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36.「邂逅 2」   2010年8月30日

 室根山は岩手県の南、宮城県境近くにある標高895mの独立峰で頂上からは360°の大パノラマを楽しめます。あわの歌の事を調べていましたら室根神社の特別大祭にフィットして俄かに興味をそそられました。以下少し内容を記してみます。

 「室根神社には本宮と新宮がある。本宮は718年鎮守府将軍の大野東人が元正天皇の勅命を受けて蝦夷降伏の祈願所として、紀州本宮村の熊野神を勧請したもの。新宮は1313年、陸奥守護職の葛西清信が奥羽七郡の鎮守として、紀州新宮村から熊野神社の神霊を勧請したもの。室根神社には坂上田村麻呂や源頼義親子、源義経などが参拝したという。室根山は日本武尊が鬼退治をしたとの伝承から鬼首(おにこうべ)山と呼ばれていたが、本宮を勧請後は牟婁峯山(むろみねやま)に改名し、安元元年(1175)に室根山に改めたとされる。」
 「歴史によると、紀州から数百人が熊野神の御神霊を奉じて舟で5カ月もかかって9月9日に唐桑(気仙沼市)の浜に着きそこに仮宮を建て安置しました。それがいまの舞根神社(瀬織津姫神社)です。そこから室根山に勧請したのが9月19日で、大祭は閏年の翌年陰暦9月19日前後に開催しています。」
 「本宮は伊弉冉命、新宮は速玉男命と事解男命を祀っていて、室根神社の御祭神に瀬織律姫の名はありません。しかし、新宮を設けるまでは瀬織律姫が祀られていた可能性がある。
瀬織律姫が祭神から抹消されたのは室根神社だけではない。熊野本宮大社でも瀬織律姫は消滅しており、御祭神は家都美御子大神とされている。・・・」
(詳しく知りたい方は以下をご覧ください。)
熊野大神の原像クリックすると開きます

 室根神社大祭は民俗学的に古い祭礼の本質をそなえ、古態を失わない価値の高い祭りとされ国の重要無形文化財に指定されています。周辺市町村の氏子数千人が昔ながらの役割を持って参加し観衆は数万人といわれる東北一大叙事詩の祭りで、今年2010年が開催年にあたり、10月15~17日に行われます。中山さんと訪れるみちのくツアーでも10月11日室根神社を巡りますが大祭の丁度1週間前になります。
 
 その大祭の時に着る白の法被の背中のマークがなんと、ヲシテ文字のアとワの2つなのです。その経緯は分かりませんが、背印に◯の蛇の目紋が本宮、背印に菱の紋が新宮の法被です。瀬織津姫のこと、アワのヲシテ文字、室根には何かがありそうです。
 
 そんな興味を抱いて今回、室根神社と室根山頂上に訪れました。室根神社本宮、新宮の2社は静寂の中に鎮座していました。あわ歌を歌い光と響きを頂いてきました。その時に室根神社に降り注ぐ光の写真です。
室根神社に降り注ぐ光 
 山頂からは360度の眺望で東は太平洋、気仙沼湾、北には早池峰山、西には栗駒山です。ハンググライダーで楽しむ面々がいましたがさぞや空を舞う醍醐味を満喫されていることでしょう。今度、中山さん達と訪れた時は果たして如何様な体験が頂けるのか楽しみです。

 秋田県能代市二ツ井にある高岩神社は最初行ったときは中々見つけられずに難儀しました。県道から4キロ程悪路の山道を入ると高倉山の中腹にあります。高岩山山頂付近には奇岩、怪石などの巨石群があり古来からの霊山として周辺から信仰の対象で、かつては修験道の霊場として栄えたようです。大きな岩を背に清水寺の様な社殿がありますが驚きの世界です。霊験あらたかな明るいエネルギーを頂きます。あわ歌も高く響く感じです。ストレートな光が注がれます。社殿での光と岩窟の写真です。
高岩神社社殿での光 高岩神社の岩窟

 二ツ井町は米代川が大きく蛇行するところで材木の産地です。その昔「天地の大観みなここにあつまる」とうたわれた景勝地、きみまち阪公園には巨石の屏風岩があり、その対岸には七座山(ななくらさん)があります。七座山は藩政の頃から伐採が禁じられていたため原始の状態が保たれた巨木と巨石が折り重なる野生の森です。その西側の麓で米代川の近くに大きな白の鳥居が目につきますがそこに銀杏山神社はあります。
 
 銀杏山神社の紹介には「大和朝廷時代(658年)、阿部比羅夫が蝦夷征伐に遠征して来た際に、勝利祈願の為に建立したものといわれ、1300年以上の歴史を誇る。境内にある3本の銀杏の木は、この時に種が植えられたものと伝えられ、樹高25m、根回り9mの巨木で、昭和30年1月に秋田県天然記念物の指定を受けている。3本のうちの女いちょうと呼ばれる木は、幹の一部が乳房のように垂れ下がっていて、昔からお乳の出ない女性が願をかけたと言われる。江戸時代、佐竹の奥方様も願かけに詣でたところこれが叶い、この神社は佐竹家の家紋をつける事を許されたと言われる。また、手をつないだように太い枝でつながった二本の銀杏の間を一気に3回、8の字に回ると良縁がかなうと伝えられている。沢を挟んで2株が対峙しており、対岸の一本は2本が癒着した合体木であるが、なかなかの大きさである。神社から奥の沢にかけては、普段は人が来ない静かな別天地のようなところ。」と記されています。

 社殿の参拝はそこそこに、裏手の銀杏の大木を目指して早足に坂を下りますと巨木がありました。葉も生い茂り、緑がイキイキし、太陽がきらきら輝いて素晴らしい光をおろしています。自然に引き寄せられてしまうような存在で、癒され、近くではとても心地良い感じです。あわ歌も響き合い、自然に抱かれる喜びで歌えました。
その時の銀杏の写真です。二本が癒着し合体した樹間の輝きが嬉しいです。
銀杏山神社境内大銀杏 銀杏山神社境内大銀杏と樹間の輝き
 
 七座山の米代川を挟んで真向かいに七座神社があります。ここも白い鳥居ですがそこから程なく行くと川沿いに社殿があります。境内には社殿に向かう鳥居以外に、七座山に向かう鳥居があります。その鳥居に向かい七座山方向を写した写真です。
 七座神社鳥居から七座山 七座神社鳥居から七座山方向を写す
 
 1月1日には七座山元旦登山、旧暦1月15日には高岩神社裸参りがなされる様ですが、この地にとってどちらも新年早々の良き縁起を頂けるところの様です。
 
 私も色々なところになぜ足が向くのか分かりませんが、引き寄せられる様にその地を訪れてあわの歌を歌わせて頂く中に、自分の中に鎮まり整うものを感じます。適当にして全てこれで良し、そんな楽しみの出逢い、邂逅の時でした。


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35.「邂逅 1」           2010年8月23日

 人は己のルーツを訪ねたくなる時があるようです。何故か己の有り様を見て、その起こりが何を起源、機縁としているのか尋ねたくなるのです。遺伝子的な事であったり風土など育てられた環境等の情報であったり、それは幾重にも織りなされる自分、1個を形作った目的を持つが故の、有る存在の成せる技でしょう。事の経緯は経糸と横糸の織りなす現象界に映し出される結果。そしてその意図は?
 両親をはじめとして先祖はありがたき存在です。在宅の時は仏壇と神棚に毎朝御挨拶をしますが、お盆は年1度の御先祖様の霊を祀ることとあります。

 浮世離れした自分世界で楽しみながら、墓参りを目的に故郷のみちのくを訪れる気儘なドライブは車中はあわ歌が流れています。そして自然を愛で、古き文化の名残を味わい、先祖たちが残したエネルギーを感じてきました。
 その場に足を運ぶ事で呼び起されるものがあります。ほとんどはワクワク感であり、その地を訪れる必然性を思うこともありますし、そこから派生する次の事への繋がりを誘導するエネルギー、情報を頂きます。

 限られた事前情報でここは行ってみようかと思う場所を目指すのですが、中々思うように見つけ出せない事が多いのですが今回はかなり良い加減で迷いながらもたどり着けました。しかし、一か所だけ林道を1本間違ってしまい、それに気付くまでかなり山奥まで入り込んでしまい諦めて引き返し、どうにか目指す鳥居に辿り着いたのですがそこから45分山登りと分かりそこそこに退散しました。そんな中でも今回は何箇所か偶然に遭遇したこれはというところがありました。

 岩手県東和町の冠山弘法大師霊場蝙蝠岩から丹内山神社に向かう途中に気になる大きな鳥居が目に入りました。一度行きすぎたのですが気になり、戻って鳥居から脇道に入り、小さな集落を過ぎて山に車で入っていくと程なく道が分かれます。車を止め辺りを探すと右に小さな鳥居があり、小山に神社があります。取り合えずこれかと思い参拝しましたが、あの道沿いの鳥居に比べてあまりにもこじんまりしたものです。また少し進んでみるとありました、大澤瀧神社です。

 参道を進み神社由来をみると瀬織津姫命と迦具土命が御祭神です。そして祭典が元旦祭1月1日、春祭3月9日、例大祭9月9日とあります。私の誕生日3月9日が春祭りで、私が好んでいる9の世界が揃う9月9日が例大祭です。これって凄い数字の符合だと思いました。何か嬉しくなって本殿であわ歌を奏上し、道路を挟んで少し離れて配置されている天照大神をお祭りする社でもあわ歌を奏上させていただきました。それぞれの場は明らかに違うエネルギーですが歌い終わると同調共振して、非常に心安らぐそれでいて強いエネルギーを感じます。小さな白と黄色の蝶と黒のアゲハが舞っています。本殿の脇には青龍ならぬ清流が流れ心身が洗われる場です。思いもかけない幸運な遭遇に感謝です。

 瀬織津姫命は天照大神の御荒魂として伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神として御祭りされていますが穢れ祓いの神です。イザナギが黄泉の国から戻って中の瀬で禊ぎ祓いをして初めて誕生した八十禍津日神が瀬織津姫です。一説には、天照大神は「男神」であり、瀬織津姫は后神とも言われていて、記紀以前に存在した書であるホツマツタエにはそのように記されています。それがいつのまにか瀬織津姫が消えて、天照大神が女神になっているのはなぜなのか?

 瀬織津姫命は早池峰山を中心に信仰が広がっていて、早池峰神社の御祭神であり、天照大神と共に祀られています。太陽を司る天照大神と人の悲しみや怨みなどを黄泉の国へと運ぶという死を匂わせる瀧と水、桜を司る瀬織津姫。瀬織津姫は穢れ祓いの神でそのシステムは瀬織津姫が大海へと罪や穢れを流し、やがて黄泉の国に飲み込ませるというもので、速秋津姫を経由して、根の国に住む速佐須良姫がそれを飲み込むものです。それら三女神はそれぞれ早池峰山、六角石山、石山の遠野三山に祀られています。

 東北は大和朝廷からは丑寅の鬼門で、岩手はその鬼門中の鬼門です。遠野の地に蝦夷の力を恐れて、パワーの源の山龍・水龍・龍穴を抑える為に早池峰神社を鎮座させ、穢れ祓いの神を光臨させ、鬼門を押さえるための呪法、浄化システムとして遠野三山で三角形を形成して施しているのではないかという方もいます。

 「エミシの国の女神」(菊池展明著)では瀬織津姫を水源神・滝神・川神、オシラ神(オシラさま)・ザシキワラシと習合する神、不動尊・十一面観音と習合する神、大祓の神(祓戸大神)、ヤマトの中央権力側は、祟り神、禍津日神(悪神)とみなしていた。桜の神であり、桜谷明神の異名をもつ、神宮においては、「アラハバキ姫」とも呼ばれる神。瀬織津姫は、稀有の秘神といわれ、最大最後の謎を秘めた神。といわれる。とあります。
 
 一方、迦具土命は記紀神話では火の神で、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神とあります。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまい、その後、怒ったイザナギに十拳剣「天尾羽張(アメノオハバリ)」で殺され、その後その血と肉体からそれぞれ8神が生まれたとあります。

 その瀬織津姫命と迦具土命、水の神と火の神を御祭神とする大澤瀧神社との遭遇は、早池峰神社の呪法と関連して貴重な体験、学びでした。その後に数か所巡り、遠野を目指したのですが、赤羽根峠を越える辺りから急な睡魔に襲われてしまい運転が出来なくなりました。昼にこんな事は初めてです。何かエネルギーが急激に変わった様です。そして雲行きも怪しくなり雨が降り出しました。暫し車を止めて20分程熟睡しました。早池峰神社参拝の時は、これまでの酷暑が嘘の様な土砂降りでしたが本殿でのあわ歌奉納は心地良き響きを頂きました。何故か前に訪れた時も似たような天気でしたが当時はまだあわ歌を歌うことが出来ませんでした。天と地を繋ぐ己の響き合いは一段と己の浄化、活性と勝手に喜んでいました。

大澤瀧神社 大澤瀧神社由来 大澤瀧神社清流 201008140920000.jpg

34.「天空 3 」           2010年8月13日

 9日朝の天気は曇り、気温も昨日より少し低めで過ごしやすいです。予定通り7時には25名の方々が乗車してバスは一路、金華山を目指します。全ては順調で、予定通り鮎川の乗船場に着き9時30分高速船で出発です。金華山黄金山神社に10時に着き、放し飼いの鹿達が出迎えてくれました。いよいよ444,9mの山頂の奥宮目指して登山開始です。木村夫妻は幼児二人をお連れですので果たして登れるのか、無理せずに途中リタイヤ可能として思い思いのペースで歩き始めました。

 私は何度も登っていますが最後の登りがきつい印象が強く何人かは難しいかなと思っていましたが、兎に角、全員13時の舟に乗って鮎川に帰る予定でいました。沢に沿って登りますが蛭が要注意です。結局、何人かの方が蛭さんと仲良くして吸いつかれ出血してしまいました。曇りで程良い風も有り、登りには絶好の気候です。一気に行程の半ば過ぎまで登り、水神社は休憩には丁度良いです。心地良い風が通り汗がひいて行きます。後続を半ば過ぎまで確認して、ゆっくりと登り始めますが今までにない程に足運びが軽いのです。あっという間に尾根に出て、丁度雲も晴れて太陽が燦々と輝き、眼下に太平洋を綺麗に眺望出来ます。

 程なく山頂にたどり着き無事に登頂できました。山頂では南から強い風が吹き抜けていて気持ちよく、一気に汗がひいて行きます。青龍が現れているのでしょう冷気を感じます。皆で休憩をし後続を待つうちに俄かに雲が南斜面を登ってきてあっという間に白い雲に覆われました。後で登ってきた人が言うには頂上で焚き火をしている様な煙の上昇に見えたようです。白龍が現れたのでしょう。今度は雨が降るかなと思っていましたら、俄かに黒雲になり小雨がパラついてきました。黒龍です。山頂を少し下ったところにある天柱石を見に何人か下りました。そんな中に何と木村さん達がお子さんも含めて辿りついたではないですか。皆で拍手で大歓迎です。皆さん奥宮参拝を済ませた後、山頂で女性を中、男性を外の円陣を組みあわ歌を歌いました。

 その時の御言葉です。
「ようこそ お出で下されたり 
 この白き世界に これより進むため
 皆々様には 全てを真白きへと戻されて
 光と響き あい 持ち行きて 嬉しきへ参りましょうぞ。
 生みだすは 皆々様の 嬉しきとなります。
 (三拍手)いざいざ参る。(三拍手)」
 
 
 昨日から頂いた御言葉の流れを踏まえ、白雲に覆われたこの山頂であわ歌を歌う中に、白き世界への次元変換をしっかり体感させて頂き、あいのエネルギーを頂きました。そして相馬さんが那須から持参して頂いた嬉っ水を皆さんで頂きました。この体感は後で各自のなかでの活かされて行くことでしょう。

 山頂を下ると直ぐに雲は晴れ渡り清々しく遠望できます。快調に下り降り、本社に辿り着く頃に携帯に電話が入りました。水神社を少し下った辺りで木村さんの奥さんがお子さんをおんぶしていて足を踏み外して、転んで岩に顔を打ち、鼻から出血して今止血に努めており、御子さんは無事で、暫く様子をみて下るとのこと。まずは外傷もなく、側に6,7人一緒にいてなによりでした。下山した組は思い思いに時間を過ごして連絡を待ちますが予定の舟への乗船は難しく、昼食も含めて変更の連絡をしておきました。程なく自力で下山開始の連絡がありホッとして待つこと暫し、脇を抱えられながらも奥様が到着です。歓迎の出迎えです。木村さん御家族は登頂時、下山時とも祝福の大歓迎です。少し休んでから神社の御神木を囲んであわ歌を頂きました。

 「皆々ひとつに成りたって
  互いに結びて 大きなる輪と 成り行きて 参ろうぞ。」


 14時の最終便で金華山を後にして鮎川に向かいます。船上ではうみねこに子供たちはかっぱえびせんをあげて楽しんでいますが、多くは舟に揺られ心地良いお昼寝です。午後の予定は、昨日同様の上品の郷での入浴以外は全てキャンセルです。鮎川に到着して遅めの昼食を頂きましたがビールと海の幸に舌鼓を打ち、皆さん身も心も大満足です。温泉入浴の後、木村さん御家族とお別れですが奥様も落ち着かれて鼻の具合も良く、腫れも気になりません。

 帰路のバスでは太陽が、雲が、青空が、光と輝きをもたらし色々語りかけてくれます。そんな車中で中山さんからお言葉を頂きました。
 「あいよび あいこたえ 天空とこの地
 みごとに呼び合い 結び合い 嬉しきへの道 開きたり。」


 ありがたいお言葉です。今回の東日高見の聖地巡礼は満願成就したようです。仙台駅に予定通り到着し皆さんとお別れしましたが、全国各地にそれぞれの光、あいを持ち帰りいただきました。

 中山さんからの後日談ですが「8日の儀式はとても重要なもの、大きなものだったな~、そして受けた皆がそれぞれの場所で、響きを継続し続けられるかが大事なのだろうね~。」
との事です。これからの皆様の活躍、そして再会が楽しみです。
 
 木村さんの奥さんも貴重な体験を頂きました。事故を目撃した多くの方々があれほど軽微で済んだのは驚きと言います。ぐずるお子さんにバランスを崩してて足を滑らせ、前の鋭くそそり立つ岩に顔からぶつかり倒れこんだようですが、お子さんは岩と岩の少しの隙の草むらに投げ出された様です。岩にはかなりの鮮血が流れたようですが、打撲での鼻からの出血のみで済んだようです。たまたま保冷剤を持っていた方がいたり、ヒーリングに長けた方の介護など幸運もあるのでしょうが、将に紙(神)一重、神一厘の神計らいで頂いた貴重な御配剤であったようです。

 翌日、木村さんから頂いたメールの一部を紹介します。
「・・、昨日は妻の転倒で御迷惑とご心配おかけしました。その後ですが、お陰様でびっくりする程の回復で見た目は以前と変わらない位で、下を向くと少し辛い様ですが、今日は畑の草取りもしていました。僕の方が目の前で起きた出来事があまりにも衝撃的で思い出すと心臓がばくばくします。あの転倒なのに怪我が最小限で済んだのは、大きなる存在に守られているとしか思えません。思い出すとありがたくて、ありがたくて、涙が出てきます。日頃ある家族に、出来事に感謝しなさいと言われている感じがします。今回は我が家もコースに入れて頂き、貴重な機会をありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。」
 
 そして8月11日朝に中山さんから頂いた私の御言葉です。
 「届きて 届きて 嬉しきなり 楽しきなるぞ これよりは
  見事に進みて 変わり行く
  どんどん どんどん 参るなり
  行く 行く 行くぞ 嬉しきへ。」


 その後、午前中に中山さんから以下の御言葉を届けて頂きました。
 「すぐそこにへと まいりたり
  うれしきことなり 楽しきなり
  皆々まいりて下されよ
  たづねきたる 永き旅路は ここに終わる
  あたらしきなり うみいだす うれしきを。」

 
 4日のキリロラさんの縄文の叫びから始まったあわ歌、東日高見聖地巡礼の旅は完結しました。古きを訪ね開き、天空とこの地をあい結び、新たな道が始まった様です。皆々様と進む新しき世界は嬉しき、楽しきこととなるようです。これからも縁ある方々と日々あわ歌を響かせ進んでいきましょう。

 次回の10月10日を挟むみちのくの聖地巡礼が楽しみです。縁ある方々お集まり下さいませ。

金華山登山口 金華山八合目 金華山頂上 金華山麓 黄金山神社 金華山の鹿 お言葉
 

33.「天空 2」           2010年8月12日

 日高見の国は関東地方の沿岸部から岩手県地方まで占めた地域で歴史の推移で狭められていきますが、タカミムスビ(高皇霊産尊)とは日高見の統率者の意で「ホツマツタエ」にはその名が初代から第八代まで記述されています。第五代のタカミムスビが伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大御神で現代伝えられている日本国の歴史はこの豊受大御神から始まったと言えるようです。タカミムスビは日本国の最大の首長でその影響力は日本全土に及んでいました。イザナギ、イザナミの婚姻は陰陽和合によって宇宙の森羅万象が生じることを寓意した物語でホツマツタエでは単に女男でなく、あらゆる物質の中の陰陽の存在を説いていて、天地・陰陽の道がホツマ思想、天成る道の根本哲理と説かれています。
 
 イザナギ・イザナミは日の精を受けて生まれた天照大神の養育を父の豊受大神に託していますが、このイザナギ・イザナミの交わりの歌であるアワウタを今にとどめる痕跡が岩手と宮城の境、室根山麓の室根神社の祭りで知ることが出来ます。日高見は今でも宮城県石巻周辺を言いますが、岩手県から石巻に流れる北上川の古名は日高見川です。又、日本武尊の東征の上陸地点は石巻と言われ、そして石巻周辺にはホツマツタエに出てくる古くてもっとも重要な神々を祀る延喜式内社が非常に沢山あります。かつてのタカミムスビの本拠地、日高見の中心は今の多賀城でなく石巻周辺にあったのではないでしょうか。
 
 次の目的地は日和山を下った北上川沿いにある住吉公園の巻石と大島神社です。御島近くの巻石は川の流れと海からの潮流によって大きな渦が巻いていていたと言われますが、訪れた時は干潮でしたが渦を見ることが出来ました。かつて御島は男島で巻石は女岩と考えられていたようで大島神社はメオ島神社と呼ばれていたとも言われています。大島神社の裏手の高台にはかつて灯台が設置されていた様で、今は鹿島神社が鎮座していました。そこであわ歌を頂きました。
 「この地にありて 川 海 水守りたる 大き島ありがたき
  これより新たに この地 開け行く これよりも守りたまえ。」
 
 
 次は北上川を渡り少し北上した牧山の零羊崎神社です。社殿奥の相輪塔でのあわ歌です。
 「ぐるりと巡りて これより参る この地を
 大きなる地となす開き これよりぞ。
 皆々共々 心して響きて下されませ。」


 次の訪問先は石巻市渡波の私達の仲間の佐藤造船所さんです。太平洋に東に延びだした牡鹿半島の付け根に万石浦がありますが、その入り口で対岸との最短距離の辺りに造船所があります。そこから数分ほど海沿いにサンファン館方向に行ったところに赤い鳥居があり、10mほどの橋を渡した突き出た岩の上に鬘(かつら)神社が鎮座しています。正午の儀式は鬘神社で行われる事になりました。

 神社正面に私を含め3名が立ち、その後ろ、橋の上に中山さん達が並び儀式が始まりました。快晴の中、灼熱の太陽が照りつけますが海風が心地良く、強烈なエネルギーが足に感じられ地に引き寄せられるよう力が働いています。そこで頂いたお言葉です。
 「皆々様には ありがとう
 お集まり頂きたる 多くの方々に ありがとう。
 これより我らが参る 光の新しき 嬉しきへの道開く
                (柏手打ち続けつつ)
 共々参りて下されませ。
 ここにこの地の縁深きご三人方 天空結び 開き行かれませ。
 本日お集まりの皆々様には あい 持ち行き
 それぞれの場に繋がりますよう お願い申す。
            (柏手打ち続けつつ)
 嬉しきなり。ありがとうございます。」


 儀式を通して何が起きたのか言葉に出来ませんが、あうわ が整った、結ばれたのでしょうか。あわは天地・陰陽、うは無限に開かれた宇宙空間を意味します。天地を結ぶ役割を果たすのが人、ここで天地を結ぶ柱が立った、この地に縁深い3人を柱、中心として幕開けが行われたのでしょうか。そして3人を中心核として外に10方向3層に放射状に広がるように、30人があいを持ち行きそれぞれの地に繋げ拡がる。大大大の3つの次元がひとつ宇宙として治まる。そんなイメージです。終わった後、佐藤さんと強く握手させて頂きましたが、日焼けし清々しい海の男は晴れやかに皆さんにこの地を通して道開く覚悟を示されました。造船所の中を見学させて頂き、御両親に御挨拶をしてお暇しました。

 その時、佐藤造船所さんには5、6艘の船が修理で陸の線路上に上げられていましたが一番大きな舟の船名番号が33と書いてありました。ここも33で昨日から3つ目です。
 
 近くのサンファン記念館の駐車場に停車したバスの中で昼食を頂きましたが、身体が鎮まり、治まるまで少々時間がかかりましたが皆さん元気で明るいです。程良い時間バスに揺られ、心地良い睡魔に身を委ねているうちに石巻市和渕に着きました。此処は仲間の木村さんの住む町で、昨年から木村さんの田んぼを使わせて頂きお米作っています。まずは和渕神社に参拝しあわ歌を頂きました。些かうらぶれた感じですが式内社です。
 「届きたるなり 皆々に
 大きなる みもとのあいは 直ぐに参る
 嬉しきぞ。」

 
 町を見下ろす小高い丘を下りて無人の和渕駅を過ぎ程なく歩くと、木村さんの自宅と私達が田植えした田んぼがあります。稲の生育は順調で稲の花も咲き始めていました。強い日差しを避けて自宅の前の倉庫の日陰で木村夫妻を中心に輪になってあわ歌を歌いました。その時のお言葉です。
 「広き野に立ちて 天地結びて 柱と成して この地に喜び
 これよりも続けて 続けて 嬉しき。」

 
 歌い終わったら二人は感極まり、奥様は涙しています。木村さんのお母様も家から出てきて挨拶をしてくださり、揃って写真に収まりました。奥さんはそのことで又涙が溢れ出ます。日頃の嫁としての思いが喜びに、感謝に変換して現われたのでしょうか。我々も喜びを頂きました。素晴らしい言葉を頂き、これからも大きなお役目を果たす自覚がお二人には頂けたようです。

 今日最後の訪問先は石巻市前谷地の龍口神社です。山裾に鎮座する社は立派な作りで良く整備されています。地元出身の経済で成功を収めた方の大きな寄進があった様です。本殿から少し登った奥宮であわ歌を頂きましたが、元気者は更に上の池に陣取り唱和です。
 「昇りて 昇りて 皆々の響きは 大きく拡がり行きて
 この大宇宙 新しきへと 参るなり。」

 
 龍口神社は参道から左右にうねるように登って本殿が鎮座し、更に登って奥宮です。さながら龍神が地から天に昇る感じの陣容です。そこで今日の聖地巡りを予定通り終えることが出来たこと、そして今日のお参り先はあらかじめ決められた事のように全てが整い、達成感、寛喜が湧いてきます。人として天地を繋ぎ、この地を開く役割の1日目は笑顔で終わりました。

 近くの上品の郷で温泉に入りすっきりさっぱりして帰路のバスの中で中山さんにもビールを飲んで頂き、楽しい語らいの内に綺麗な夕日を頂き、やがて夜の帳が下りました。

 この原稿は私がブログを書き始めてから33番目になります。今回のあわ歌、聖地巡りのキーワードは33のようです。
巻石 大島神社(住吉公園) 大島神社(住吉公園) 零羊崎神社(牧山) 鬘神社 鬘(かつら)神社 佐藤造船所 和渕神社 和渕神社 田んぼと中山さん 中山さんと木村夫妻とお母様 龍口神社(前谷地) 龍口神社でアワの歌 2010.8.8夕陽


 


 



32.「天空 1」           2010年8月11日

 8月4日は座・高円寺2で「縄文からの叫び」キリロラさんライブコンサートがありました。冒頭のあわの歌から縄文の世界が始まりましたが、キリロラさんはさながら巫女です。
 
 古神道では神和ぎ(かんなぎ)という神を鎮める様々な行為がなされていてそのなかで御霊代(依り代)となって、神を自らの身体に宿す、いわゆる神降しや神懸り(かみがかり・神霊の憑依)の儀式を巫(ふ、かんなぎ)といいます。これを掌る女性が巫女で、卑弥呼などがその代表的な例とされています。男性でその様な祭祀に仕える者を覡(げき)といいます。
 「巫山戯」-「巫女が山で戯れる」と書いて、「フザケ」と読む。巫女は、舞い、歌い、神憑かり、カミの波動を受ける次元に上り「神意」を感受して神の言葉(神託)を得て他の者に伝えること、カミゴトが役割です。古代カタカムナでは、「カ」とは、カナタから発生して来るの意。「ミ」とは、私たちのカラダ。つまり、宇宙波動が私たちを通過することが「カミ」。そしてこれを感受して増幅して伝えるのがカミゴトだと言える。そのカミゴトには、名状し難い不思議さがある。怪しさがある。人を魅きつける妙がある。そこには神と戯れること=巫山戯=カミアソビの高等芸術が必要になろう。その魔法を手にしたのがキリロラ☆である。とキリロラさんの紹介があります。
 
 縄文の時代には自然の中で光と響きを受けて歌い、舞い、奏でいつも寛喜として感情を現わし、神と一体で安らぎの世界があったのでしょうか。今は忘れ、失われた響き、波動が縦横にステージで演じられ眠りから呼び戻され遺伝子にスイッチオンされる体験でした。

 コンサートには中山博さんやあわ歌会の面々も参加して居ましたが、舞台が跳ねた後は縄文世界から現実世界に戻り、食事をし和気藹藹と楽しい宴を満喫しました。
 
 今回は先週の天外さん、法蔵さんのセミナーで来仙したホロトロピック事務局のYさん、Hさんのお二人もキリロラさんコンサートに参加していました。Yさんはかねてより中山さんのあわ歌に興味を持っていて、私が4日に紹介出来ることを知り急遽参加、懇親会もご一緒でした。初めてお会いして色々お話を伺う中に、幸運にも居酒屋の席であわ歌拝受を受けることができました。そして歌を頂きながら号泣です。なんで泣いているのか分からないと己が魂からの言葉に遭遇しての寛喜の涙です。頂いたお言葉の内容にも納得で、結局7日の仙台あわ歌会に参加も決まってしまいました。

 8月6日から9日まで中山さんには仙台で色々な導きを頂きました。縄文からの叫びを受けての仙台七夕はあわ歌づくしで、東日高見の地、石巻を巡りましたが、今回は古きを開き、新しきへの扉開きが為されました。

 私が8月4日早朝に中山さんから拝受したお言葉です。
 「感じて頂きましたか 新しき光をその身の中に
 しっかりと受け取りて下され。
 是より参るその道で 大きなる力と成りまする。
 来る8日にはお分かりなさる。」

 
 そして8月7日夜に仙台あわ歌会で拝受したお言葉です。
 「歌いて 歌いて 歌いたり。響きて 響きて 響きたり。
 古きを訪ねて 開きたれば 見事に あい結ぶ。
 その儀は明日の正午なり。」

 8日の東日高見の聖地巡りの中で正午に儀式が執り行われそこで示される様です。7日のあわ歌会前に中山さんから既に明日の正午に儀式をすることに成りますので適当な場所でその用意お願いしますとお話頂いていましたので、私の頂いたお言葉がそれを改めてはっきり示して頂けたようです。

 今回の7日のあわ歌会、8日の聖地巡りにはトータルヘルスデザインの近藤洋一会長とスタッフのTさんも初参加でした。Yさんがあわ歌拝受を頂きすっきりさっぱり笑顔で会場を後にしたころにお二人がお見えになりました。あわ歌そのものが初めてで、中山さんに会うのも初めてでしたが拝受後のお二人は感激です。お言葉も京都からの車中で御二人が話してきた内容の答えを頂いたようで、将に今必要な事を拝受できたようで納得、驚きの笑顔です。

 あわ歌会参加者は33名でした。大阪からまだ1歳に満たない赤ん坊の大斗君を大きな乳母車に乗せて一人でお連れになったあわ歌初体験のKさん始め、京都、長野、東京、新潟、埼玉など全国各地より参加頂きました。終了後七夕飾りで賑わう街を抜けていつもの懇親会場へ移動して、25名程での大懇親会は大いに盛り上がりました。
 
 そしてこの度、近藤会長と中山さんを引き合わせる機会を頂き、これから新たな展開が始まることになりました。12月11,12日東京、京都でのトータルヘルスデザイン美と健康セミナーにあわ歌、中山博さんが登場することが決まりました。相馬さんの写真、映像の紹介も組み込まれた内容に成りそうです。乞うご期待です。12月4,5 日仙台で開催の中山さんと木内鶴彦さんのジョイントの会が中山さんの講演会初デビューですが、その会に皆さん参加して11日からの講演会に備える事も決まりました。あわの歌が広く広まる貴重な機会になります、この時期に仙台でのご縁からこのように次への扉開きが頂けることは嬉しいことです。
 
 8月8日は快晴です。電車に乗り遅れた福島から参加のSさんを待って出発です。この日の聖地巡りも33名です。最初の目的地、石巻市日和山の鹿島御児神社には予定通り9時到着です。太平洋を一望できる小高い山に鎮座する社ですが、かつてこの地を治めた葛西氏の居城があったと言われます。奥州藤原氏が滅んだ後を受けて奥州総奉行を務め栄えたようですが豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せずに解易され滅ぼされたとありますが定かでありません。いずれにしても今はその面影はありません。

 強烈な日差しが太平洋をきらきら輝かせていますが、今日初めてのあわ歌を境内で皆さんで歌いました。その時の御言葉です。 
 「この時 集いたる皆々様に申す。本日 皆々大きな結びを得るなり。
 まずこの地にて始む。あい三度唱えます。皆々共々に。」

 
 今回の聖地巡りは大きな意味があることが皆さんにも良く分かり、この機会を頂いた事を各自が自覚させて頂きました。

石巻市日和山からの眺望 鹿島御児神社(日和山公園) 鹿島御児神社での集合写真

※参加者のブログ報告はこちら

31.「即心」             2010年8月7日

 仙台も連日の猛暑続き、短いみちのくの夏ですが今が夏本番、東北各地で夏祭りが開催されていますが、仙台七夕祭りも6日から始まりました。私の医院のある商店街でも爽やかな風にたなびく七夕飾りが夢をプレゼントしてくれます。

 先週末は天外伺朗さんと野口法蔵さんのセミナーを開催していましたがテーマはスピリチャルな成長へのいざない「素に生き、素に死ぬ」です。野口法蔵さんは「即身仏になる」、天外伺朗さんは「運力の強化」を話されましたが内容濃い、良き集いでした。

 天外さんの天外塾の塾生にサッカーワールドカップで日本の監督を務めた岡田武史さんがいてその話題からお話が始まりましたが、岡田さんの活躍の蔭で為されていた秘話を伺え非常に興味深かったです。
 是までの管理型マネージメントから燃える集団型マネージメントへの切り替えが成功の秘訣のようです。奇跡の為には綿密な準備が必要で、基本は運力を身につけ自らの運命をマネージメントする力、フローを得ることです。

 良寛さん一休さんのお話がありましたが紹介された良寛さんの言葉は私が座右の言葉にしているもので嬉しくなりました。
 
 「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

 この心境で生きられたら運力が強い人に成れるとのことです。病気や死に直面することは意識の変容へのチャンスで、執着は結果に囚われ。未来を思うこと、過去を悔むことは今から意識が逃げていること。志を持ち結果はさて置き今をべストに生きることが運力獲得の基礎。物事様で呼び起される己の感情の中で色々な気持ち、情動に直面することで今に存在できます。幸運、不運の波動がありますが、果たしてそれを良い悪いと分けることは難しい事です。運気が落ちたと思える内的運命のボトムにあってもその不運に直面し、自分の運命に対する自信を失うことなく淡々と事を処しやり過ごし、努力をして次のピークを迎えること。ある意味で運力が弱い時に意識してジタバタすることで真の自己が目覚めてきて、自分が自分を客観的に見る事が出来る。相対的二元論を越えてジャッジメントをはずし良い悪いもない世界、絶対肯定の世界。凡夫の浅はかな分別智の世界から本当の般若、無分別智の世界に向かう。運力は意識階層の無意識のモンスター層の下層の聖なる層にいるもうひとつの自分の世界。その自分が毎日の生活の中で顔を出すようになるとボトムでジタバタしなくなります。表面的自分がジタバタしている姿を見ているもう一人の自分がはっきりしてくると道を踏み外すことがなく次への努力が出来るようになります。聖なる自分に目覚める為に無意識でうごめくモンスターとどう付き合うかが修行です。仏教修行で密教ではモンスターと上手く付き合う、顕教では抑えつけていくようです。座禅とは坐禅、で坐の土の上の二人の人が自分自身の二人です。普通はモンスターの方の自分が大きく、ほんとうの自分が小さい状態ですが、だんだん左右の人のバランスが整ってくる人は運力がついて良い人生に成るようです。

 法蔵さんの題目は「即身仏」ですが、本当は「即心仏」のつもりでいたそうですが私が案内作成の時に心を身に変えてしまったようです。申し訳ありませんでした。

 法蔵さんは座禅断食を日本で創始した第一人者であり私の師です。座禅断食は直感力を養うのが目的で断食は心を養い坐禅を助けるものとの位置づけです。健康の為であれば絶食療法ととらえます。宿便を排泄し自律神経、呼吸を深め免疫力を高めそして心の宿便を、心から何かが落ちたように排泄します。行をするとしてもいやいやするとストレスとなり神仏の加護を頂くことができません。何事も神仏の加護を頂かなくては成就しませんし、無に成ることで神を宿す事ができます。修行として身体を作るために食事を変え、経を唱える。日課として般若心経を唱え、まず身体に覚えさせ聴かせて心のクリーニングをする。100日、1年と継続しますが経の意味は知らない方が良く、ある時ふっと解り使えるようになり、気持が全身に行き渡りどんなときにも使えるようになる。そんな行の流れの様です。

 法蔵さんは五体投地礼を断食指導時以外は自宅で1日に10時間行い、既に400万回を越えており滝行も欠かしません。法蔵さんは菜食ですが、断食指導者には特に飲酒を禁じています。飲酒は直観力が鈍り、身の危険を察知し回避する能力が落ちるとのことです。
 
 即身仏に成るにはまず穀断ちなど少しずつ食を変えていき、身体が腐らないようにするために3~5年要します。そして死んだ後には仏様として拝むためにしっかり保存処理が必要です。即身仏は悟っているか居ないかは別で、悟っていない人は早く火葬にした方が生まれ変わりが早いようです。悟りは特別な修行で得られるのではなく、目立たない方が良く、人の役立ちに成るかの兼ね合いが大事なようです。全てに細やかに生き、全てに感謝で生きることが大切です。雑に生きることはつまらなく生きることになります。
 
 即身仏は生きながら死を迎え仏として身体をお役立ちさせる。翌日の出羽三山ツアーで湯殿山総本寺大日坊瀧水寺で日本で唯一の即身仏を参拝しました。代受苦菩薩真如海上人は96歳で生身のまま土中に入定された方ですが、それまでの七十余年の年月を難業苦業を重ね、不平等社会を仏国楽土に、衆生救済を誓願され多くの慈悲を施された方ということでした。ミイラとして保存されているものは燻状処理の為に黒光りしていますが真如海上人はひと肌を思わせる色合いのある綺麗な仏様でした。

 即身仏と即心仏はかなり違います。即心仏とは即心こそが仏である、現在の迷いの心と生身のままで、そのまま仏となることとあります。今の一瞬を完全燃焼させること、今を精一杯生きること、一心に取り組むこと、己を忘れて一心不乱にそのものになり切ること、そして我欲が一瞬でも無くなった時、それを即仏と言い、自我を捨て去った時、初めて即心と言うものが達成されるもので 、即心即仏と言うようです。
 又、仏道修行で発心・修行・菩提・涅槃と言う過程を経て行動的な努力をしている姿そのもので、仏道修行を志して、たとえ一刹であっても坐禅をやっていると言う事が即心即仏の意味のようです。

 天外さん、法蔵さんのお話は坐で共通する世界で無になること本心を生きることを頂きました。
 一休さんが公案に「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから師より一休の道号を授かったと言いますが素晴らしい言葉です。{有ろじ(有漏路)とは迷い(煩悩)の世界、無ろじ(無漏路)とは悟り(仏)の世界を指す。}
 良寛さんも一休さんも晩年は女人との深い係わりがあったことを天外さんは話されていましたが如何なる行動も即心仏で生きる世界が素晴らしいのでしょう。

プロフィール

仙台天命塾長

Author:仙台天命塾長
 大久保直政
http://genkiup.net/

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