歌会であわの歌を頂いた方でしたので致し方ない配慮だったのかもしれません。

 あわの歌10回、いやうゑをあ9回、あいふかき3回を1セットにして大体25分間かかりますが、それを10回繰り返しました。毎回10分程の休憩をとり、昼食30分程をはさんで16時50分で終了でした。時間が凝縮した感じであっという間に終わった印象で、心地良く出来ました。10回目の時は私も横にならせていただき、皆さんの歌の中で過ごしましたが、何とも言えない安らぎと異次元体験ができました。
2010.9.12awa100

 毎回終わりに中山博さんを通してお言葉を頂きましたが時系列に紹介します。
1、本日 ここにてあわ歌響き 大きなみもとに届かせて
  この地とみもとを結びたし お願い申す 豊かな響きを。
2、歌の響きは これよりの大きなる光と共々に
  この広き宇宙に広がり行くなり。
3、光に影はあることが 今この時を作りたり 大きなみもとの光と成り
  影は無しなり 影にておらるるは 無しとなり行く
  今 今ぞ この光に入られませ。
4、ふるうは 暗きにありまして 真を拒む諸々
  今この時に この響き届きたる 暗きは光となり行くなり
  今これよりを 大事になさりませ。
5、この度のこの新しきは 大きなるみもとの光によりて
  全てを変えていくものなり 今までの変化にあらず
  この地の方々 皆々 思いは新しきとなり行く 頂きなされこの光
6、響きております 皆々様の中で この響き 皆々ひとつとなり行きて
  皆々結びて繋ぎあい ひとつとなりて 大きなる光なり
7、光はふる ふる 降り注ぎ 皆々様の 響きになりて
  拡まり行きます 嬉しやな 嬉しやな。
8、あい あい あいの光を受けて 響きたる方々 この地と結び
  皆々繋がり 輪となりて 天地とこの輪で揺るぎなし
9、承りました 伝えます。響きたり 嬉しきなり 皆々で 
  輪となりて その地をしっかり 守りゆきなされ。
10、みな みな 一つ 繋がりて 天地も喜び 大きな輪となりゆかれ
   これよりの 嬉しき 参りましょうぞ。

 私は初めての100回の集いに参加しましたがまず頂いたお言葉に驚きました。10回の言葉の内容がしっかり物語になるのです。キーワード(太字)を繋いで見るとはっきり分かります。以下の様にまとめられます。

「本日、この地であわ歌を響かせ、大きな御元に届かせて、御元とこの地を結びたい。歌の響きは大きな光と共に、広い宇宙に広がります。今この時を作った影は、御元の光で無くなるので、影にいる方は早く光に入って下さい。篩にかかるのは暗く、真を拒むものです。響きが届くものは光になるので、これからを大事にして下さい。今度の改新は、大きい御元の光で全て変えるので、想いを新たにして光を受けて下さい。響きは皆ひとつになり、結び繋ぎ、大きな光となります。降り注ぐ光は、皆の響きになって拡がっていき嬉しいことです。あいの光を受け響く方々は、この地と結び繋がって輪になって、天地とこの輪で揺るぎなくなります。皆で輪になってこの地を守って下さい。皆々一つに繋がって大きな輪になり、天地も喜ぶ嬉しい世界に行きましょう。」

 10回目のお言葉と共に絵(写真左)が描かれましたが、前日のあわ歌会で私が頂いた絵(写真右)と相似しているのです。
9.12no.10 9.11ookubo 
それぞれの上方、三つの大および丸いのは、あい、光、響きを表し、下の丸は私でひとつにするということです。

私へのお言葉は以下です。
「来る 数十日後には この地の気 この地の人 この地の多くを
 皆々 ひとつとなさりませ。
 天の光を 集めて下ろし ひとつと成すため 働きて 下され。」

 中山さんからその時には、又大変なお役目ですね、いずれはっきりするでしょうと言われていたのです。12日の集いが終わり、前日の私の言葉と相似した絵をご覧になって、即座にこの数十日後は12月に予定されている講演会の時でしょう、その時に儀式をすること、出来るだけ縁のある方々に沢山お集まり頂いた方が良いと仰いました。

 実は中山さんには他にも似たようなメッセージが来ていたようですが、俄かに12月4日が重要な日になりました。詳細はこれから相談して決まることと思いますが、中山さんから伺う趣旨は「東日高見の地で人々が結び合い、輪となって天地とこの輪で揺るぎなきないものにする。このために私がリーダー役として働いてください。」ということの様です。

 以前このブログの25「幕開け」(2010年6月18日)で書きましたが12月4日は東北新幹線が青森まで開通する日です。新しい新幹線の列車の名前が「はやぶさ」で、東京と青森が新幹線で直結する記念すべき日です。そして、その日午後は木内鶴彦さんと中山博さんの座談会&あわ歌会の講演会の日です。又、39「改革」(2010年9月6日)で紹介した星淑子さんの書「神」(写真下)を受け取ったのも昨年の12月4日です。そして私の長兄の命日でもあります。色々なことが噛み合って、神合い、そして新たの進展が起きることでしょう。
2009.12.4kami

 会の終了後は同会場で皆さん手作りの食事会、交流会でしたが時間の経つのを忘れて和気藹藹楽しい語らいでした。嬉し、楽し、喜びの時空間です。

 清潔、楽天、進展、統一は出口王仁三郎の四大主義ですが、少しずつ統一へとリズムが整って永遠の生成発展への道、これからは皆ひとつとなる、そんな予感がします。10月の中山さんとのみちのくの旅、11月の2回目のあわ歌100回の集いを楽しく皆さんと味わい、すっきりさっぱり軽快に12月を迎えたいものです。

(関連ブログ記事はこちら)

40.「無為」     2010年9月13日

 台風9号が予定針路を大幅に変えて8日に福井県若狭湾から上陸し恵那、飯田を通り9日深夜、静岡県から太平洋に抜けて温帯低気圧になりました。関東地方は大雨の被害が甚大でした。影響を受けた方々は大変でしたが、国土は洗い流され、ある意味、浄化されたのでしょうか。9号の通過後から仙台は猛暑が影を潜め涼しい気候になってきました。
 
 私はかつて占いに興味を持ち、かなり熱心に数霊占術を10年以上学んだ時期がありました。個人の場合は生年月日と姓名で原点の直霊を見て、そこをスタートに周期波動で変化を読むのですが、それも自然法則の学理と思っていました。我が師の晩年は志半ば、病等で一線を退かれました。最近は、究極は次元を越えて私達に影響、支配する位置の存在と如何なる関係を持たせていただくかに尽きると感じています。
 
 何か事を起こし、作り上げる、無為(むす)時にはまずは、この世界を成り立たせている法を知り、摩訶不思議な力を持ち、論理学を極め続けることの3原則が必要です。そして営みの継続の為にエネルギーは不可欠ですが、物語が無いところではエネルギーは働き様がありません。人として既に存在していること自体が先ほどの3原則等を具備しているのですが、新たに何かを無為時は、始まりの時間を大切にし、そして物語を装置化します。そして名を付けます。

 NGO仙台テンメイは2007年3月3日に定款を決め活動をスタートし、2007年9月9日に設立総会、記念講演会、を開催しました。
 9月9日の設立記念講演会は仙台市太白区秋保にあります慈眼寺にて塩沼亮潤大阿闍梨 の護摩供養に参列し、終了後1時間程の大阿闍梨講演会を「極限の中に生きて見えてくるもの」と題して開催しました。大阿闍梨は奈良県大峯山での一千日回峰行と四無行を満行された方です。私は幸運にも以前からご縁を頂いていましたので、忙しい中にテンメイの為にお話していただける機会を得ることが出来ました。当日のお話も好評で総会、懇親会と和気藹藹な中にスタートできたのでした。

 ところで、数霊では2007年3月3日の直霊は、年は9亥、月は9寅、日は9申。つまり年月日の直霊は全て999なのです。そして9の年(2+7=9)9月9日にお披露目をしました。
 9は次の桁に変わる最後の数字で、ある意味でその次で次元が変わります。99も、999も次の桁に変わる最後です。1の桁を支配していくためには2桁上の次元が必要です。そして3桁の最後の数字999に何かの力がありそうです。それを期待して日時を選定したのでした。つまり、仙台テンメイは999、スリーナイン、39が内包された世界です。
 
 今年の9月9日は設立会からまる3周年にあたります。その日は宇宙の会を開催していました。今年の9月9日は何かありそうと思ってその日にSさんの宇宙の会を設定させて頂いていました。そうしましたら、前のブログでも紹介しましたが9月5日の中山博さんのお言葉で「来る九月九日夜九時に みなみな様には その身の余分を 送り出されませ あわ歌うたいて 送られよ みなみな共々 これよりもあたらしきへ」がありましたので、これはラッキーと思いました。会の途中、中締めして、居残りの11名の皆さんで歌わせて頂きました。歌い終わって、すっきりさっぱり身軽になった皆さんでした。9月8日は新月でしたからエネルギーが切り替わったばかりで、あわ歌と意識で相乗的に何かが切り替わり、終わり、始まったのでしょうか?

 実は、今年の3月3日の設立記念日は平日でしたが、12名の方々と那須に中山さんを訪ね、あわ歌会、聖地巡りを実施していたのです。その時に私が頂いた言葉は以下です。
「是よりは この身に伝える言葉を送る これ 貴方様よりお伝え下され
 分かりたる方々へ知らせて 勧めて導かれませ。」

 そして、9月9日の前日、8日に頂いたお言葉は以下です。
「任せて 任せて ただ ただの あわ歌 響かせ この地の役目
 しっかり果たして 参ること 喜びなれば 大きなる道なり。」 

 仙台テンメイはこの3年で人、物、事も大きく変わり動いてきました。天命塾は平成10年スタートでした。まる9年経って19年にNGO仙台テンメイを立ち上げました。そしてテンメイの活動を振り返ると、かつて9年要したものが3年で動いた感じで、更にかなり加速されたようです。

「十より返る、もとのその一」は千利休の道歌の「稽古(けいこ)とは 一より習い十を知り 十より返る もとのその一」の中の言葉です。稽古というのは、最初の一歩から習い始め、やがて最後の十まで到達すると、再び最初の一歩に戻って稽古し直すのだ…何かを極めるには、慢心せず、初心に帰ることが大切、ということですが、これは全ての物事に通じると思います。

 何事も一から始まりますが十を知って一に戻る、九を越えて十は次の次元の一ということでしょう。同じ一でも違う一を体験し、違う次元からの視点を得て、想造していく。テンメイもこの3年間で前の9年と違う、色々なことが起き、明らかになり、善悪、白黒も含めて良き経験を頂き、己の未熟を悔悟、反省させられました。

 無為(むす)、生みだし、成長の中で酸いも甘いも経験し、全ては必然、順調な流れだったのかもしれません。そう思える時、全てはプログラム通り、私も縁者も学びを深め、成長出来たのでしょう。己の意識、意志で世界を捉え、解釈、翻訳し、そして想造する。全てを無しにして、スタートの時の赤ん坊の様な純真さを大事に、拘り、執着を手放し、身軽にして、これから起きるであろう事々に対応して生きたいものです。

 それが己の神の分御霊、内在神を頂き、この時期、この地で天命を生きることなのでしょう。良き縁者共々、更に楽しい、嬉しい喜びの世界を想造して現実世界を味わいたいものです。そんな3周年記念の999、39、サンキュウ、産休?でした。

39.「改革」     2010年9月6日

 昨日、9月5日、京田辺市で最高気温39.9度を記録しました。これまでの9月の最高気温だそうです。これはメッセージで、2010年9月9日にいよいよ反転して、次に移るなと思いました。2010は単数で3です。次への大きな扉開きかもしれません。

 先週末4日から木内鶴彦さんの講演会、宿泊セミナーでした。これまでにない新しい内容でした。あわの歌の効用について、7月に中山博さんにお会いして以降の研究の一端をお話頂きました。又、木内さんは3度の死亡体験、あの世を体験していますが、昨年皆既日食の中国ツアーで倒れられた時の貴重なお話を改めて伺いました。

 何の為に生きているのか?あの世は変化のない暇な世界で、わざわざこの世に来て難問題に遭遇して、それを肉体を持って味わい、苦労を伴う経験を経て、皆でそれを越えていくこと、それを生きていくことを楽しみにすること、アセンションとは意識の改革だと言います。既に作り上げられた現在の意識の世界を越えていくこと。そして自然の崩壊を目の当たりにして、人間として破綻を回避する努力をしていくしかない。しかし大変な時代を迎え、悲惨な状況は避けられず、全員を救うことは不可能で、多くの人々が淘汰されることになる。残った人間もそれぞれの役割があり、大変な苦労をするがその先が楽しみ。新たな地球の生態系を取り戻し、新たな産業構造を作り上げ、どのように子孫に残すのか。人間は地球に於いては新参者です、謙虚に、新たな村作り、地球作りをしていくしかない。ワンワールドを作る為、子孫に残せる道普請をし、捨て石になるのが自分(木内)の役割。2000年後の下準備、それを出来るのは愛情以外ありません。と言います。

 22歳の初めての死亡体験の時に見た未来はふたつあったそうです。、人類が原始レベルの生活をしている姿、もうひとつは自分が小さな子供と手を繋ぎ緑豊かな中で太陽を見ている姿です。前者の確率は99,999%で、後者はとても可能性が低い内容でした。しかし、今回中国で再度確認したところ後者の可能性が30%に高まっていたと言います。それはこれまでの木内さんの太陽光利用技術などへの取り組み等による結果なのですが、未だ人類にとっては厳しい未来が待ち受けている事は確かなようです。

 今回は木内さんのお話を伺うのが初めての方も多く、強く木内さんの考え、これからの取り組みに共感を頂いたようです。宿泊セミナーでは此処だけの内緒のお話が沢山で、残念ながらお伝えできません。夜遅くまで話が弾み、良き交流が出来ました。2日目の散策会も太陽の強烈なエネルギーを頂きながら楽しく巡り、最後はテンメイ名取農場で、トウモロコシ等を食べながらの茶話会でした。

 木内さんはあわの歌がヒーリングに有効で、中山さんの歌い方が太古の時代の歌い方で細胞に音の情報、振動を送り反応を誘導し、活性化させる効果があり、音の同調、共鳴が鍵と言います。講演会前日、4日に私が読んだ本にあわの歌のことが書かれてあり、その内容を読んでやはりそうなんだと思っていましたが、木内さんの言葉から、その確信を更に深めました。その本は樋口雄三、アマノコトネ共著「人類よ魂の向上を急げ」です。以下、その下りと関連ありそうな言葉を紹介します。

 「大きな岩の上に何人もの人が乗って音を出している。腹の底から声を出している。音の周波数を見つけることが大 事。日本のあわ歌に音がついたものが本物。岩盤の上に乗って念を上昇させることにより人は助かる。」
 「我を捨てること、欲を捨てること、思い悩まないこと、すべての状況を受け入れることができること、搾取しよう とする人間をも心の外に置くことができること、心穏やかにいること、素直であること、そうすれば精神的に向上で きる。欲がある内は霊的向上は出来ない。」
 「上とのコンタクトという意味では、天地自然の神を思う、願うことが重要だ。自分以外の崇高なものに祈ることは とても大事である。自分を清らかな神の波長に合わせることだ。地球は思念の星である。宇宙の一部として生きてい る。地球にこだわってはならない。宇宙的視野が必要である。」

 著書の内容はアマノコトネ氏を介して開示された地球と人類の未来を示したもので、これから何が起こり、どうすれば良いか伝えていますが、真偽は分かりません。

 私は定期的に中山博さんからあわの歌を拝受していますが最近の御言葉を紹介します。
「届きて 届きて 嬉しきなり 楽しきなるぞ 是よりは
 見事に進みて変わり行く どんどん どんどん参るなり
 行く 行く 行くぞ嬉しきへ。」8月11日

「是より起こる 多くの事々 皆々全て 生まれ出でる
 新しきへ向かうこと 光の中 しっかりと留まり 響きて 進まれませ
 生み出だすは その身の思いぞ。」8月18日

「お願い申す。これよりの日々は 多くの事々 この地の方々に降りかかる。
 その時 皆々その心揺らぎて参る。
 これ良く良くまとめて 静かに 平らに過ごされませ。」8月25日

「かたじけなき事なるが これよりの事につき 御助力願いたし。
 その事とは 北にある力を動かし行くこと。
 その為に あわ歌と共に 北に向かい唱えませ。
 あー うー ゑー ゐー。」9月1日 
 
 毎朝私は、星淑子さんの書かれた「神」の額に向かい9柏手の後、あわの歌を歌っていますが、ありがたきことです。私の部屋の書を飾っているのは、ほぼ北北西でこの位置が丁度良いようです。この書と縁した時に中山さんが御一緒でその時以下の御言葉を頂きました。
「移り 来りて これよりは あなた様への 光の道となりまする
 光の道へは柏手 ○○○ ○○○ ○○○ 打ちて 繋げられ お使い下されませ
 誠に嬉しきなり ありがとうございます」21年12月4日
 
 その時にふっと思い浮かぶことなどありますが、出来ることは形にし、行動に移しています。先日も木内さんのセミナーの散策コース選定であるところが浮かびました。初めてのところで下調べに行きましたがそこは、鹿島天足別神社(かしまあまたりわけ)です。延喜式内社、陸奥の国百座の一社で鹿島、香取の神々を祀っています。又、式内社の石神山精神社とも記されています。これまで何度かお参りしている大和町の石神山精神社と同じで???です。そして青麻神社から榊流永代神楽が移されているようです。

 富谷町の大亀山森林公園の駐車場に車を停めて鳥居に向かって歩いて行くと、色斑の黒アゲハが前の方から私の足元によろよろと飛んできます。私の足のところに来て草に留まりましたが、えっこんなこと、という感じです。さも、永らくお待ちしておりましたとお迎え頂いた、そんな感じです。
 車道脇の鳥居から参道の急な長い石段を登り大亀山山頂近くに神社はあります。御神木のアカガシは樹齢800年の巨木で、社殿脇に亀石の巨石があります。こじんまりした空間ですがあわ歌を歌っていると黒アゲハが飛んできて舞い始め、程なく2匹目が来て舞い始め、その後は色違いの黄色い蝶が来て、さながら歓迎の舞い舞台です。やがて方々に分かれ最後に別の黒アゲハが舞って終わりました。嬉し楽しありがたいのあわ歌と蝶舞いでした。山頂に向かう尾根筋にも巨石が沢山あります。山頂には展望台もあり眺望は抜群で、泉ヶ岳や舟形山、七つ森が見えます。その時の神社での写真です。
鹿島天足別神社 鹿島天足別神社2 鹿島天足別神社 光

 せっかくなので大和町の石神山精神社も参拝しました。結果的には木内さんの散策には違う場所を選択したのですが仙台の北の方面を巡っていました。その後に9月1日のお言葉を頂きましたが10月の秋田、岩手の由緒ある聖地等を巡ることもお役立ちかと思います。
 
 昨日5日は那須であわ歌100回の会が開催されていましたが、そこでのお言葉の最後に、
来る九月九日夜九時に
 みなみな様には その身の余分を 送り出されませ
 あわ歌うたいて 送られよ みなみな共々 これよりもあたらしきへ

がありました。夕方に知り、やはり9月9日は大事な日なのだと改めて思いました。
 
 39.9度の最高気温のメッセージ、9月9日9時のサンキューのあわの歌で果たして如何なるのでしょうか、楽しみです。私の車のナンバーは999、そして今回のブログは私が書き始めて39回目、そして私の誕生日も3月9日なのです。果たして意識の改革が各自の自由選択の内に進むのでしょうか?

38.「邂逅 4」   2010年9月3日

 九戸城跡で8月25日に月見の宴が開催されました。満月の夜に幻想的な行灯の灯のもと、舞台で繰り広げられる舞踊を観て会食し、400年前の九戸の乱、九戸政実や九戸党の人々を偲ぶ集いは毎年開催されているようです。その九戸の乱にまつわる文学作品に「贋まさざね記」がありますが作者は三浦哲郎氏です。その三浦哲郎氏が8月29日に79歳で逝去され、9月6日に一戸の三浦家の菩提寺で葬儀がなされます。

 三浦哲朗氏は八戸市の出身で私の高校の先輩で、「忍ぶ川」で芥川賞を受賞されています。私は残念ながらこれまで彼とはあまり縁が無く、名前を知る程度でしたが、訃報の追悼記事を新聞で読み、俄かに北の地で繰り広げられた彼の生き様、その世界に興味を抱きました。そしてこの時期にその地に関係する彼の記事に出逢えたことにも何か機縁を感じました。彼は数奇な血族に生まれ育っていて、そのことが彼の文学のベースになっています。    
以下が彼の紹介の抜粋です。
 
 「青森県八戸市三日町の呉服店〈丸三〉に壮介、いとの三男として生まれました。二兄三姉の末弟です。六歳の誕生日に次姉が青函連絡船から津軽海峡に入水、同年夏長兄が失踪、翌年秋長姉が服毒自殺。長じて昭和24年に早稲田大学政経学部に進みますが、翌年春、学費の援助をしてくれていた次兄が行方不明となり帰郷。2年間、中学校で英語と体育を教えます。昭和28年、早大仏文科に再入学し、仲間たちと同人雑誌「非情」を始めます。同誌掲載の『誕生記』が小沼丹(おぬまたん)の目にとまり、その仲介で3号掲載の『遺書について』が機縁となって井伏鱒二(いぶせますじ)に師事することになります。
 昭和30年、『十五歳の周囲』で第2回新潮同人雑誌賞を受賞しましたが、実質的なデビュー作品は『忍ぶ川』(昭和36年、第44回芥川賞)です。以来今日まで、長編・短編・自伝的小説・歴史小説とたゆみなく作品を発表しています。
 現在、短編の名手としても第一人者の位置を占める作家です。『妻の橋』(昭和47)・『拳銃と十五の短編』(昭和51、野間文芸賞)・『じねんじょ』(平成2年、第17回川端康成文学賞)・『みちづれ』(平成3年、伊藤整文学賞)・『ふなうた』(平成6)・『わくらば』(平成12)などがその代表的な作品です。 長編小説として、『素顔』(昭和52)・『白夜を旅する人々』(昭和59、大佛次郎賞)・『夜の哀しみ』(平成5)・『みのむし』(平成7年、第22回川端康成文学賞)などがあります。」

 彼は大学中退して父の実家の二戸に身を寄せ八戸の中学校の教師をしており、新婚生活は姉のいた一戸で過ごしていますのでそれらの地に縁が深く、多くの作品の舞台になっています。姉兄で只一人生きていた姉が今年の3月に死亡しましたが、彼女の生涯を主題にした「暁の鐘」の執筆を目指していたと言います。

 彼の6歳の誕生日の日に次姉が自殺してから次々と姉兄が自滅の道をたどって行きますが、この宿命を背負って創作が始まります。「忍ぶ川」など初期の自伝的な短編には「血の衰運」から逃れようとする苦悩が語られています。
 「私たちの血は亡びの血ではなかろうか、と思った。とすれば、私の体内にも同じ亡びの血が流れているはずである。私は、自分の血に亡ぼされるのはまっぴらであった」(短編「恥の譜」)
 「白夜を旅する人々」はその家族、兄姉がどのように生き、死を選んだのかを私小説風に描いた長編作品です。書く前に彼は母から血族の話を聞いたのですが、母は自分が死ぬか、もう何も分からなくなるまでそのことは書いてくれるなと言い、彼はその約束を守り、戒律を課して小説を書いたということです。

 晩年、今年の新聞社の取材に「彼らのことばかり書いてむごいことをしたな。でも書かずにおれません。むごいと思う気持ちを克服しないと。書くことで、自分に流れている血と向き合うことができるのだから。」そして「できたことはすべてよしとする」と心に決めている。それは「兄姉は世の中に絶望し、背を向けた。彼らと同じ道をたどらないために、日常の些事から人の死といった大事まで、人生のすべてを受け入れていこうという決意だ。」

 彼は業因縁の世界を生き抜いて天命を全うされたように思いました。かの地の血が流れ、血が繋がれて、生きる事の意味、喜びを伝えて頂いた様です。
 
 8月は盆回向の月、私達には前世宿世が存在し、たとえ今は罪とは無縁でも、人の歴史は闇の面から見ると戦い、殺し、奪い合いの歴史であり、そこを通ることは避けがたく、過去において罪を犯した事のない生命は皆無と頂きます。しかし今ここに生かされてあることは大いなる慈悲であり、あらゆる罪の元凶である怨恨憎悪を浄化すること、そして歓喜の生命に生きること、とも頂きます。それは一朝一夕に出来る事ではありませんが、日日の悔悟反省、念願心の度合いによるのでしょう。人の心ほど恐ろしいものがありませんが、その心の浄化を抜きに平和や幸せも生まれません。大難を小難、無難にとお助けいただける身を謙虚に感謝で生きる姿が美しいのでしょう。そして子孫が救われることが先祖の願いであり、私達が浄化し救われることが先祖諸共救われることでもあるのでしょう。笑顔の三浦哲朗氏の写真はすっきりしていました。

 8月に私が読ませていただいた冊子にあったお言葉を紹介します。
 
「笑って、50年か100年か、笑って通そう。
 正して、笑って、通そう。
 それで、憎しみは無いぞ。
 絶対に、憎しまんぞ。
 それで、憎しみのない構えに、しておってもらわねばならぬ。
 ねえ。
 はっきりわかったのう。
 みんな、そんなにしよう。
 それがほんとうの仏心。」 (8月の御真言様)

37.「邂逅 3」   2010年9月1日

 父は私の名前を始め政直と思ったそうですが、15歳上の長兄の直政が良いという意見を受けて決まったと聞いています。詳しい経緯は分かりませんが、私は今の名前が気に入っているので兄に感謝です。そして当然、両親には畏敬の念と感謝、尊敬があります。
 物心ついてから私の地元、八戸南部藩二代藩主の名と同じと知り、成人して全国を旅する中で同名の殿様が松江、彦根など各地に居ることに気付きました。名前は空間質を現わしますので何か相似するものがあるのかと思いつつおりました。又、生まれるときは親、名前も自分で決めてくるとかというお話も聞いています。

 この夏、八戸への途中、初めて九戸城跡を訪れました。二戸市の中心街にある城跡は小高い丘の平山城です。石垣が残るだけで草が生い茂った空間は、国の指定史跡として整備がされていますが、いまだ調査発掘がすすめられている様子です。
 何もない開けた空間ですがなぜかもの悲しさが感じられます。本丸跡であわ歌を歌いましたがはじめの重さが段々明るく軽くなった様に感じました。戻る途中に案内所で資料を見て、かつて秀吉の全国統一の時に奥州再仕置として九戸征伐がなされたと知りました。       

 九戸の乱は南部藩の世継ぎ騒動に端を発したもので1591年九戸政実が挙兵します。結果的に秀吉の再仕置の軍勢6万と九戸籠城軍5千人が対峙し、最後は偽りの和睦で開城した後、城内の者は撫切りされたと言います。そして政実以下7人の重臣も豊臣秀次に斬首されています。
 
 私はあまり歴史に通じていませんでしたので、南部藩の事をあたってみました。するとなんと政直の名もありました。そして、九戸の乱に絡んだ南部26代当主南部信直の家督相続に関して以下の事が記されてあります。
 「信直は天文15年(1546年)3月1日、南部家の第22代当主・南部政康の次男・石川高信の庶長子として岩手郡一方井で生まれる。はじめ従兄弟である南部氏第24代当主・南部晴政に男子が無かったため、その娘を正室として養嗣子として迎えられた。しかし元亀元年(1570年)、晴政に実子・南部晴継が誕生すると、次第に晴政から疎まれるようになり、本人も身の危険を感じていたのか、天正4年(1576年)に正室が早世すると養嗣子の座を辞退し、田子城に引き籠もった。天正10年(1582年)、晴政が死んで晴継が第25代当主を継承した。しかし同年、晴継は謎の暴漢集団によって暗殺されている。これには信直の暗殺説も囁かれている。更に近年では信直によって内戦が引き起こされた結果、晴政親子が攻め滅ぼされたという説も浮上しているが、真偽のほどは不明である。晴継の後継として一族の九戸政実の弟・実親を推す意見もあったが、南長義や北信愛から支持された信直が、南部氏第26代当主を継承することとなった。このため九戸政実は遺恨を抱き、家中は不穏な状態であった。」

 そして九戸の乱が起き、信直が実権を掌握し子の利直が27代当主、盛岡南部藩初代藩主になります。
 八戸南部藩初代藩主は南部直房ですが、直房、直政、政直に以下の紹介があります。

 南部 直房(なんぶ なおふさ、中里数馬、寛永5年(1628年) - 寛文8年8月24日(1668年9月30日))は陸奥国八戸藩の初代藩主。盛岡藩初代藩主南部利直の七男として生まれる。母は仙壽院。官位は従五位下、左衛門佐。寛文4年(1664年)、兄で盛岡藩2代藩主南部重直が跡継ぎを決めないまま死去する。このため、盛岡南部家ではお家断絶及び幕府による領地没収の心配がされた。 幕府の命により、南部重直の弟、七戸隼人(重信)と中里数馬(直房)は江戸に上る。そして幕府より裁定を受けた。その内容は、盛岡藩10万石を分け、8万石を七戸隼人(重信)に与えて盛岡藩を存続させ、2万石を中里数馬(直房)に与えて八戸藩初代藩主とするというものであった。寛文8年(1668年)、41歳にて没する。死因は、逆恨みをした盛岡藩の陰謀による暗殺であったが、取り潰しを避けるために表向き病死とされた。後を長男の南部直政が継いだ。

 南部 直政(なんぶ なおまさ、寛文元年5月6日(1661年6月2日) - 元禄12年3月16日(1699年4月15日))は陸奥国八戸藩の2代藩主。初代藩主南部直房の長男として生まれる。生母は霊松院。官位は従五位下、遠江守。幼名は武太夫。寛文8年(1668年)、父の死により家督を相続。元禄元年(1688年)から翌2年(1689年)まで側用人を勤めている。元禄12年(1699年)死去。後を養子の南部通信が継いだ。正室は南部行信の娘。娘(朽木周綱正室)、娘(南部勝信正室)がある。寛文12年(1672年)、盛岡藩との領境を確定させ、元禄8年(1695年)には初めて領内の人口調査を行う。詩文集「新編文林全集」を編纂するなど、学識も高かった。しかし延宝年間にはいわゆる「やませ」による不作が重なったことが原因で早くも藩財政が苦しい状況に追い込まれた。直政の代には、参勤交代のお供を命じられた家中武士の負担を軽くする目的で「舫(もやい)制度」が始められた。これは家中武士に金銭等を拠出させ、必要に応じて支給されるものである。

 南部 政直(なんぶ まさなお、慶長4年(1599年) - 寛永元年10月23日(1624年12月3日))は、南部藩初代藩主南部利直の次男(庶子)。母は家老石井伊賀守直弥(なおみち、甲州譜代重臣、2,500石)の妹の岩(閑、楽女、香林院)。彦九郎。元和6年(1620年)頃元服し、政直と名乗る。福岡城(もとの九戸城)に生まれる。慶長18年(1613年)10月花巻城代(2万石)となり、花巻城を改築した。寛永元年、江戸へ向かう藩主一行が花巻城に宿泊をして酒宴を催した。この時に、岩崎城代柏山伊勢守明助と政直が相次いで急死した。死因は、白磁徳利の酒に毒が入っていた為である。かねてより、南部氏一族は柏山明助が伊達政宗と内通しているのではないかと疑いを持っており、花巻城にて毒殺をすることを画策した。藩主・南部利直は、花巻城に柏山を突然呼び出し、伺候した柏山に利直は、御前での盃頂戴の儀式を伝えた。訝しく思いながらも謹んで賜る旨を言上したので、利直は非情ではあるが、まずは政直に盃を飲むようにいい、政直はわかっていたがこれを口にし、その盃を柏山に回した。

 何とも壮絶な権力闘争が血族の中で繰り広げられていた様子が伺い知れます。九戸の乱の8年後、殺戮のあった九戸城で生まれた政直は親の命令で毒杯をあおり25歳で死にます。そして直政は父を暗殺されていて、7歳の時に家督を継いでいました。同族、兄弟間でのこの様な争いは当時は日常茶飯事だったのでしょうか?はたまたこの南部家の特別な事だったのでしょうか?親の命で死を選ぶ、はたまた幼少で藩主となる、渦中で如何なる選択をし、取り巻く人間関係、果たしてその心情は如何程であったのでしょうか。直政は弱小藩の外様では異例の将軍様の側用人を務め譜代として役目を果たしますが2年ほどで病気の為、役を辞しています。

 九戸城跡で感じた裏哀しさはその地のそんな人間模様が背景にあったのかもしれません。

 地は時間の経過の中で情報を蓄積します。血は遺伝子の継続の中で情報を継承しています。自然は営みの中で後形も無く露と消してしまうのですが、果たして水に流され浄化されているのでしょうか?多くの怨恨、不安、恐怖、悲惨、苦悩、苦痛等の無形の情報伝達がなされて、その上に渾沌渦巻く今の世界は作りあげられているのでしょう。暗く、重く、冷たい世界から明るく、軽く、温かい世界への変換を願いたいものです。
 
 地、血を祓い清めることが、天からのエネルギーを頂くためには必要なことと思います。地、血、知の穢れの原因が人であったとしたらその当事者、あるいは縁者がその役を受けて、少しでも浄化することで天地を繋ぐ役割を果たして行くことなのでしょう。多分、人は皆等しくその因縁を負っているのではないでしょうか。天地人への道。
 色々な異常気象が起き、天変地異の可能性が言われています。そろそろ大変換点が差し迫っている様です。人がする改心もいよいよもうすぐ本番かな?
 
 今回は私の名と出身地にまつわる歴史の中で、諸々の因縁に少し驚きを抱いたのでした。

プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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